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「魔王が倒れ、戦争がはじまった」  作者: 松脂松明
第3章ー孤独の時代
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終わりの穴

 これはある一人の戦士の物語だった。

 遠くの国から人を助けに来た、無骨だが優しい戦士。


 素晴らしい仲間たちと共に歩んで、輝かしい功績を打ち立てた。

 誰かのために戦い、誰かを殺した。誰かのために素晴らしい世界を目指して、誰かの世界を壊した。誰かの味方になりたかった。誰かの敵になりたかった。

 そうすれば誰も悩まない。


 世の中はとても複雑だから、みんなが悩んで騙される。だったら全てが単純であればいい。

 苦しいのは変わらなくとも、悲しみは減るだろう。誰かを殺してしまったことを悔いなくても良い。それは最初から決まった敵だから。

 誰を助けるかどうかに頭を使わなくても良い。貴方の味方は最初から決まっていて未来永劫変わらない。


 “なぜ”そんなことを思ったのか。“なぜ”を無くしてしまった戦士を誰も倒せはしなかった。

 遠い国から来た戦士は、人間を信じていた。倒すべき相手がいる限り、決して絶望しないで進み続ける人の強さを信じていた。


/


 褐色の肌に穴が開く。

 異形の使う聖剣は聖光を放出する。それを知らないクィネは刀身の長さを見誤り深手を貰った。わずかに体をずらして正中線を避けることには成功したものの、代償として重要器官の詰まった腹を抉られた。



「素晴らしい……! 物言いは気に食わないが、お前は最高の剣士だ。ここに来て単純にして効果的な技。技巧派と信じる俺の隙を突いたか」



 どぼどぼと、汚泥か溶けた金属でも流れ出るような音を伴って、腹から人の血肉と黒い魔族の内臓がこぼれ落ちた。これで三度目(・・・)の致命傷である。

 融合した魔族が上質ではあるが最高でもないクィネにとっては……再生が可能なギリギリの一撃だった。次に貰えば再生が追いつかずに崩れ落ちるだろう。



「相打ちかな? それとも俺の負けかな?」

「相打ち……と言いたいところだけど、僕の負けだろう。もう治らない……やっぱり強いな、キミは。僕は結局、剣では君に及ばないままだった」



 敵わないな。クレスの目は清々しい輝きに満ちている。

 現在の凋落は許せずとも、かつての友の剣という輝きだけはそのままに残っていたのだ。やはり彼はセイフであったのだという証拠こそが、己の身に刻まれている。


 そう語る異形クレスもまた脇腹が裂けている。クィネは己に穴を開けられた際に、あろうことか一歩前に出て一撃を放っていた。切り裂かれた分厚い甲冑の隙間から血が滝のように溢れ出している。神秘が付与された鎧を紙切れのように切られたことにも、もう驚かない。


 これでクレスは都合五度目(・・・)の致命傷だった。


 元剣聖からの斬撃の痛手も勿論軽くはない。だが彼自身が用いる聖なる武具と聖光こそが元勇者を蝕んでいる。クィネよりも上等な魔神の肉体ですら既に限界である。

 彼が予測した通りにやはり一歩及ばない。かつての友は正しく最強の魔王であった。



「さて……では続きと行こうか」

「全く……ここまで変わらないと清々しいな。限界だと言っているだろう? 正直なところ、立っていられるのが不思議なのに、まだ油断するに当たらないと来るか」



 構え直したクィネは先程までと同様に、好敵手へと全力で集中していた。

 立っているのが精々ということはクィネにも分かっている。だが、これほど追い詰めても尚立っているという事実こそが敵手の非凡さを示している。

 相手は既に限界だから手を緩める? 馬鹿な、逆だろう? ここまでしても倒しきれなかった相手だ。必ず限界を超えてくる。


 そう思うクィネを前にクレスは別れを告げる。



「僕は本当にここまでだ。あの子の償いに手を貸すと誓ったからね……ここで消え失せるわけにもいかない。僕の負けだ、セイフ。そして……彼女達真っ当な(・・・・)人々の勝利だ」

『渦巻け森羅。ここに――全てを織りなし裁きと化せ――〈渾然渦〉』



 クレスの言葉が終わると同時に高ぶる何者かの魔力。

 今や魔を宿す身であるクィネではあるが、好敵手との戦闘の最中にそれを今更ながらに感知した。どこから発せられるものかを判断する前に見えぬ敵の術は完成していた。


 ありとあらゆる属性の氾濫――それはかつて彼を襲ったはずの暴威。しかし既にセイフと決別した存在はそれを思い出すことができない。


 いかにセイフ……クィネが自ら罠に飛び込んでくると言っても、ここまでの道のりは軽くは無かった。全てはここに誘導するまで、クレスの生命が保つかどうかにかかっていた。

 しかし無理を押し通すからこその勇者。肉体を魔族と変えても、魂にその気力は健在。見事にその期待へと応えてみせた。



「なら今度はわたしの番よねー。こうなってしまって本当に残念だけれど、あなたの負けよセイフ」



 伏兵、大魔女サリデナールはこれまでの中で最大の術を放つ。

 〈渾然渦〉……魔王が居城で見せた単純にして最高の破壊術。それを人の身で行使してのける。



/


「むぐぉおおおぉぉぉ!? 魔法使いか! しかし、この威力は一体……!?」



 常は見せぬような必死の形相で堪えるクィネ。

 足を固定し、腕を地面に突き立てて吹き飛ばされることを辛うじて防いでいた。人間の肉体ならばその風圧だけで四肢がちぎれ飛ぶであろう少竜巻を懸命にこらえる。


 一方、同じ場所にいたクレスはそれを受け入れる。風に舞う枯れ葉のように吹き飛ばされながら、多大な損傷と引き換えに戦線を離脱した。


 しかしクィネにそんな自由は無いし、受け入れる気も無い。好敵手の策を見事と内心で褒め称え、新たな敵の力量を認めた。



「おお……! 舐めるなよ、しゃらくさいわぁ!」



 常識外の膂力をもってして足を地面に打ち込むクィネ。そこを軸にして放たれるのは奇しくもかつてのセイフと同じ対抗策……斬魔の一剣。

 いまやその領域すら踏み越えて斬滅の域にまで至った一撃によって、敵の魔術そのものを消滅させる。そしてそれは融合個体クィネにとっては不可能ごとではなかった。


 霧散していく虹色の旋風。それと同時にクィネは跳躍した。狙うは新たに現れた敵魔術師。一際高い建物の屋根上で佇む彼女に一刀を叩き込むべく……



「いや、本当に反則だわーその剣。こうもギリギリだと流石に心臓止まりそうだわぁ」

「なに……!?」



 妖艶なる魔女。大曲刀はその首筋に触れたところで、ピタリと停止している。否、剣のみではなくクィネ自身も……これはいかなる魔術なのか。

 さらには凄まじい勢いで引き戻されて、最新の魔王は地面に叩き伏せられる。



「これは……何だ! 穴だとでも言うのか!?」

「そう。それは穴よ。魔族と呼ばれた存在の故郷……世界の裏側への入り口。ひょっとしたらあちらが表でこちらが裏なのかもしれないけれど……かつて魔王が開き維持していた穴。ここはこの国の中心……そして今や塔が倒れて壁はない。余りに余って行き場を失う膨大な魔力……その手綱を握ればこんな真似も出来る。ごく短時間だけどねー」



 クィネの落ちた場所を起点として黒い円が広がっていく。奇妙なことにクィネには石畳の感触がしっかりとあるのだ。だが、あるはずのない穴に引き戻されるようにどこかへ(・・・・)落ちていく。クィネは地面に得物を突き立てて懸命にしがみつく。



「塔国の兵は勿論のこと……私達全員でも貴方を止めることはできない。それは分かっていたことよー。ならば話は簡単。倒すのを諦めればいい」

「何だそれは……! ふざけるなよ!」


 

 勝負を放棄する気か!

 その憤りを無視して、大魔女の述懐は続く。



「貴方は確かに魔王。でもそれは実力での話であって、貴方が魔王という種族に変わった訳ではないの。剣しか使えない貴方には穴を開くことも、楔を打って維持することもできない」

「くそっ! 落ちてたまるか! 勝負も付いていない……全てが黒白に分かたれていない!」

「魔族の肉体を持つ者は故郷へと引き戻されていく……かつて魔王が倒れた時、多くの魔族がこの世界から忽然と消えたようにね」



 黒い穴は広がり続ける。

 クィネはその光景に初めて恐怖を覚えた。敵の技量に対しての恐怖ではない。目的が半ばで中断されるという恐怖だ。

 失敗するのならば良い。負けて死ぬのも怖くは無い。だが、周囲全てから無かったことにされ忘れ去られることなど……



「私達は友達で仲間だった。貴方を殺したくも無かった……でも貴方はこの世界を壊してしまう。その気概と善意で、全てを切り裂いてしまう……」

「認められるか! これが俺への救いだとでも言うつもりか! 友だったというのなら共に歩め! そうでないなら俺を憎んで殺しに来い! そのどちらでも無いから……俺を異界へと送り込んで済まそうと?……何だその中途半端はぁ!」



 今や世界へと繋がる蜘蛛の糸となった大曲刀。その柄を握りしめて、魔王は切実に訴える。なぜなら、それは完全にクィネの理想と対極にある答えだ。



「主義主張は異なり、敵味方も絶対ではない! だから人は裏切られ、失望して嘆くのだ! 相手への態度を! 立場を! 明確にして己の考えを直に相手へとぶつけ合え! 正義も悪も無くして、己と相手だけの二色へと変えれば世界は安定を見せるのだ……だと言うのに!」



 価値観は千差万別。ある人にとっての正義は誰かにとっての悪となる。逆もそうだ。そんなあやふやなモノでは人の標となることはできない。



「世界を黒と白へと分けるのだ……落ちてたまるかぁ!」

「……ねぇ。何でそう決意したかを覚えてる?」



 めくれ上がる世界と世界の境界。そこの時間すら止まったように感じた。



「……味方に討たれるような光景を見たからだ!」

「どこで? 誰が? どうやってそうなるのを見て貴方はそう思ったのー?」

「それは……!」

「答えられないでしょうね。貴方はそれを捨てた……いいえ、その悲劇が起きた時にセイフは死んだのだから。覚えてもいない悲劇に囚われて、周囲に当たり散らして泣く子供……それが貴方よ」



 ――俺はなぜここまで来たのだろう? ならば、そんな半端な存在に切られてしまった人々は……


 再びへし折れた大曲刀。わずかにこぼれ落ちた破片はクィネ自身であるようだった。心身の支えを失い、世界に穿たれた穴へと落ち込んでいく。



「さようなら。かつて私達の友であった人。私達だけはセイフもクィネも忘れはしないわ――」



/


「おお……! あの国が消えて無くなる!」



 半死の肉体に鞭を撃って皇帝は馬車から身を乗り出した。その目には涙が溢れ、少年のような輝きを一瞬だけ取り戻していた。


 あの国が無くなるように手は尽くした。だが、どうしてああなったのかは分からないし、どうでもいいことだろう。

 黒い黒い穴のようなモノが広がり、名高い塔に囲まれた街を覆っていく。

 ……塔主の何人かは戦場で死ぬところを見た。樫の塔が崩れていくのも見た。だがこれほど滅びというものを体現した光景があるだろうか?死体も瓦礫もどこか遠くの光景であり、その黒円ほどに心には響かなかった。


 そしてその黒は街全体を飲み込み……収束した。


 全ての建造物は消え去り、荒野が広まるのを見た復讐皇帝は微笑みとともに永遠の眠りについた。

 その黒円の中で消えたのは半魔の兵だけであり……ただの人間で円に飲み込まれて死んだ者はいなかったという事実を知ることもなく。


 

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