虐殺戦
塔国は3大強国の一つではあるが、勢力というものを基本的に持たない。
首都だけで生きていけるようになにがしかの仕組みを設けており、首都を除いた地方に重きを置いていない。そして、周辺の国とも最小限の交流しか行っていないため、この国々はあくまで自称傘下だ。
小国の軍の群れが出した答えは玉虫色だった。
適当に打ち合って仕方なく降伏する。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのサフィーレ帝国と、神秘的な塔国のどちらに軍配が上がっても良いように。
情けない風見鶏のようにも聞こえるが、死力を尽くして戦うよりも難しい面も確かにある。後々に塔国から責められない程度に奮戦し、帝国から軽んじられない程度に兵を温存しなければならないのだから。
それこそ現場の指揮官達は脳漿から知恵を絞りつくそうとしていた。
しかし、そんな現実的な打算は狂気によって破綻することになる。
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クィネを長に選抜された抽出部隊は帝国側の最前線。それも後ろの部隊らよりも100歩先に出ている。数も100名程度であり、明らかな自殺行為か捨て駒に傍からは見えるだろう。
更に奇怪なのは軍団長であるスフェーン自身はそこからさらに10歩ほど先に出ていることだ。
柔らかな金髪に、細い体。少女と見紛うほどの繊細な美貌が、碌な防具も武器も持たずに一騎駆けでもするかのような立ち姿は現実味が無い。
「総員――」
静かな声だが、皇帝の存在によって意気軒昂というよりはヤケになっている勢いの味方によく通った。戦意の薄い敵にさえ届いていた。
「融合の使用を許可します。その威をもってペリドントに集う者たちを蹴散らしなさい。皇帝陛下と我が名の下に……」
それは全軍に向けての命令ではなかった。
ごく一部。皇帝と第2軍団長が推し進めてきた秘儀と野望に関わってしまった者たちだけに届けられている。
そして、聞く者達にとっては『了解』の言葉を返す必要すらない。発する言葉は唯一つ。
『影よ重なれ――』
もう隠す必要は無い。
ここから塔国まで、否、塔国そのものすらも叩き潰すのみ。そして帰ることなど出来なくとも良い。最早集った凶手達を止める情勢などありはしなかった。
感情が欠けたような100の誓句が響き渡る。
この戦いは、その技術が世界に顕れた日として長く歴史に語られるだろう。
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兵士たちは見た。
自分達の精鋭が異形の群れと化すのを、呆然と眺めていた。
「魔族……」
年かさの兵が呟いた。戦歴だけは一人前の、長く軍に努めていただけの男だった。
その呟きは周囲に伝播していった。人魔戦争が終わって人同士の争いに切り替わってから久しい。だが忘却の彼方に送り込まれるほどに昔ではない。
人を超える生命体。上位互換にして侵略者達。
兵らは迷う。アレは人間の敵対者だと脳みそでは分かっているのだ。余りに長く続いた戦争の記憶は魂にさえ受け継がれているかのように、こびりついている。
だが敵愾心よりも大きいものがあった。恐怖だ。
人が魔族と長く戦えたのは単純に数が上だったからである。そして、英雄たちが支えてくれたからこそ平凡な戦士や兵士でも踏ん張れた。
勢力の垣根を超えた人として、戦うべき忌々しい技術。それを前にした兵たちには英雄と勇者が欠けていた。なぜなら異形へと変わった者達こそが第2軍団の誇るソレだ。
逡巡。逡巡。
兵らの葛藤は、悲しいことに皇帝と軍団長の手のひらの上だった。人の上に立つ二人がこの場での魔族との融合技術披露を決めたのだ。最初から見切られていると言っていい。
兵士たちに反抗を選ぶことは出来ない。
「帝国の新兵器に続け! 功績をあげる機会は今後少なくなるぞ!」
あらかじめ潜り込んでいた仕込みの兵が叫ぶと、全ての帝国兵は異形の群れに従って前に出た。自分達では魔族に勝てないという現実と、未来の利益をぶら下げられた哀れな馬達。それが名もなき兵士たちの行く道だ。
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なんともまぁ奇妙な光景だろう。
後ろに続く融合個体達は、練度か才能の違いによって部分的に変化させることが出来ない。それはそのまま実力の差だ。
融合個体の強みはあくまで人と魔族の中間生物としての本領発揮。ゆえに前を行く人型を維持した数名こそが主戦力で、巨体の融合個体や手足が増えた個体の方が雑兵ということになる。
それを代表する者こそ新時代の魔将スフェーンと魔王クィネだ。この二人こそが主演であり、ほかは如何なる強者であろうと端役に過ぎない。それを証明する光景が延々と繰り広げられる。
「いいな、いいぞ。キミの剣技は素晴らしい。特にその持ち方が……俺も今度からそうしよう。ああ、貴方の脚さばきもいいな……おい待て。逃げるなソコ!」
クィネは生きた斬風だ。
立ちふさがった雑兵からすら美点を見出して残らず吸収しながら進撃する。
……おかしいのは褒め称えながら相手を全て一撃で切り倒しているところだろう。賛辞の言葉が送られたときにはすでに敵兵は息絶えている。滑稽な一人芝居のようだった。
「全く。前座が手間をかけさせるものではありませんよ。早く道をあけなさい」
一方のスフェーンは分かりやすく暴威の塊だ。
腕を無造作に振るって地面に叩きつければ地割れが起きる。それだけで敵は部隊ごと無力化されていくのだ。相手をしていて馬鹿らしいという点ではクィネを上回っていた。
いち早く切り込んできたたった二人の敵。それは戦意が薄い兵の逃亡を促すには充分過ぎるほどに、恐怖を植え付けた。なにせ、接敵から分もかからずに数個の部隊が消えたのだ。
「に、にげっ……!」
「ドコヘ?」
「か、母さん――!」
「ココダヨ」
逃亡? 元より敵は二人だけではない。
そんなことを許すものかと、魔王と魔将の配下が立ちふさがる。忘れているのか……そもそも魔族の方が身体能力が上なのだ。
死を前にして尚前に出るのが生きる道だと、かつて思い知っていただろうに。それをやったからこそ人は勝利したのだ。
わずか数年で自分達が成したことすら忘れた兵士達は、哀れな躯の山となった。
逃亡できたものは……驚くべきことにいなかった。