舞い戻る鏖殺
クィネはよくやっていた。頑張っている。そんな親のような感想を私は抱く。
慣れない世間へと適応しようと、新しい目標に向けて突き進んでいる姿は誇らしくさえある。例えそれがどれほど狂っていようとも、手段が私と変わりなかろうがだ。
であるならば、そろそろ私は終わるべきだ。影法師のように過去はいつまでも追いかけてくるもの。しかし、影は影であり忌まわしい。消し去ろうと足掻くべきだった。
ほんの少しだけ私は私に戻る。
彼のような犠牲が出ないために、私は本当にいなくなるべきだ。
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皇帝が特別な部隊を編成している。それは真実であると同時に嘘だった。
その部隊とは要はスフェーンとクィネ、そして実戦投入可能な段階にある融合個体のことを指すだけの言葉だ。晒したのは中身では無く、器に過ぎない。
「さて……どれだけ乗ってくれるやら。どう思うかな、お前たちは」
「あまり動いてくれないと思いたいですね……しかし、これから先戦う相手が減る第3と第9軍団は怪しいでしょう。武勲を得る機会がないのなら一国を、というのもまた人の夢」
スフェーンが指しているのも、皇帝が疑っているのも内乱の可能性だ。
皇帝に破滅的願望があったのだから当然ともいるが、帝国の現体制は最初から無理があった。軍事に偏った体勢は勿論のこと、軍団を方角に従って分ければ内部での派閥争いは激化する。
なにせサフィーレ帝国は北端にある国なのだ。より広大な戦場をと求めていけば自然と南が主戦場になっていく。武勲を上げる機会は南に集中し、そして南寄りの軍団からすれば自分たちだけが戦わされている気になる。
これまでは中央の雄ディアモンテ王国と、南方の怪国家ペリドント塔国と接していなかったから問題にならなかったに過ぎない。
しかし帝国の軍事力は本物で、とうとうディアモンテの勢力圏へと接近してしまった。
ディアモンテは歴史ある国家の集まりだ。古臭いだけとも言われているが、血で結びついた古典的な繋がりはそれだけに強い。サフィーレ帝国もディアモンテの傘下国家の寝返りなども出来る限り試みてはいるが、期待できない。
軍団長達が政治的な争いに傾倒しだすのも時間の問題だろう。
「ディアモンテを倒しさえすれば、帝国は塔国へとたどり着ける……」
歌うようなスフェーンの声が響いた。
恍惚混じりの声。スフェーンとラズリにとっては幸いで、ディアモンテにとっては最悪なことがある。それは現在帝国を動かしているこの二人が、支配圏を維持することを特に考えていないことだ。
復讐を動機に動くスフェーンとラズリから見ればディアモンテ王国は塔国へ行く道の障害物でしかない。そこから利益を得ることもどうでもいい。そして帝国も。
大事なのはディアモンテを倒した際に、塔国へと向ける軍が形だけでも残っているかどうかだ。
「まずは地盤固め……なるほど、形振り構わず達成したいことにこそ回り道が必要か。勉強になる」
今や皇帝の片腕のような地位にある共犯者、鏖殺の剣聖は憂鬱そうに呟いた。
その姿にスフェーンは多大な違和感を覚えた。
「……クィネ? 体に不調でも出ましたか?」
「いいや、単に俺も地盤を固める必要があるというだけの話。大事の前だが、少し外させて貰おう」
答えをも聞かずに彼は歩み始める。
それに不都合は特に無いはずだ。不穏の芽が吹き出すには今少し時間がかかる。そして、外の敵にも当面の味方にも準備は必要だ。ならばこの一時は嵐の前の静けさというものなのだが……
スフェーンは己の勝者が変わったように感じていた。それは何よりも不吉なことのようだった。
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静かな建物で剣聖は静かに時を待っている。
予想が確かならば小休止の期間のここで待っていれば、自分の過去へと対峙できると確信しているのだ。
そこは帝国の剣技院だった。
国家を超えて存在する組織だが、立地の影響を色濃く受ける組織でもある。帝国剣技院はやはり黒色に覆われていた。
鏖殺の剣聖は夜が更けたのを見計らって訓練場へと移動する。
大体は同じ作りのために、その歩みに迷いはない。
帝国は最初から実力主義を標榜している。そのために権威の後付にしかならない剣技員の立場は弱く。深夜ともなると、人はほぼいない。
少しぐらいはいるだろうが、そこを褐色の男は特に気にする気はない。
彼は知らないが“誰か”が議長と取り巻きを殺害したことから、一帯は立入禁止ともなっている。
音がしても目立たない場所に移動したのも、スフェーンと皇帝へのささやかな配慮に過ぎない。全ては己のために…彼らに共通する部分だ。
「貴方の気配の隠し方は確かに凄いが……凄すぎてかえって目立つ。全く何も気配がしないのではかえって異常ではないか」
「ホ! お前さんぐらいの力量が無ければ気付くこともままならんから、こうしたまでのこと。言わば果たし状じゃなぁ」
円形の訓練場にある壁。そこに小さな人影が突然表れた。
……出てきたのではなく、その老人は初めからそこにいた。そのことをどれだけの者が気付けるだろうか。恐らくは世界を見渡しても数えられる程度だ。
それほどに隔絶した力量をこの老人は持っていることを、剣聖は知っていた。
東方蛮族らしいローブに似た衣服。その上から羽織っているのは、彼の地で言うサー・コート。そしてサーベルに少しだけ似た反りのある刀剣。
「……わざわざ俺を知る貴方を差し向けたのは、剣技院の粋な図らいか?」
「ホホホ! むしろ逆よ、あの連中はもう一人の娘っ子と束になってかかれなどと言いよる。同じ剣聖と一対一で戦えるこの好機を逃すはずもあるまいに」
「剣は道具の一つ。それが我々以外の常識であるらしいからな」
二人は親しげな友のように語っている。しかしそれは互いに全く隙が無いからそうなっているだけのことだった。
とはいえ、こうしていても埒が明かないのもまた確か。大体にしてこのまま待っていては老人の有利に働くと彼は知っている。そう。鏖殺の剣聖はこの老人のことを本当によく知っていた。
かつてと違う武器は抜けばそれだけで相手を誘う隙となる。
それを敢えて活路とするために、借り物の銘刀をセイフは引き抜いた。
「やはり我らはコレで語るとしよう。行くぞ……東方剣聖ハクロウサイ」
「かかっ! 抜かしおるわ、南方剣聖セイフ! 貴様がナガマキなど使って儂を相手にできるか? 我がカタナの糧となれい!」
剣聖同士の衝突。
歴史に残るはずの一戦は見守る者さえ無く開始された。
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そして、ここでもまた戦いが始まる。
皇帝の居室へと続く通路で、スフェーンは黒の騎士と見えて、ため息をついた。
「少々失望しました。愚か者……ああ、愚か者は私の方ですから賢者でしょうか? 陛下に近付こうという最初の発案者が貴方とは……第3軍団長ハックマ様」
「そこをどけ女狐。私は陛下に諫言をしに来ただけのこと。小者は見逃してやる」
スフェーンは少しだけ機嫌を直して嗤った。
己の勝者であるクィネの前では小娘だった彼女も、明確な壁を前にすればその本性を剥き出しにして対抗する。
「……何がおかしい」
「全てが。今更諫言とは! アッハハハ! 最高の冗談です! 帝国の第一勇者様は口も凄いのですね!」
裏を知っているスフェーンからすればハックマの忠義は茶番でしかない。世の中などそんなものだと、幼い頃に壊れた少女は己と敵を嗤う。
「貴方の人生に最高の贈り物があります! 影よ重なれ――」
変貌を始めるスフェーン。腕が巨人のソレとなり、皮膚は硬質化して禍々しい瘴気を帯びていく。その姿を見て帝国のかつての英雄は目を剥いた。
その腕を誰よりも知っているのがハックマなのだ。彼の長い戦歴でも、埋もれることは決して無いであろう腕だ。
「貴様! その腕は!?」
「言ったでしょう?贈り物です。かつて貴方が倒した魔将の腕で、私は貴方をすり潰す。今更の忠言忠告など陛下にとっては悪夢が長続きするだけのこと」
その威圧感はかつて最強の剣士と戦った時の比ではない。
剣聖という頂を知って、弓聖を倒した彼女は戦士としても高みに登りつつあったのだ。
この日、誰にも知られぬ内に魔戦が二つ開始され、その両方が人知れず終わるのだ。