定められた侵攻
過程はあっさりと進行した。
突如として『暴走』を開始した第2軍団と皇帝直下の部隊は、宣戦布告もそこそこに塔国へと進軍を開始した。
幾らディアモンテを追い詰めたと言っても、その規模は他国と比べて未だ大きい。占領下に入れた土地の領主達も面従腹背の段階であり、誰の目にも暴挙であると映っただろう。
しかし同時にそれだけ意表を突いたのも事実である。
帝国軍内部の野心家達が不穏な行動を起こす前に、そして塔国が体制を整える前に行われた進撃だ。塔国の傘下勢力は塔国自身が排他的なこともあり、自称と言って差し支えない。ろくに連携も取れない脆弱な烏合の衆だった。
大事なのは軍の体制を保ったまま帝国軍が塔国へと向かえたことに尽きる。既に最も南下しているディアモンテ駐留部隊とは距離が開いた。もう誰も彼らを止めることはできない。
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「ふ、ふふ……今頃は皇城の連中は青い顔をして余の廃位を急いでおるかな? それとも、案外に乗り気か? 哀れな我が臣民達よ……このような皇帝を戴いているとは思いもせなんだろう」
コヒュー、という笛の音のような吐息とともに馬車に乗った皇帝が呟く。
圧倒的な個人の力を背景にした行動に、自国も他国も驚くほど容易くハマってくれた。だが、この人物の行動だけは陰謀の渦の中心にいたスフェーンですら肝が冷えた。
皇帝ラズリ4世自らが南下してくるなど、誰にも想像できまい。
しかもクィネはスフェーンから彼が病床にあると聞いていた。そして、皇帝の顔色を見る限りではそれは真実である。
前々からやせ細った老人ではあったが、今や目は血走り正気と狂気の境に立っているのが誰の目にも明らかだ。馬車に同席を許されたスフェーンは悲しげに見つめ、クィネは至って平然としている。
「陛下……薬湯を召し上がられて、お休みになられては?」
「飲んではいる。だが休むとは下らないことを言うなスフェーンや。いよいよ塔国の滅びが眼の前に迫っている。のうクィネ」
「さて? 戦いというのは蓋を開けなければ誰にもわからないモノです。まぁ無事に済むことだけは、俺がいる以上はあり得ませんがね」
自信過剰なのか謙虚なのか分からぬことを言うクィネに皇帝は笑う。それに釣られてクィネも笑った。
クィネとしては現在の皇帝こそを過去最大に評価していた。なにせこの老人はクィネの見たところ既に死に体に限りなく近い。
起き上がれるだけでも驚くべきで、さらに行動まで起こしているのは奇跡だ。しかも、その原動力が執念という一種の気合のみ。心一つでかくも偉大に成れるのかクィネは皇帝を純粋に賛美していた。
「陛下がこうして立ち上がられて、上手く事が運んだのも事実。そう邪険にするものでもあるまいよ、スフェーン。我々だけでは今の半数が関の山だろう」
「それは、確かに、そうですが……」
決戦中の敵国を放り投げて、新たな敵へと向かうという将の決断。
クィネという恐怖の対象と、スフェーンという主の存在があっても兵は付いてこれないのが普通だ。
そこに皇帝という存在が現れたことで、箔が付いた。あたかも帝国全土の意志であるかのように第2軍団の者達は勘違いをしたのだ。
結果として第2軍団をほぼ丸々付き従わせることに成功している。
「塔国の塔主達は優れた人物らしいな。戦うのが楽しみだ」
「好きに刻むが良いクィネ。だが……最早今のお前に抗える者などおりはせんだろうがな? 報告は聞いているぞ。実に凄まじい剣士になったものだ」
「それが最近は、中々の強敵に会いましてね。見覚えのない男だったので案外と塔国で会えるのではないかと期待しているのですよ」
「そうか、そうか」
柔らかに造られた特別な馬車の中で、老人が微笑んで若者が笑う……一見和やかな光景である。
しかし実際に耳にすれば怖気を震うような声音であり、スフェーンは曖昧に微笑んだ。
「夢もいいですが、まずは自称塔国傘下の国々を蹴散らすところから始めなければ。敵に成り得る勢力ではありませんが……早さを重視すれば相応の被害は出ます」
「戦の流れを見極める前のポーズに過ぎん。一度戦えば役目は果たしたとして引っ込むだろうが……一国か二国とは戦わなければな。その後は飴玉をチラつかせればいい」
「俺としては断固として戦う勇気が見たいのだが……そうもいかないのか?」
そしてスフェーンもまた狂っていた。
彼らの計画は帰りを全く考えていないからこそのものであるのだ。塔国を倒した後、自国へたどり着けるなどと最初から度外視している。
哀れなのは付き従う兵たちだろう。万事上手くいき、塔国を制覇したところで疲弊した体で戻らなければならないのだ。
「さて、典医によれば余の寿命は残り一年と言ったところのようだ。無理を言うが、それまでに終わらせようか。我が同志たちよ」
「私と陛下のささやかな復讐のために。拾われた恩のために。全て御意のままに……」
「俺は勝手に、我々を阻めるほどの人物がいることを期待しているとしよう」
ディアモンテを襲ったことすら前座にして、ようやく狂った復讐の戦が始まる。