後宮への支度2
顔を合わせてため息をついたケイティとミレディをシュゼットは交互に顔を見た。二人とももう一人の側室である令嬢にいい感情を持っていないようだ。シュゼットはその令嬢を知らないので、首を傾げるしかない。
「そのヨランダ・カーチス様に何か問題があるのですか?」
「問題があると言えばあるわ」
「彼女、王太子殿下にご執心なの。社交界でも有名な話よ」
ケイティは息を小さく吐くと、お茶にしましょうと二人の娘を促した。大量の荷物の確認から解放されるのが嬉しくて、シュゼットはいそいそと立ち上がる。
3人が席につけば、美味しそうなお茶と菓子が用意された。シュゼットは嬉しそうにお茶を飲む。そんな彼女を優しい目でケイティは見つめた。
「そもそも貴女が側室として後宮に入ることが決まってしまったのも、彼女のせいともいえるわね」
「そうなんですか?」
「王家も我が家も最初からそんなつもりはなかったと言ったでしょう? お互いに忘れてしまって放置していたぐらいなのだから」
「ヨランダ様が王太子殿下の後宮に入りたくて、我が家のことを嗅ぎつけてきたのよ。今回のことで、王太子殿下はヨランダ様にご執心だと噂も立っているようよ」
ミレディがため息交じりに教えてくれる。どうやら一緒に入る令嬢は普通の令嬢とは違うようだ。
「後宮に入る前からその調子なら、真っ先に体で落とそうとするでしょうね。はしたないわ」
「お母さまの世代にはそう見えるのね」
「噂や夜会での態度を見ていると下品な令嬢だと評価されているわ」
「……ああそれで先ほどの誘惑につながるわけですね」
ようやく理解したシュゼットが明るい声を出す。ミレディはくすくすと笑った。
「そうよ。先に寵愛を受けた方が勝ちだから」
「でも、どうしましょう?」
シュゼットは眉尻を下げて、肩を落とした。
「わたし、発育がよくないから、背も低いですし、体も肉付きがよくないです」
二人の女性は顔を見合わせてから、シュゼットを頭のてっぺんから下まで眺めた。ちなみに、ケイティとミレディはとても素敵な体つきだ。胸は豊かで腰は細く、すらっとしている。男性の性を擽るような体だ。幼い時の栄養不足が影響しているせいなのか、二人に比べても頭一つ分背が低く、華奢で肉付きが薄い。
「そうね、どうなのかしら」
困ったようにケイティが呟いていたところ、ノックの音が響いた。顔を上げれば、ミゲルがいる。仕事が終わってこちらにやってきたようだ。
「深刻そうだね。何か問題でもあった?」
「丁度いいところに来たわ」
「母上? なんか嫌な予感しかしない」
ケイティが満面の笑みで息子を迎えると、ミゲルは及び腰になった。空いている席に座りながら、どこか警戒しているような表情でケイティを見返す。
「王太子殿下の女性の好みを知りたいの」
「は? 殿下の?」
訳が分からなかったのか、ミゲルはぽかんとした顔になった。ミレディが兄にそっと補足した。
「どうやったら、シュゼットを好きになってもらえるかを話していて。シュゼットが自分に自信がないと言うから」
「そういうことか」
理解したミゲルが大きく頷いた。
「感心していないで教えなさい。殿下と親しいのだから、下品な話題ぐらい一つや二つ、交わしたことはあるでしょう?」
「母上。下品な会話はしたことがありません」
きっぱりとミゲルが否定するが、ケイティは取り合わなかった。
「あなた達、病気なの? その年齢で艶事を話したことがないなんて無理があるわよ」
「母上」
病気かと問われて、ミゲルが不機嫌になる。ケイティは息子を心配そうに見つめて、首を傾げた。
「その割にはセシリアと結婚したのだから大丈夫なのかしら?」
「心配に及びません。セシリアとの仲は順調です」
「それで、どうなの? やはりカーチス伯爵令嬢みたいな体が好きなの?」
ケイティに抗議をしているミゲルをミレディは急かした。いつもは穏やかで優しい顔をしているミゲルが引きつっていた。素面で男の本音を言うのは難しいようだ。
「……体よりもまず大事なのは性格じゃないかな?」
「お兄さま、側室なら体で篭絡が基本でしょう? 心をぐっと掴む必要があるかと」
「いや、でも」
言いにくそうなミゲルにシュゼットはしょんぼりとした。
「やはりわたしの体では無理ですか?」
「え? なんでそんな方向に?!」
「お兄さま、慌てすぎです」
ミレディが冷たく言い放てば、ミゲルは気持ちを落ち着けるように大きく息を吐きだした。
「突然すぎるのがいけないんだろう? それでシュゼットは何が心配になっているんだ?」
「わたしの薄い体にこれを着て殿下を誘惑できるかどうか、心配なんです」
シュゼットは席を立つと、先ほどまで見ていた夜着をミゲルに広げて見せた。淡い水色の透けてしまうような薄い夜着だ。ミゲルはテーブルに突っ伏した。
「母上……」
「ほほほほ。これぐらい着ないと、誘惑はできないわ」
「シュゼット、とりあえずそれをしまって」
ミゲルは眉間をぐりぐりと揉みながら、シュゼットに指示した。シュゼットは大人しく持っていた夜着を畳む。
「心配しなくとも、殿下はヨランダ・カーチスを選ばないよ」
「男女のことですもの。わからないでしょう?」
ミレディが兄を不審そうな目で見る。ミゲルは妹の問いを無視して、不安そうにさえない顔をしているシュゼットに優しく告げた。
「シュゼット、殿下は少し拒否されたぐらいで怒るような人ではない。ゆっくりと信頼関係を築いていけばいい。ヨランダ・カーチスのことなど気にすることはないし、嫌なことは嫌だ言っても大丈夫だから」
「でも、殿下にはっきり言うのは不敬になってしまうのでは?」
「はっきり断って、殿下が使えないと思えば侯爵家に帰されるよ。それなら、ここに戻ってくればいいだけだ」
ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。
「……ミゲル。後でお父さまの執務室へいらっしゃい」
ケイティが目を細めて、固い声を出す。何やらその不穏な空気に、シュゼットが不安そうに体を揺らした。
「母上が思っているようなことは何もありませんよ」
「もう面倒だから、今から行くわよ」
ケイティは立ち上がると、ミゲルを連れて部屋を出た。ミレディと二人になったシュゼットは二人の間に何があったのか、さっぱりで呆けていた。
「心配しなくとも大丈夫よ。何かあったらすぐにここに帰ってくる。それだけ覚えておけばいいの」
「今更ながら、怖くなってきました」
「寵姫になろうとか、迷惑にならないようにとか考えなくても大丈夫。侯爵家は簡単に揺るぐような家ではないし、貴女が王家に対して反意を持たない限り心配ないわ」
「お義姉さま、ありがとう」
ミレディに励まされ、シュゼットの顔に少しだけ笑顔が戻る。シュゼットはもやもやとして不安を無理やり心の底に押し込めてから、確認作業を開始した。