第六話 魔界に湧き出た奇跡の湯‼
バシャバシャと音を立てながら弾けるお湯の粒。
その中から聞こえる叫び声に俺は耳を疑った。
そもそもこの役目をブライに割り当てたのは熱変動に絶対的な耐性を持つ〝竜鱗の鎧〟があるからだ。
しかし、湯船の中から聞こえる絶叫は全く予想と違うものだった。
「アチャチャチャチャ! 焼ける! 出してぇ!」
熱が利かないとは思えぬほど取り乱し、お湯の中で暴れるブライをディアモンが摘まみ上げた。
「お前、何言ってんだよ? お前の龍鱗装甲は熱を完全に遮断できるんだろ? だったら――」
肩で息をしながら涙と鼻水を垂れ流すブライに魔法で生成した水を掛けながら言うと、ブライは立ち上がりお湯を指さす。
「このお湯はヤバいっす! 俺のスキルや魔法を無効化しやがった!」
「何だと? どういうことだ?」
「翼が広げれなかったから、魔法で脱出しようと思ったんすよ! でも、何を発動しても掻き消されちゃうし! なんと龍鱗装甲が役に立たなかったんすよ!」
魔法やスキルを無効化する力を持つお湯!?
そんな事が本当にあるのか?
俺たちが思案に暮れていると、後ろの方から声がした。
「恐らくですが、魔王城地下の鉱脈が関係しているのかと思いますね」
その声の主はクレイアだった。
「何だ、お前も来ていたのか?」
「えぇ、この液体の正体を確かめることも魔王城の復興には大事なことですから。しかし、魔王様の無鉄砲具合には少々呆れてしまいましたがね……」
クレイアは首を横に振りながらやれやれといった表情を浮かべる。
「んで? 魔王城の地下がなんだって?」
「魔王様には昔、お教えしたと思いますが……まぁ、いいでしょう」
クレイアは俺に冷ややかな目を向けると説明を始める。
「この魔王城の地下には豊富な鉱脈が巡っているのです。その鉱脈の恩恵でこの魔王城周辺は魔力に満ち、我々が一番活動しやすい環境となっております。この湯がそこを長年伝って来た物だというならこれほどの魔力を内包しているのは納得がいきます」
あぁ、確かにそんな話を聞いたことがあった気がする。
タキの話では地面の中の鉱物とかの成分が溶けだしたお湯を温泉っていうらしいからこれは〝温泉〟と言って差し支えないという事だな。
「これだけ豊富に魔力を含んでいるお湯に入ればスキルや魔法などが発動しなくなっても全く不思議ではありませんね。簡単に言えば霊薬に使っているようなものですから……」
なるほどなぁ、それなら魔法が溶けたり、スキルが発動不能になったのも納得だ。
「でも、危なくないんすか? スキルが発動しないなんて……」
「そう言うなら、ブライ。お前の身体を見てみることだ」
クレイアがブライを指さしたので全員の視線がブライへと集まる。
「この温泉の温度は100℃を優に超えています。龍鱗装甲が発動していない状態でそれだけの高温に浸かればいくらドラゴニュートとは言え、火傷の一つでもするはずでしょう。ですが……」
ブライは身体をくるくると回して見ているが、火傷どころか傷すらない。
こんなお調子者ではあるが、ブライも歴戦の戦士の一人。
身体には多くの古傷を抱えていたはずなのだが、それすら消え失せている。
「す、すっげぇ! まるで卵から出たてみたいにピカピカっすよぉ!」
「この超濃密度の魔力の湯に浸かるという事は体中に付与された魔法・スキルの影響を排除し、傷がある場合は瞬時に補填されるという事のようです。まさにフルポーションとフルエリクサー、各種状態異常回復薬を全て混ぜたようなものという訳ですね」
「え? そんなものに入って大丈夫なの? 特に人間みたいに魔力とは縁遠い種族とか……」
魔力を溜め込み過ぎてドカンッ! なんてことになったら――
「その心配はありませんよ。直接的に身体の中に取り込む訳ではありませんし、四肢欠損した戦士を回復薬漬けにする事なんて人間界でもよくありますからね。そういったことでの副作用は報告されていませんので……」
「か、回復薬漬け……」
タキはクレイアの言葉を聞いて顔が引き攣る。
まぁ、別世界から来たタキにとっては衝撃的だったかもしれないが、この世界では普通に使われている治療法だ。
ただ、気持ち悪いんだよねぇ……ガサガサぬるぬるって感じでさ。
俺たちがそんな話をしている時、誰かが俺の肩を優しく叩く。
俺が振り返るとディアモンがその図体に似合わないほどのソフトタッチで俺の肩に指を置いていた。
「ウゥゥ! ガァグ!」
「え? お湯をかき混ぜて冷ましたって? お前熱くなかったのか?」
俺がお湯に浸かっているディアモンの指を気遣うと、ディアモンは胸を大きく張る。
「ディアモンの指は元々岩石でできていますからね。熱にはスキルとか抜きで強いのでしょう」
クレイアが納得している横で、俺は巨大コップを覗き込む。
さっきまで視界が真っ白になるほど上がっていた湯気は弱まり、グツグツと煮え立っていたお湯は静かに俺の顔を映していた。
俺は恐る恐る腕を入れてみる。
一瞬ジワッとする感覚に顔をしかめたが、その後は腕を包む熱くも心地よい感覚にドンドン腕が慣れていく。
なんて心地が良いんだ……
俺は辛抱たまらずに両手でお湯をすくい上げると顔へと運ぶ。
バシャバシャと頬を流れ落ちていくお湯と濡れた素肌を撫でていく風が何とも清々しい気分にさせてくれる。
ただの水浴びとは全く違う充足感。
さらには勇者との戦闘でついた細かい傷が癒え、ヒリヒリとした痛みが消えていく。
これは素晴らしい!
俺の一連の行動を見ていたタキは俺と同じように湯に手を入れる。
タキは少しかき混ぜるように手を動かすと、お湯を摘まみ上げるように指を擦った。
「少しとろみのある滑らかなお湯。私が知っているどの温泉とも違う不思議な感覚だわ……でも、すごく気持ちいい」
タキは不思議そうにお湯を見つめ、不意に笑顔を浮かべる。
その横顔を見た俺は訳もなく赤面し、目を逸らしてしまった。
「マグナさん、この湯は本当にいい温泉になると思います! 気持ち良いだけじゃなくて、傷も治るとなればきっと大人気ですね!」
「そ、そうだな! よぉし、これで温泉旅館計画が現実味を帯びて来たぞ! もっと詳細な計画を練る必要があるな!」
俺とタキの話を聞いていたブライとディアモンは拍手をしているが、クレイアだけは未だに仏頂面を崩さない。
「はぁ、遂に反対する理由がなくなってきましたね……それより異邦人! 貴様、魔王様を名前で呼んだな!? 無礼ではないか!」
「おい、お前こそ言葉に気を付けろ! 彼女はこの魔王の計画の要だぞ! 客人として最大の敬意を払え! これは魔王の命令だ!」
俺はタキに詰め寄るクレイアを制止すると厳しい口調で告げる。
クレイアは未だ不満げだったが、タキに会釈をしこの場を去る。
「悪いなタキ。悪い奴じゃないんだが、真面目過ぎでね」
「い、いえ、私が悪いんです。皆さんの前で魔王さんを馴れ馴れしく呼んじゃったから……」
「タキさんは気にしなくていいっすよ! マグナ様は堅苦しいの嫌いっすから! ねぇ、マグナ様!」
そう言いながら肩を組んでくるブライ。
間違っちゃいないんだが、こいつからは魔王に対するリスペクトが全く感じられないんだよな……
「お前は少し自重しろ!」
俺がブライの頭を小突くと周囲は笑いに包まれたのだった。