砦を食らう
幾ら前線に多くの人員が配置されているとはいえ、ロープ国の国境付近を守護する砦戦は堅牢で人もまだ少ないとは言えない。
少し離れたところにおいて国家の命運を賭ける戦いが繰り広げられていようとも、目先に驚異がなければ気が緩む者も出る。徴用された兵は特にそうだ。彼らは元々が農夫や鉱夫などの土台を支える役割があるために、生き残りさえすれば支配権がどちらになろうとも平穏な生活が取り戻せる。
願うことはただ一つ。早く終わってくれないかということだけだ。自分とは無関係に……できれば自国が勝って景気が良くはならないかという程度の期待はあるものの、概ねの徴募兵はそう考えていた。
特に先で行われているのは大規模な会戦と聞いている。負けて帝国の大部隊が押し寄せても、砦の偉い人達も降伏して収まるだろう……そんな思いをあざ笑うがごとく……
「なぁなんが変な音きごえねぇ?」
「いつもの修理の音でねか? 人魔戦争時代の罅やら残ってるってんでしょっちゅう立ち働いてるだ」
奇妙な抑揚の共通語を話す二人は、田舎から徴兵されて来た男二人だ。歳がある程度行っているために後備に回されて幸運だと思っていた。そう思っていたのだ。
今度は音だけではなく、振動までもが伝わってきた。
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轟音の響きにロープ国の砦は騒然となった。
合戦場から離れた場所にあって、抑え込まれていたはずの恐怖心が俄に顔を出したのだ。こうなれば兵はただの烏合の衆に過ぎない。それでも一部の熱心な兵達により一応の規律は保たれた。
「敵の部隊はいつの間に近付いたのだ! 監視の兵は何をしていた!」
その熱心な老兵が声をがなり立てる。
砦と砦を壁でつないだ防衛線。一人や二人が見逃したところで、誰かが気付くのは分かっていても叫ばずにはいられない。老兵も内心は焦っていたのだ。なにせこういう時引っ張ってくれるはずの指揮官は、顔を青くして「あ……」とか言うのみで役に立たない。
それでも恐怖を抑えるために声を上げて繰り返す。
その態度を指揮官級と勘違いしたのか返答を寄越す兵があり、その答えはさらに兵たちを混乱に陥れた。
「それが……敵はわずかに10人。しかも、壁は既に一部損壊して侵入を許したとのこと!」
「なんだと! 魔法使いでも攻めてきたのか!」
そんなわけはない。そう分かっているのだ。
たった10人で攻めてくるなど……声が響いた。
「来ましたぁ! 黒の装束……帝国兵でっ!」
その言葉をいい切る前に首が飛ぶ。何も見えないままに首だけが飛んだようにしか見えない光景は、道理も何もない悪夢のようだった。
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「予想外に速く来れたな。やはり融合個体は素晴らしい技術と言える」
セイフは短く感想を述べる。
砦から見て合戦場が離れているというのも、人間の大集団としての速度で見た場合だ。単身ならばそれほど時間はかからない。その上、別の生物の能力がそのまま上乗せされた融合個体は言ってしまえば疲れない馬のようなものだ。
人対人の要素の追求は始まったばかりだが、魔との融合が普及すれば世界が様変わりするのは確かだ。
「とはいえ予想以上に堅固です。人も多い。占領と殲滅は不可能ですが……いかが致しますか軍士殿」
「こういう時に働く頭は俺には無いな。個々人の能力頼りに行動するしかない。二人は俺と行動を共にして中を殺して回る。残りは壁を壊して回れ、嫌がらせ程度でも後から効くだろうからな。それと……」
「完全融合は許可されませんか、やはり。今はまだ帝国が魔に手を染めたと思われたくはないと陛下もお考えのようで」
砦の内部の人間に目撃者が残っていても困るのだ。戦場以外でも様々な戦いが繰り広げられているために、突っ込まれやすい隙を晒したくはない。
「陛下の御意は我々が気にすることでもない。実際どうでもいいことだしな」
明け透けな発言に人格の薄くなった融合個体も苦笑する。確かに既に人で無くなった彼らからすれば一時の軒下。どうでもいいことだった。
「さて……我々だけで砦群を相手にどこまで食えるか、試してみるとしよう」
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こんな馬鹿なことがあるか。
それが砦側の全員の気持ちだった。
「相手はたった10人。10人のはずだ……なのに、なぜ仕留められない!?」
内部の兵達はわずか3人の剣士に良いように切り裂かれて、まるで相手になっていない。壁の破壊を試みる7人を止めることもできていない。
多くの意味で異常な光景だった。数で圧倒的に勝っているのに、個の武力で押されていることもあるがそれ以上に……相手の姿が。
魔術兵は前線に吸収されてしまっているとは言え、弓兵や弩兵はまだ残っている。流石に彼らの攻撃はある程度の成果を見せている。特に壁を相手にしている7人には体に幾本もの矢が刺さったままだ。
「狂っている……」
敵の肉体がどうなっているか知らない兵士たちには、矢の痛みなど気にもしていないようにしか見えない。胸に矢が突き立ったまま動いている相手に至っては生き物にさえ思えない。
そのあり得ない想像が事実であるなど誰に分かろうか? 黒衣の10人は既に人ではないのだ、などと信じることもできない。
「飛び道具を持った敵を狙え。後ろの連中も流石にキツかろう」
異常な10人の敵の中でさらに異常なのは頭目らしき、褐色の男。
神出鬼没にして神速。加えて長い刀剣を振るう度に首が次々と飛ぶ様子は現実味がまるでない。
人魔戦争を辛うじて耐えた守護の壁が、素手で解体されていく。
中の護り手達は剣で解体されていく。
何もかもが奪われるような光景に、ロープ国の兵達は狂気を選択した。この悪夢を粉砕するために攻め続ける。要は前へと逃げているだけに過ぎないと分かっていながらも……
「そうだ。来い、来い。お前たちはそうするべきだ。倒すべき敵はここにいるぞ! さぁ俺を殺してのけろ! 輝く勝者の座をもぎ取ってくれ!」
放逐されたはずの南方剣聖が、とうとう断罪のために戻ってきたのだ。
この小規模な蹂躙の結果は語るまでもない。