セイフの決戦
ディアモンテ王国の王子殺害さる。
その一報は各所に雷鳴のように響き渡った。
権力争いに敗北したとはいえ、王族であった王子の葬儀は国葬となったが、元々が人気の低い御仁であったために葬儀の場も囁き声が飛び交うものとなった。誰も彼個人の死を悼む者はいなかった。
「将来を盤石にしたいと願う、第2王子派閥の刺客であろうか?」
「帝国側の暗殺者という線は?」
「それはあるまい。なにせ既に過去のお人となっていた。帝国からするとむしろ放置していたほうが面白い方だ。勇者姫の派閥という線は?」
「姫本人の差金ということはご気性からしても考えられないが、腰巾着達次第ではあるな。可能性はある」
……等々。
その後、王子の書斎などから数々の陰謀の企ての証拠となる物が次々と発見された。これは王子と敵対派閥にあった者達によるトドメの一撃として行われた探索だったが、思わぬ飛び火をする。
かつてのディアモンテ第一勇者の暗殺。そして、剣聖セイフへ刺客を放った事実が明らかになったのである。正直なところを言えば、大抵の者が気付いていた事実ではあったのだが、改めて証拠が提示されるのは衝撃を伴った。
全員が無かったことにしようとする過去だと思われていたが、人気の高まり過ぎた勇者姫を追い落とす材料として見られたのだ。
しかし、内容自体がこの国の体面を汚すものだ。あっさりと公開するなどできるはずも無い。あるとすればかの剣聖と和解を果たして味方につけることぐらいだ。そうすれば証人としても申し分なく、武力においても代わりの看板となる。
恥知らず達の皮算用。その中にあって当事者の一人である姫勇者はたおやかに微笑んでいた。仮にも葬儀の最中に浮かべる顔ではない。
それを流石に心配した射手スピネは気遣わしげな様子を見せた。
「姫。お気持ちはこのスピネ、よく分かっておりますが……どうかご自重を。皆が不安を抱いております」
利得ばかりではなく、ただ単純に輝かしき者の凋落を喜ぶ者もいる。それを愉しみにしている者たちは怪物を見たような顔をしていた。
勇者姫の前途は暗いはずだというのに、余裕があるとしか思えない上に今までに無い色気すら感じている。状況を考えれば狂っていると思われても仕方がない。
「ごめんなさいね。スピネ、サード、チャロ。私と運命を共にさせてしまって」
もし、世界が真実に沿って動いていたのならば……姫勇者達、二番手の勇者隊はそこそこの栄誉を手にして安泰だったはずだ。良くある陰謀と人の業から始まった謀略劇は、関わった者全てを喜劇のような悲劇に陥れた。
それを姫勇者カイヤは仲間たちに対しては本当に申し訳なく思っていた。自身について言えば身分を鑑みて自業自得だと言えるが…仲間たちはそうではない。宿命に巻き込まれた哀れな犠牲者だ。
「あの方が貴方達だけでも許してくれると良いのだけれど」
「……今更の話だ。俺たちは自分の意志でアンタを頭に据えたんだ。それに……」
「黙ってやられる気も無いんでしょう? 全く面倒なことです。義務だのがあるから自死もできない上に、念願の敵が来ても抵抗しないことも選べないときた」
術士サードと神官チャロは姫に対しても素を隠さない。それだけでも彼らが固い絆で結ばれているのが誰の目にもわかるだろう。
「裁きの時が来ます。願わくば……」
葬儀にしては騒がしい行列。国の首都を動く一団の動きは轟音に縫い留められた。
「我々の全力をもってしても及ばぬ結末でありますように」
轟音は高所から投げ入れられた大剣によるものだった。
質の良い鋼が晴天に煌めいて砂埃を照らす様は、南方の地の風景のようだ。舞う塵が収まって見えるのは、曲線を描く風変わりな大刀。この剣の担い手を勇者姫が見間違えるはずもない。
剣から遅れること少し。かつての装束に身を包んだ懐かしい姿が降り来る。
「ああ……私の罪が今ここに」
南方剣聖セイフがディアモンテの首都へと再び牙を突き立てたのだ。
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違うのは昼であるということと、彼自身が動揺していないことにある。変わらずの単身で剣のみを頼りにして、セイフはこの街へと帰ってきた。
「罪が明らかになろうとも、世界は変わらない。あいつの名誉も戻らない。……当然のことだったな。誰しもが己の正義を掲げている以上はこうなる」
呟く言葉は自身だけに向けられている。全ての精算を果たすために決死の覚悟を決めているが、セイフの胸中は凪いだ海のように穏やかだった。
傾いた王子の棺の上に立つセイフは静かに最期の相手を見下ろしている。姫勇者とその一党。貴族と兵士達。セイフの知人のほとんどがこの場に揃っていると言っていいだろう。
「……魔女はいるが、聖女はいないのか。少しだけ未練が残るか? どう思う将軍殿?」
無骨でありながら、無駄のない剣撃。飛びかかって来たのは、罪を飲み込んで正道を行く男だ。
これもまたかつての焼き直しだ。
誰もが動きを止める中で、かつての戦友だけは戦意を向けてくる。そのことがセイフには喜ばしい。
「あの夜以来だ。会えて嬉しいよデンド将軍……そして、腕を随分とあげたな」
「当然のことだ。貴様を追い落とした責任が私にはある」
「……俺の代わりを努めようとしていてくれたか。全てを終わらせて、始めることを初めて惜しく感じた」
あの墜落の日に最初に立ちはだかった敵対者。
ディアモンテ軍の指揮官たる朴訥そうな若い将軍。罪を隠して生きることが彼には深みを加えたのだろう。その顔には甘さなど無く、深い苦悩の皺が刻まれている。
目まぐるしく躱される斬撃の応酬。
直線のデンドと曲線を描くセイフはほとんど互角と言って良かった。セイフに対する負い目と世に対する失望が無ければ、デンド将軍は中央剣聖を名乗れていただろう。
「きひっ……おっといかん。癖になって来てるか」
「……完全に正気では無くなったようだな。あの日の方がまだマシだった」
「まぁ色々と経験したからな、おかげで少しだけ猶予が貰えたというわけだ」
狂っているということを否定しない。その言葉を交わす間にも剣は振るわれている。
……どう考えてもセイフにとっては最悪の展開である。質で並ばれて、数は比べるべくもない。加えて相手は一人ではない。
「お姫様か。前回は中途で逃げ出して悪かった。遅まきながら結果を見に来たので許してくれ」
煌めく聖剣が剣聖を襲う。
裁きを求める罪人が振るうにしては必殺の気迫に満ちていた。
「もちろん。そして貴方は私を決して許さぬように!」
人間ごときの抵抗なぞ軽く制してこその裁きの剣。抵抗なく死ぬなどという贅沢は許されない。王子とは違い、王族としての努めを果たしてきたカイヤはそう信じている。
その直後に降り注ぐ金属の雨。そして炎。
かつてと同じように姫勇者の従者達もまた健在。
そして――
「おっと、誰かに奪われる前にその首は僕に頂戴よ」
その長い黒髪のように、撓る剣という常識外の一閃がセイフの防御をくぐり抜けて、初めて赤い液体を流させる。将軍や姫勇者とは違う剣のみを頼りに生きてきた同類が放つからこそ可能な技。
「初手から血が止まりにくい額狙いか。相変わらず性格が悪い」
「君は目が見えづらい程度じゃ気にもしないだろうけど、念の為にね!」
西方剣聖サイ・リン参戦。
自身と同じ飛び抜けた個を6人同時に……大魔女が来たのならば7人となる……相手をする。その結末は木剣に触れたことが無いような者にも分かるだろう。
そしてその決定された末路にこそ興味がある。
さぁ――
「来い! お前たちが倒すべき敵は俺だ!」
その挑戦を受けよう。気炎と共に湧き上がるセイフの剣気は、今や空気さえ支配しているかのような圧迫感を強者達にも与えた。それでこそ、と滾る敵手達もまた怪物。
有象無象は蟻のごとくに逃げ散ったか、呆けているだけだ。これから始まる一戦だけは彼らだけのものとなる。