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少年のおどりば

作者: 江瀬夏 才時

「ふざけんなこの野郎、ガキの使いじゃねぇんだよ」


 怒声が聞こえて、少年はおもわず笑ってしまった。それは、歩道橋の反対側の階段を上がりながらスマホで通話している男の言葉だった。

 このままだと、男が階段を上がりきるころにすれ違うだろう。それまでに表情を元に戻さなければならない。


 なにせ男の横顔はとても人相が悪い。少年の母親がいつも、あんな大人にはならないでね、と言うのは"あんな"大人だ。優しい普段の顔とは一変して真剣な表情で、関わらないように気をつけなさいとも言う。


 どすん、どすんと階段を踏みしめながら迫り来る巨漢は、少年の体重の3倍くらいはありそうだ。先端だけ茶色の短髪、黄色のサングラス、色とりどりのやたらと派手な迷彩柄の上着、だらしなく尻下まで下がったままのジーンズ、道幅をいっぱいいっぱい使った高圧的な歩き方、なぜか今は少年にはそのひとつひとつがキラキラして見えた。


(ガキの使いじゃ……)

 目があったときにニヤニヤしているとマズイなと思うが、ダメだ。思いだすだけで声を出して笑ってしまいそうになる。


 階段でならば目をあわさずにすれ違うことができるかもしれない、と少年は歩を速めた。

 当の男はスマホを耳にあてたままで、左手で口もとを押さえて静かになった。足もとを見ながら上がってくる。


 階段を下り始めた少年は、よし大丈夫だ、と思い無意識に口もとを緩めてしまった。

 その瞬間、男は踊り場で向きを変え、視線を上げて少年と目があった。

 しまったと思い、少年はすぐさま目を逸らし、階段を最後まで駆け下りた。まだ背負い慣れていないランドセルは何度も左右に揺れた。


 すれ違う瞬間、少年ははっきりと身を縮めたが、男も左に身を躱してくれた。

 歩道橋を下りきった少年は、そのことが気にかかった。男が避けてくれたのはこれまでの印象とは大きく違ったし、目があった瞬間の男の顔が全く怖くなかったことに驚いた。


 ともかく今は、家に帰ってあの言葉をノートに書くんだ、と少年は歩道橋と男の方を振り返ることなく走り続けた。



 少年の学級では、ものまねが近頃の流行りだった。特に多いのが大人の口癖をまねすることだった。

「ちょっとシツネンしました……」

「うん、それもシカリ……」

「シッケイ、シッケイ……」

 曖昧な表現や意味の分からない言葉が人気だったが、先生たちは一通りネタにしたので、味気なくなってきたところだった。

 何か新しい刺激を求めているといろいろと新語が出てくるが、雷のような輝きを放つ言葉はなかった。そんなときに出会ったのがあの言葉だった。

 少年の心は弾みに弾んだ。



 少年が家に帰ると母は外出していた。少年はランドセルを置き捨て、洗面所に駆け込み、電気もつけずに鏡に向かって何度も練習してみた。

「ガキの使いじゃねぇんだよ」


 しかし、思いのほかしっくりこない。すると次は、父の部屋からサングラスを持ってきて、それをかけてやってみた。

「ガキの使いじゃ~、ねぇんだよ~」


 オシャレとは言い難い真っ黒な登山用ではあったが、ぶかぶかな具合がなかなか良い。

 これは面白い、絶対に皆を笑わせられる、と少年は鏡の中の自分に酔いしれた。サングラス越しの自分はニヤついている。


 そういえばあの人も同じような顔をしていたような気がする。もしかするとあの人も誰かの真似をしてみたのかもしれないと思うと、茶髪も派手な上着も魅力を帯びはじめた。


「ただいま~」と、玄関で母が言った。

 少年はとっさにサングラスをタオル棚に隠し、おかえりなさいと返して電気をつけた。



 翌日の学校で、朝一の授業が終わり、休憩時間になると、少年は仲の良い友達を数人、教室の一角に集めた。そして、一人芝居をうってから、自信満々に大きめの声で言った。

「ガキの使いじゃねぇんだよ」


 言った瞬間、少年は再び自分に酔った。時が止まったかのような、永遠の達成感を噛み締めた。


 これでどうだ!


 しかし、止まったのは時ではなく友達だった。皆の表情は硬く、少し赤らんでいたようだ。

 その後、少年の学級にものまねをする者はいなくなった。


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