女幹部トロイメライは仕事に悩む
「くっ……!」
「しっかりして、リヒト!」
数メートルはあろう怪物に、光を放つ剣をはじかれ、膝から崩れ落ちる少年に少女が駆け寄った。
その姿を1人の女が高台からムチを振るいつつ見下ろしていた。
女は紫のグラデーションがかったウェーブの髪に、頭頂部の髪をリボンのように結び、子供のような可愛らしい顔とは反対に、露出の高い胸元を編み上げた赤い衣装を着ている。
肌を隠すような大きい黒マントは風になびいていた。
「アハハハハ! 無様ねぇ光の戦士リヒト! さっきまでの威勢はどこへいったのかしら!」
「トロイメライ……! あなただけは許さない!」
少女はボロボロになりながらも立ち上がり、トロイメライと呼ばれた女に杖を向けた。杖の先端に飾られてあるオパールがたちまち輝き、少女の周りには光をまとう風が吹き出した。
トロイメライは負けじと怪物にムチを叩きつける。
「もう1人もやっちゃいなさい!」
黒い闇につつまれた、バクのような見た目をしている怪物が少女を踏み潰そうと勢いよく足を振り上げる。
あともう少しで潰されるそのとき、少女が張り裂けるような声で叫んだ。
「光よ、この手に! シャンデライト!!」
そう言ったとたん、杖はいっそう強く光り、辺り一面が眩しい光に覆われた。
「悪の組織『ロンド』の幹部、トロイメライ。ただいま帰還しました」
明かり1つ存在しない真っ暗な部屋でトロイメライは虚空に向かって言った。
その言葉を受け、彼女の目の前に黒いフードを被った男が霧にまぎれてどこからともなく現れた。男は指を鳴らし、出現した玉座に堂々と座る。
「またやられたのか」
低く威厳のある声がトロイメライの脳内に直接響く。彼女は下唇を噛みうつむいていたが、数秒の沈黙の後なんとか「はい」と絞り出した。
男は深いため息をつく。
「我が組織が成そうとしていることは覚えているな?」
「ハッ! 憎き人間を夢の世界に閉じ込め、人間が活動しない平和な世界に作り上げることです!」
「それなのに2人の子どもすら片付けられないどころか、10人の人間を夢に閉じ込めることさえできないとは。全く……」
男は苛立つというより呆れた様子で、イスの肘置き場を人差し指でコツコツと叩く。
このままでは評価が下がってしまうと焦ったトロイメライは声を上げた。
「ですが! 光の戦士の登場など前例にないため対策のしようが」
「口答えする気か?」
フードからちらりとのぞく目は鋭く恐ろしく、有無を言わさぬ迫力があった。その目にトロイメライはつい怯んでしまう。
「申し訳ありませんファンタジア様!! 次こそは」
「もういい。下がれ」
最後まで言うことも出来ずに、トロイメライは拳を握りながら一礼をし、部屋から退出した。
扉を閉めるころには、もうファンタジアという男は玉座もろとも消えていた。
エレベーターに乗り、3階のボタンを押す。
この組織の拠点は結界が張られたビルだ。悪の組織の関係者と、たまに来る清掃のおばちゃん以外の人間は入れないようになっている。
しかし今回は運悪く、清掃のおばちゃんと一緒にエレベーターを乗り合わせてしまった。トロイメライはさっきのファンタジアの会話で暗闇の中こっそり泣いてしまい、目が赤くなっているためあまり人と鉢合わせたくはなかった。
「あの、何階ですか?」
「同じだよ」
「分かりました」
どことなく気まずい空気と、こちらをうかがうような視線に押しつぶされそうにながら3階までじっと待った。
無事に目当ての階に着き、何も言われなくてよかったとトロイメライが胸をなでおろすと、おばちゃんは掃除用具を運びながら声をかけてきた。
「何かあったの?」
トロイメライは赤くなった目を見せないようにと目元に手をやりながら答えた。
「大丈夫ですから」
「大丈夫ったって……。そんなに泣いてるの見過ごせないよ。おばちゃんお節介やきだからね。仕事うまくいってないのかい?」
おばちゃんはそっとトロイメライの背をさすった。
厳しい肉体労働、悪の組織という愚痴もはけない職業、共感されない大変さ、崇拝する上司からは認められず、敵ばかりが称賛を浴びる日々……。
確かにこの境遇に身をおいたのは自分自身だし、退職したいとも思わない。しかし、辛いものは辛かった。
トロイメライはおばちゃんの手の暖かさにそっと涙をこぼし、ぽつりぽつりと本音を言い始めた。
「ノ、ノルマがこなせなくて……。1日に10人の人間を夢の中に閉じ込めなくちゃいけないんですけど、途中で敵に邪魔されて……。上司からは毎日怒られるし、対策のマニュアルとかないし、一般市民からヤジが飛ぶし、せっかく召喚した怪物もすぐに消されるし。光の戦士がよく出るからって同じ場所にばかり行かされて、ロンドンとか行ってる仲間もいるのに……」
「大変よねぇ。こんな若いのに。嫌になったらやめてもいいのよ? 光とか悪とかおばちゃんよくわかんないんだけどね、何かあったら呼んでちょうだい。上の人におばちゃんが抗議するから!」
「ありがとう、ございます」
久しぶりに人の優しさに触れた。すべてが敵のこの業界では心が休まることなど、たった2、3人の仲の良い仲間と話すときだけだった。
トロイメライは涙をぬぐい、おばちゃんにお辞儀をした。
おばちゃんは柔らかく笑うと安っぽいブレスレットを静かに手渡した。なんなのか分からず、黙って受け取り空にかざしてみたり舐めるように見る。
「これね、幸せが訪れるブレスレットなんだけど」
「はぁ」
そこでトロイメライは嫌な予感がした。おばちゃんの笑みからは優しさがなくなり怪しさが浮かび上がる。
「これ買ってから宝くじとか当たったり人生がぱぁっと明るくなったのよ! あなたみたいな仕事で行き詰ってる子にすすめたら、転職先がすんなり決まってね! その子もすごい顔がすっきりした感じになって。で、これ買ってみない?」
「……いくらですか」
「5万くらいかしら」
「ありがとうございました!」
トロイメライは90度曲げた深いお辞儀をしたあと、手にしたブレスレットをおばちゃんに無理やり返して、全力で自分の部屋目指してダッシュした。
「分割払いもアリだよ~!」
そんな言葉を無視しながら。
「やっぱり人間なんて滅びるべきよ!」
トロイメライの心からの叫びは、むなしく廊下に響いた。
しかしそのブレスレットのおかげかどうかは知らないが、彼女のやる気は満ち溢れ、次の日には組織で1番の成績をおさめたそうだ。