王太子の側室になります
いつもと変わらないある日、ギャレットに執務室へ来るようにと呼ばれた。滅多に入ることのない執務室に足を踏み入れれば、驚きのあまりについ立ち止まってしまう。
「あの?」
執務室にいるのはギャレットとケイティ、それにミゲル、セシリア、ミレディもいる。家族全員が深刻そうな顔をして座っていた。
「シュゼット、そこに座りなさい」
ミレディの隣の席を示され、とりあえず座った。どこか葬式のような雰囲気があるのだが、聞いていいことなのかどうかがわからない。
「今日、陛下から手紙が届いた」
「はい」
シュゼットはその切り出しが何を意味しているのか、分からなかった。首を傾げていても、誰も教えてくれない。ギャレットが陰鬱な顔をして続ける。
「シュゼット、君に王太子殿下の側室としての打診があった」
「側室?」
理解できない言葉を聞いて目を丸くした。ミレディが気の毒そうにシュゼットの手を握りしめた。
「ごめんなさいね。早いうちにお断りしておけばよかったわ」
「あの、全く話が分からないのですが?」
ギャレットが深くため息をついた。
「迂闊だった。実はミレディは元々王太子殿下の正妃候補だったのだ」
「……それとこの話はどうつながるのでしょう?」
ミレディが王太子妃候補であったのはすんなりと理解できる。それほどミレディは美しいし、教養もあった。話術も巧みだ。ただ、彼女は足が現実がどうであれ、不自由なことになっている。
「ミレディは14歳の時に他の候補者から妬まれて、階段から突き落とされてしまったの」
ケイティが辛そうな表情で話し始めた。所々、誰かが補足しながら当時のことを話していく。
要約すれば王太子の正妃候補であったのだが、同じく正妃候補だった令嬢にバルコニーから突き落とされて、足に怪我をした。かなりひどい骨折だったらしく、歩くことが不可能……ということになっている。
普通ならそのまま婚約は解消されるのだが、事情が事情だけに侯爵家から一人令嬢を第1側室として後宮に入ることが確約されていた。
この国では跡継ぎが生まれない等の理由がない限り側室を立てることはないのだが、王家の管理下で起こった事件であったことを理由に特例が認められたらしい。ただし、選択肢は侯爵家が持っており、断ることも可能だった。
すべてを聞き終わっても、シュゼットにはどうして自分が側室になるのかが理解できないでいた。
「お義姉さまのために側室という立場を与える予定だったのは理解しました。でもそこからどうしてわたしが?」
「先日の夜会の時、ミレディは体調が思わしくないため領地に戻ることを伝えたことで、終わる話だった。ところが、何をとち狂ったのか、陛下がミレディの代わりにお前を側室にすればいいと」
ギャレットがため息をついた。若干変な言葉が混ざっていた気がするが、シュゼットは聞き流す。
「無理に側室になる必要はないわ。王太子殿下の側室であってもやはり心の通い合った結婚とは違うもの」
ミレディがそう告げれば、ミゲルも頷いた。
「そうだ。シュゼットを窮屈な王家に入れる必要はないと思う」
シュゼットは徐々に現実を理解していった。どうやら皆、シュゼットが好きに生きられる方がいいと思っているようだった。貴族家に迎え入れられたのに、当然の義務を果たせと言わない義理の家族に心が温かくなる。
でも、同時に忘れていた言葉がむくむくと心の中に蘇ってくる。
そう、あの占いだ。
シュゼットは自分でも不思議なくらい、わくわくした気持ちになってきた。
側室になったら、寵姫になれる可能性だって出てくる。
あの時の夢が叶うかもしれない。
「この家のことは気にしなくてもいいわ。だからシュゼットが自分で考えて結論を出してほしいの」
「我々は君が幸せになることが一番大事だ。それを忘れないでいてほしい」
シュゼットの心を知らないまま、皆心配そうに言葉を重ねた。
「王太子殿下の側室になるのは不幸になることなんでしょうか?」
あまりに窮屈だと言うので、聞いてみた。側室という言葉を知っていても、実際に側室になると言う意味がわかっていない。シュゼットはその心配がどこから来るのかわからなかった。
セシリアがシュゼットの疑問がなんであるのか理解してくれたのか、丁寧に説明してくれる。
「王太子殿下の正妃は隣国の王女と決まっているの。ミレディが怪我をして、婚約者候補たちが解散になった後に隣国がねじ込んできたのよね。だけど、年の差があるので、嫁がれるのは3年後になるわ」
「その上、今回側室として声をかけられたのは我が侯爵家と伯爵家なの」
言葉を補足するようにミレディが告げた。もう一人の側室がいると聞いて、シュゼットは目を丸くした。
「わたし、1人ではないと言う事ですか?」
「そのあたりは仕方がないのだ。政治が絡んでくる」
ギャレットがため息をついた。
「政治が絡むなら、わたしが断るのはまずいのでは?」
「あなた」
ギャレットが隣に座るケイティに強烈な肘鉄を食らっていた。どうやらシュゼットに話していない内容があるようだ。シュゼットはじっと真面目な顔をしてギャレットを見つめた。
「本当のことを教えてください。わたしはあの生活からここへ連れてきてもらえてとても幸せです。ですから、家族を嫌な立場にしたくないです」
真剣に見つめられて、ギャレットの方が折れた。肩を落とし、大きく息を吐く。
「本来なら側室なんていらないのだよ。婚約者は年が離れているし、いつまでも待たせるのは王太子殿下が気の毒だ、とどうでもいいことを言ってくる輩がいてな。どんな手を使っても、関係を作ってしまえば正妃になれるのではと手段を選ばない令嬢が一定数いて、王家の方も困っていたのだ」
「ある程度は排除できたと思っていたら、今度はミレディの事故の時の約束を掘り出してきたんだよ。それに乗っかる形で伯爵家が名乗り出ている」
要するに、元々王家も侯爵家も側室なんて考えていなかった。野心を持つ令嬢を排除できたと思ったら、ミレディの事故による特例を見つけた。撤回されていなかった特例を盾に、侯爵家だけではバランスが悪いともう一人押し込んできたという事らしい。ここで侯爵家が断ると無理やり入ってきた伯爵家が一人勝ちしてしまうようだ。
「そのような事情なら、わたし、側室になります」
「無理はしないで。嫌なら断ってもいいのよ」
心配そうな顔をしてケイティが優しく言う。
「そうよ。もう一人側室が入るなんて、争いが前提なのだから」
ミレディもとても不安そうだ。ミレディ自身が他の令嬢の嫉妬によって害されているのだから余計心配なのだろう。シュゼットは義母と義姉に笑って見せた。
「お義姉さま、わたしはあのおばばの占いで王の寵姫になると示されています」
「でも」
「顔の中に目が二つ、鼻と口が一つ。暴力を振るわない人で、王太子の肩書があれば、大丈夫です。欲を言えば、病気はうつらないものであってほしいぐらいです」
そう告げれば、皆同時にため息を付いた。セシリアは困ったようにシュゼットの問いに答えた。
「暴力は振るわないと思うわ。病気も聞いたことはない。王太子殿下はとても穏やかな人で優しいとは思うけど……」
「十分です。知らない人とお見合いするよりもいいかもしれません」
「ちょっと意味が違うのだけど……愛し愛された幸せはいらないの? 側室となるからには、男女のあれこれもあるのだから……」
セシリアの言葉に、シュゼットは目を丸くした。
「セシリア義姉さま、前に言っていたことと矛盾しています」
「わたしはいいのよ。貴族令嬢として育ってきているのだから。でも貴女は違うでしょう? 義務じゃなくて幸せになってほしいと思っているのよ」
諭すように言われて、シュゼットは首を傾げた。
「愛ではお腹はいっぱいになりません」
「え、っと。基準はそこなの?」
「はい。みじめですよ。毎日毎日洗濯しながら、お腹を空かせて夜のごはんの時間を待つのは」
皆は知らないのだ。あの凍えるような寒さといつまでも解消されない空腹感を。
「……では、引き受けると言うことでいいのか?」
「もう少し考えたら? とても苦労すると思うの」
苦虫を嚙み潰したような顔でギャレットが確認し、ケイティはもう一度考えるようにと諭す。家族が心配そうなので、吹き飛ばすようにあえてシュゼットは明るく言い切った。
「見ていてくださいませ。雌豚など蹴散らしてみせますわ!」
「僕は反対だよ。ミレディだって辛い思いをしたのに、その上シュゼットまでなんて」
拳を握りしめて意気込んだシュゼットにミゲルが低い声で意見した。シュゼットはミゲルを見つめ、にこりと笑った。
「心配いりません。わたし、とっても運がいいんです。きっと何とかなります」
シュゼットのまったく先を考えていなそうな言葉に、ため息が漏れる。
「ああ、うん。そうね」
「とても心配だわ」
「大丈夫です。皆さま温かく見守っていてください」
安心させるように力強く言えば、余計に困ったような顔になった。
「……困ったら逃げていらっしゃいね。この家はいつでもあなたを待っているから」
「逃げるなんてとんでもない。側室の頂点を極めます。そして誰よりも高級なパンとクッキーを食べてみせます!」
「高級なパンでもクッキーでも好きなだけ私が食べさせてあげられるけど……」
ぼそぼそとギャレットが言う。
「嫌ですわ。お義父さま。後宮で食べるからいいんじゃないですか。値段が高そうで。きっと味が違うと思うのです」
こうしてシュゼットの後宮入りが決まった。