後宮入り
シュゼットの後宮入りはひっそりと行われた。指定された日にウィアンズ侯爵夫妻に付き添われて、王宮に来れば、出迎えた騎士が恭しく挨拶をした。ギャレットは鷹揚に挨拶を受けて頷いた。
「ご案内します」
正式な道ではないためなのか、騎士が案内する通路は狭く入り組んでいた。シュゼットは物珍しくてついきょろきょろしてしまう。こんな通りを案内されるのがとても不思議に思えた。
「今回、シュゼットが側室に入ったことは時期を見て発表されることになった」
そっとギャレットが教えてくれた。
「わたしがいつ入ったのか、わからなくするためですか?」
「そうだ」
その意図がどこにあるのかわからないけど、とりあえず頷いた。難しいことは上の人が考えるだろうから。
「お連れしました」
騎士が一つの扉の前で止まった。声をかけてから、中に入る。
「ご苦労」
通された小さめの部屋には国王夫妻と王太子がいた。シュゼットは直接王族を見ないように少しだけ目を伏せて、促されるまま中まで入る。
「お初にお目にかかります。シュゼットと申します」
教わった通りに挨拶を行い、最上級の礼をする。
「顔を上げよ」
国王の重々しい声に姿勢を戻す。夜会の夜に挨拶をしていたが、こうして明るい場所で見るとまた少し違う印象がある。国王の年齢は40歳だと聞いていたが、とても若々しく感じた。隣に立つ王太子をちらりと見てシュゼットの口元が引きつった。
そこに居たのは、夜会の日に外でぐったりとしていた人だった。十分な明るさはなかったが、整った顔立ちは間違いなくあの夜の人だ。知らなかったとはいえ、無礼な行動になるのだろうかとヒヤリとする。
「ふっ」
シュゼットの表情に笑いを押えられなかったのか、王太子が吹いた。小さく咳ばらいをしているが、なかなか笑いが収まらない。
王太子が自分の顔を見て笑ったのだ。どう反応していいのかわからない。固まった思考の中、シュゼットはちらりと隣に立つ義両親に視線を送る。
ケイティと目が合うとにこりと笑みを向けられた。どうやら無視して澄ましていればいいようだ。
「アンドリュー」
窘めたのは王妃だった。手に持っていた扇で容赦なく王太子の手を叩く。
「ああ、失礼」
「息子が失礼した。さて、署名を行おうか」
婚姻の儀はなく、分厚い契約書が用意されていた。その分厚さに内心慄いていたが、内容確認は侯爵家と王家ですでに行われており、今日はお互いに署名するだけですんだ。側室というのは婚姻とは違う、契約の一種だ。
「これでウィアンズ侯爵家令嬢シュゼット嬢は第1側室となる。王太子によく仕えるがよい」
「謹んでお受けいたします」
短い会話がされた後、シュゼットはアンドリューにエスコートされて部屋を出た。このまま知らないふりをしていけばいいのか、自分から話を振ったらいいのか。判断に困ったシュゼットは黙って彼についていく。
「ここからが後宮の入り口だよ」
アンドリューに声をかけられて、顔を上げた。後宮は王族の生活区域のさらに奥にある。もちろん騎士により警備されており、少し物々しかった。帯剣をした騎士に無機質な目を向けられて、体を縮こませる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だ。彼らは君を守るためにいるのだから」
「わかりました」
シュゼットは何とか頷く。アンドリューは軽く騎士に声をかけてから、後宮の中に入った。
後宮は側室たちが顔を合わせなくて済むような造りになっていた。中心のホールから5つの通路があり、その先がそれぞれの側室に割り当てられるようだ。
「今回は二人だから、隣り合わせならないようにしてある」
「ありがとうございます」
アンドリューのエスコートで与えられた部屋へと入る。部屋はすでに準備され、二人が入れば侍女がお茶を用意する。音もたてずに静かに準備すると、すぐさま侍女は部屋から出ていった。
その素早い行動にシュゼットは驚いた。侯爵家に引き取られてから、義兄であるミゲルとも二人きりになったことなどないのだ。侍女たちに聞かせられない会話などをするときは、ギャレットやケイティなど家族が誰かしらいた。
「王太子と側室だからね。二人でも問題ないんだよ」
揶揄うようにアンドリューが言う。シュゼットはどうしたらいいものかと固まった。側室になると言うことは閨のことをするわけで、男女のあれこれも心配したケイティに教えてもらっていた。
それでもやはり話だけと実際にこれからするかもしれないという状態では全く違う。緊張と少しの恐れで、心臓がバクバクして痛い。
「そんなに緊張しなくても。今は話をするだけだから」
「う……スミマセン」
片言になってしまう言葉に、シュゼットは情けなくなった。
「それよりも夜会の日は助かった。ありがとう」
「王太子殿下と気がつかず……申し訳ありません」
かなり気安く話していたことを思い出し、シュゼットは小さくなった。顔を知らなかったとはいえ、よく考えればあそこに入れる人間は限られていて、自分の考えの足らなさに嫌な汗が出る。
「助けてもらったのは私の方だ。謝る必要はない」
「……あの後、体調は大丈夫でしたか?」
「毒ではなくて、媚薬を盛られたんだ。大抵の薬は慣らして有ったんだが……合わなかったんだろうね、体が火照るよりも気持ちが悪くて動けなかった」
さらりととんでもないことを言う。シュゼットは顔が引きつった。
「媚薬」
「そうなんだ。その媚薬、実はもう一人、側室として入ってくる彼女が盛ったんだよ。証拠がなくて追及できなかったけどね」
「えええ?」
そんな危険人物を側室にするなんて。
驚き固まっていれば、くすくすとアンドリューが笑った。
「まあ面倒くさいよね。だから、君には協力をしてもらいたいなと思っている」
「わたしには協力するメリットがないです」
「あるよ。どちらにしても彼女にしたら君は邪魔だから。私に協力したほうが安全だと思うよ」
「……薬を王太子に盛るような女を相手に勝てる気がしません」
本音がポロリと転がった。シュゼットも必死だったのだ。アンドリューの事情に巻き込まれるなんて、予定していない。それに表向き貴族令嬢っぽくはなっているが、生粋の令嬢に勝てる要素はない。
「大丈夫。協力してくれたら、きちんと守る」
「……お兄さまがアンドリュー殿下は無理を言わない方だから、嫌なことは嫌だとはっきり伝えろと」
ここでミゲルを持ちだした。アンドリューは先ほどから浮かべていた胡散臭い笑みが消えて、考えるような顔になる。
もしかしたら思い直してもらえるかも、とシュゼットは希望を見出した。