奮闘と観戦
第3軍団長ハックマは人魔戦争時代の英雄であった。世に多く存在する勇者上がりの大半を占める一芸だけの際物では無く、高次にまとまった性能を持つ。
もっとも分かりやすくそれが表れているのは、剣と魔法を併用することにあるだろう。
地味な長剣の一撃をスフェーンが硬化した腕で受け止めるのを確認したハックマは、剣を持っていない左手の指を鳴らした。
「〈閃光火〉」
薪が弾けるような音と共に、閃光が一瞬だけ溢れる。
物理的な戦闘の最中に入れられた、神秘的な目くらましを前にスフェーンは苛立つ。
「小癪な!」
振るわれる巨腕はかつての魔将のままの剛力で、周囲を薙ぎ払う。巻き起こった突風だけで華奢な体格の者ならば吹き飛びそうなそれを前にハックマは全く動じない。
威力が幾ら高くとも所詮は苦し紛れの一撃。性能だけで圧倒できると思っている手合の典型だ。過去の経験からそう判断したハックマは姿勢を低くして、小娘の懐を目指す。
「所詮は小娘のあがき……」
「なんてね、です」
「!?」
突然に下から襲う衝撃。剣を胸元に構えていたのが幸いしたが、完全に無防備であればハックマの頭蓋は砕かれていた。それでも顎をかちあげられたことにより、今度はハックマが視界を乱された。
「小癪なのはどっちだ……!」
甘く見過ぎていたことをハックマは悟る。
あの巨腕の本来の主である魔将を無意識にスフェーンと重ねていた。確かに豪腕の本来の所有者は力に驕る怪物であり、そこを突くことでハックマは死闘を征したのだ。しかし、今相手にしているのはあくまでも同じ軍団長スフェーンである。
力任せに無駄に攻めかかるだけのはずが無い。今から来る連撃のように。
視界を揺らされたハックマは当然に仕切り直しを求めて後退する。しかし、それを逃すスフェーンでもなかった。
右腕を振り下ろし、そして左へと繋ぐ単純なコンビネーション。
ただそれだけで強い。
「〈氷柱槍〉!」
障害物を生み出すと同時に攻撃を行える氷の槍が地面に生える。
朦朧とした頭で懸命にスフェーンの動きを予測して、魔将の腕の邪魔になるように腋の下をめがけるように繰り出す。
それは確かに効果があり、右腕の攻撃を阻害した。だが続く左で氷柱を打ち砕かれて、一息つける成果のみとなる。魔術一辺倒に生きてきたわけではないハックマにとっては手痛い消費だが、混乱から立ち直れる時間はそれ以上に大きい。
「氷柱槍……なるほど。これは良いですね。文字通りの槍にしてみましょうか」
へし折れた太い氷柱をスフェーンの太い手指が掴み取る。普通では出てこない発想はスフェーンが異形の腕に適合のみならず適応している証拠だ。
槍として使うといったが、その構えはむしろ棍棒を振るう蛮人のようだ。ただでさえ長い異形の腕に得物の長さが加わって、手に負えないことになる。
「くぉっ」
振るわれる氷柱を、削りに削った動きでかろうじて躱すハックマ。
……これがスフェーンの狙いか! そう悟るのに時間はさしてかからなかった。
英雄や勇者は攻撃に偏重しており、防はほとんど捨てている。身体性能で劣る以上は、奇襲めいた攻に偏るしか無い。人魔戦争で名を上げた者達の共通悪癖を相手は知っていた。
だからスフェーンがやるべきことは相手の土俵に徹底して乗らないこと。それだけで勝利は自ずと手に入るのだ。
「流石は軍団長……と言っておくべきか。気に入らん体だが、堂に入ってる。まるで魔族そのままだぞ、スフェーン。帝国に潜む害悪の女狐には相応しい」
「これは光栄。私は害悪。それぐらいは自覚済みだからこその、この肉体ですよ。しかし口も立つ貴方にしてはキレがない罵倒です。……お仲間のことでも気になりますか?」
「貴様、まさか……」
「仮にも同僚の私を堂々と女狐とまで呼ぶ。余程の覚悟をしていらしたのでしょう? それこそ……そう、謀反とさえ思われても構わないほどに。忠義の殿方ですものね?」
害悪の華が嗤う。
帝国の勇者がそんなことにも思い当たらなかったことに。
「帝国に潜む魔は私だけにあらず……忠勇の兵士達も、今頃は我が駒達の前に散っている頃。人魔戦争を経験した貴方なら分かるでしょう? 多少腕が立つ騎士など……紙のようなもの」
「貴様ァ!」
いつからだ?
いつから、帝国にこんな連中が蔓延っていた?北方の派閥はもしや…
焦る心に囚われてハックマは決死の覚悟で勝負を決めにかかる。それこそ相手の思う壺だという確信があっても止まれはしない。捨て駒だろうと何だろうと構わない。だが自分が道化だとだけはハックマは思いたくなかった。
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「あー、少し出遅れちゃったか。ハクロウサイの爺様はもうやられちゃってるし……」
黒い教会の尖塔の上で、下の光景を見ていた女が呑気に言う。
黒緑の髪は帝国の家屋と並んでも輝きを放つようだった。体は華奢にも見えるが、絞りに絞って鍛え上げた成果である。彼女こそは今一人の剣聖、西方剣聖その人だった。
見下ろす尖塔には他にも影がある。全て西方剣聖の高弟たちだ。
西方剣聖は狂気の頂点に立ちながらある程度の社交性を持つ。現存する剣聖3人…今や二人だが…の中で唯一弟子を取っているぐらいには、表向きの顔を整えられる人物なのだ。
「あわよくば両方共疲弊したところを漁夫の利で討ちたかったけど……どっちも一撃必殺の状況だと同格でも片方は大して傷つかないかぁ……流石に剣聖。勉強になるよ」
「しかし、リン様。南方剣聖は左指を砕かれました……ここで我ら全員でかかれば」
「そうです、お姉さま」
「じゃあ、行けば? 君たち全員が死んだところで、僕は相手の疲弊度を見極めて挑むか逃げるかするよ」
素っ気のない言葉に弟子たちは言葉を失う。
サイ・リンは全てを実力とみなす。数で攻めるのが悪いとも思わない。だが通じる相手かどうかを見極められないのでは話にならない。
「元々セイフは多対一に優れた剣聖。そこを数で押したところで何か意味があるのやら? 前会ったときより腕を上げているのは当然としても……うーん。今の僕だと6対4で負けるかな?」
リンは振り向いて弟子たちを見つめる。それは物を見る目だ。
自分よりも年上で、自分よりも劣る剣士達を値踏みしていた。
「君たちの頑張り次第で五分……旗色が悪い。行くなら止はしないけど助けは期待しないでね?」
最年少の剣聖は言ってから気楽な姿勢を取った。男でも怯みそうな高さの塔の上で自宅のように、寝そべって体を休めている。
全く度し難い。左指を使えなくなるのは確かに剣士としては手痛いだろうが、仮に片腕が無くても当代最強の剣聖相手ならば、勇者上がりに一歩及ばない連中など首を刈られるだけだ。
「さて……剣技院の依頼なんてどうでもいい。誰か良いところまでセイフを追い詰めてくれる人はいないかな……? ん、戦争の決戦の最中に……」
帝国はここからディアモンテまで進むだろう。そして事態を考えれば南方剣聖自体もディアモンテと何か確執がある。そうでなければセイフのような男が国を離れるはずもないのだ。
勝つにせよ負けるにせよ、強大な個を倒すための決定的な瞬間が訪れるはずだ。そこを狙う。
サイ・リンの強さへの欲求は強い。だが死んでしまえば元も子もないことは知っている。
「7対3で僕の優勢ぐらいが丁度いいか。こうなると噂の勇者姫さんたちに期待をしておこう」