降臨
聖剣が煌めく、豪剣が唸る、帯剣が風を斬る。
その合間を縫って降り注ぐ矢の雨と火球、雷撃。
そのどれもが絶技。突然現れた宿敵を前に、咄嗟に組まれたはずの部隊は恐ろしいほどに噛み合ってただ一人を追い詰める。
「き……ひっ……」
「くそっ! どうなっている!」
苛立たしげに叫ぶ剣豪の将軍は、西方剣聖と共に再度の突撃を開始した。
激突する度に起こる破壊の渦。その度に傷が増えていくのは当然、討たれる側であるセイフだ。勇者姫達は大きな傷を負っても、神官チャロの助けを借りることができるがセイフは単身である。その差が出てきている。
しかし、傷を負うのはセイフでも、精神的に圧倒されているのは討つ側である。
そもそも戦闘が成立する時点でおかしいのだ。かつての夜ならいざ知らず、今や南方剣聖と互角の力量に達した者が三名もいる上に支援まで充実している。
だというのに、戦いは続く。確殺のはずの一度目の衝突は僅かな裂傷を刻んだだけで終わり、二度目の衝突も同様。三度目に至っては敵は無傷で切り抜けた。
だがセイフはその戦闘を無様だと、相手ではなく自分を笑っていた。
半端な一撃など愚の骨頂。生死は一瞬で決まる……そう信じて磨いてきた剣技が現状維持の役にしか立っていない。
懐かしい灰色の石材に血を撒き散らしながら、振るう剣に故郷の誇りなど欠片もない。それは生死の瀬戸際で足掻く、弱者のもがきと何ら変わらない。
「そこっ!」
西方剣聖の一撃が再び脇腹に抉りこむ。
彼女の剣は常に意識の間隙を突いて、ねじ込まれてくる。一対一ならともかく、多勢に無勢ではセイフに防ぐ手立てはなかった。体軸を動かして致命傷を避けることしかできない。
――意味のない戦い。
「ハァァァアアアア!」
勇者姫の聖剣を受けた腕に鈍い痛みが走る。骨に罅くらいは入ったであろう衝撃だった。
清光を内に宿すことで威力を増す聖剣オウス・コネクタ。セイフの無二の友が持っていた聖剣の姉妹剣。それが主の意向とは裏腹に逆賊死すべしと、強烈な一撃をめり込ませる。
――敵は悪ではない。
「セイフぅ! もう眠るが良い!」
かつて自分たちを影で支えた剣豪将軍の剣さばきは、正当だからこその流麗さだ。
セイフと真正面から斬り合う役目を自認している彼が最も驚くべき男だ。セイフに一度も攻撃が届いていないが、同時に一時の共闘者達の生命に届きそうな一撃を全て防ぎきっている。
――俺は誰と戦うべきだったのだろうか?
尋常ではない速射と火球が迫り、防御に強制的に回らされる。援護が役目と確信した勇者達による遠距離攻撃は、セイフが攻勢に転じようとするのを強引にねじ伏せた。
――分からない。俺には何一つとして分からなかった。
世界に悪が実在した時代、戦士は幸福だった。
人が人と向き合う時代は正義と正義のぶつかり合い。卑怯な手段を用いる者にさえ理があるというのならば、誰を憎めば良いのだろうか?
少なくとも、目の前の素晴らしき人物たちでは無かったはずだ。
そして、彼らもセイフを憎んでいる訳では無い。
結局の所、自分は殺戮に耽る大義名分とその対象を欲していただけだった。
求めていたのは殺害許可証。世界に誰かに名誉に、己を支えて欲しいだけの道具が役目を失っていただけのこと。
そして南方剣聖セイフは友の死んだ日に、同じように死んだのだ。
「お前が生きていれば……また教えてくれたかな? クレス……」
進むべき道を。戦うべき相手を。守るべき人を。
とうとう聖剣の輝きが、堕ちた剣聖の首元に一筋の光を齎した。
神の光が悪を断罪する。
/
その光景を勇者姫カイヤは信じられない物を見る目で見た。
腐った国を守った罪、輝ける者から名誉を奪った罪、一人の剣士を追いやった罪。それらを断罪するために来たはずの裁きの刃が折れたのだ。
「そんな顔をするな……勝ったのはお前達。敗れたのは俺だ。……魔王を倒した時、譲られた勝者の座に今度はお前達が座すだけのことだ」
切られた首から笛の音を立てながら、それでも南方剣聖ははっきりとそう告げた。手は優しく勝者の顔に触れている。
「私に……救いは無いのですか?」
美女の流す罪の涙と、一人の偉大な剣士の死。その一幕に無粋な声をかけれるものはいなかった。そう、当人たち以外には。
「ある。今回はお前が俺の裁き手だっただけのこと」
妙にはっきりとした声にディアモンテの勇者たちは硬直した。相手は死に体。あと少しで消え去る存在だというのに、なぜ怖気が走るのか?答えが分かるのはすぐそこだ。
「俺は死んだ。あの日の結末を最後まで見たのだ」
悔いしか残らなかったが、結末は結末だった。終わりを迎えた者は消え去るのが定め。魔王のように、彼の勇者のように。
――ゆえに、いざ。
「ここからは俺の物語だ。影よ重なれ――」
/
それは分かたれた世界の存在、もうひとりの自分と重なる誓約の言葉。
輝ける世界に生きてきた者達には知られていない、地の底へと這っていく呪詛。
この国において、セイフが纏っていたかつての物と似た甲冑が弾け飛ぶ。露わになった体を硬質化した黒が覆っていく。精神的な敗北による変貌とは違う、真実の堕天。
自分と座標を同じくする異界の存在を内面世界で一蹴しつつ、破滅の星が降臨した。世界を明確に分けるという狂った思想を遂げるために、断罪者にして殺戮者となる。
「……誰だ、お前らは」
彼こそは融合個体の到達点の一つ。
強すぎる素体に、魔族の特徴を付与した最強の兵器。
過去を全て燃やし尽くした果てに鏖殺の剣聖セイフ、改め……黒白の魔王クィネが誕生した。
/
目の前の変事に、一同はもはや言葉もなかった。
高位の者だが、花形である彼らはこの悍ましい技術を知らなかったのだから当然だ。いや、知っていたとしてもあの男がそんな手段を取るとは思いもしなかったはずだ。
「ああぁ……!」
そんな中でただ一人、感涙に咽びながら勇者姫カイヤは聖剣を再び振るった。それを片手間のように軽く大曲刀で受け止めるクィネを、天使を見たように魅入られて叫んだ。
「やはり、私を裁いてくれるのですね……!」
歓喜に狂っても、勇者姫の構えに隙はない。懸命に抵抗した果てにこそ与えられる死こそが、彼女の救いなのだから当然だ。
しかし……
「知らん。いきなり出てきて喚くな」
不条理はその歓喜もろとも全てを切り裂いた。
あろうことか構えた聖剣ごと、一撃で名高い戦士を両断したのだ。華と讃えられた顔は笑みを浮かべたまま、手折られた。笑顔を載せた上半身が下半身と別れを告げる光景は現実味が無い。
「姫ぇ!」
「貴様、よくもカイヤ様を!」
遅れて正気を取り戻す姫の供達は、怒りをも取り戻した。彼らは悲壮美に酔って姫勇者に同調していただけで、その自殺願望に似た狂気をまるで理解していなかったのだ。
悪逆を排除すべく、得意の遠距離攻撃を見舞うが……
渾身で連発した〈大火球〉は全て叩き切られた。降り注ぐ矢の雨もまた同様。一歩も動かないまま、蝿を払うように全てあしらわれる。
先程まで存在した南方剣聖が斬魔、斬滅の領域の剣技を使いこなせなかったのは一重に人間としての限界であった。極度に集中した状態は体力を異常に消耗して連続使用が叶わなかったが……
「敵か。ならば容赦はせん。死ね」
かき消えるように一瞬で距離を詰める。恐ろしいことにただ走っただけで、縮地の領域を容易く突破していた。
なぎ払いによって勇者姫の仲間たちは驚愕の顔で首を失った。
全ては魔族の持つ頑健な肉体をクィネが得た結果である。加えて剣聖が持っていなかった魔術の素養さえ、異界の存在と融合したことで獲得しており……魔術師など何らの障害にもなっていない。
「これはまた何とも興ざめな……」
その様を西方剣聖は呆れとともに評した。
人間という制限の内で効率よく強さを希求するから楽しいのだ。それを付与された何かで突破するなど邪道だ。もはや南方剣聖は興味の対象外であり、誰かが勝手に倒せばいい。そんな思いとともに離脱を図ろうとしたサイ・リンは突然、左半身を失った。
「……え?」
クィネは動かずに大曲刀を振るっただけだ。
少し集中したことにより、起動した斬滅の一閃によって巻き起こった剣風。ただそれだけで人間の肉体は耐えきれなかったのだ。
臓物を零しながら、稀代の剣士は息絶えた。自分の敗北に気付くことさえ無かっただろう。
ただ一人残された剣豪将軍は振るえながら、かつての戦友を見る。怪物を見る目で、それでも問わずにはいられなかった。
「お前は一体何になってしまったのだ……セイフ……」
「? 人違いだ。俺はセイフなどという名ではない。クィネという。貴様も向かってくるというのなら……」
続く言葉を聞くまでもない。
感じる殺意と実力差に、気高い剣士は得物を投げ捨てて無様に遁走するしかなかった。
「……? なぜ俺は見逃したのだ? ……まぁいい、スフェーンの所に帰らねば……ところで、ここは何処だ?」
/
やはりこうなってしまったか。
遠視を解除した大魔女サリデナールは、しばらく物思いに耽る。
異界との接触術を行使したのがかつての仲間というのは予想外だったが、容易過ぎる接触条件がディアモンテに破滅を呼ぶのは分かっていたことだ。
「世界を救う、なんて柄じゃないんだけどねー……」
異界との交信術の蔓延は阻止しなければならないことが、はっきりと理解できた。もし全ての人類があのような強者になる時代が来たのならば、どうなるか? 想像するまでもなく地獄だ。穏やかな日常など、夢へと変わる。
「あの……大魔女様?」
「うーん、アゲートくん。悪いんだけど、お姉さんはこれからちょっと暴れたり出かけたりするわー」
手始めにこの国の融合個体の技術を潰す。
紛れもない反逆だが、そこはもう仕方のないことだろう。彼女は大魔女。元より排斥される側の存在だった。
子犬のような少年騎士がどうするかだけが気がかりだった。