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「魔王が倒れ、戦争がはじまった」  作者: 松脂松明
第二章ー功名の時代
39/63

野望

 疲れ切った様子で座る老人の姿は世評通りのもので、覇気というものがおよそ欠けていた。臣下に踊らされる哀れな老皇帝……

 クィネに人を見る目は無い。促されるままに用意された席へと座る。

 スフェーンは淑女らしく、優雅に一例した後で己の席に腰掛けた。


 クィネとスフェーンは老人を尊重してはいたが、相手が皇帝だと考えれば不遜な態度だ。同じ席に座るなど……士官の入り口の二等軍士であるクィネはおろか、最高幹部たる軍団長スフェーンにも本来は許されない。

 例え、本当に皇帝の椅子がお飾りであっても、誰も触れないからこそ価値が高いお飾りなのだ。わざわざ価値を下げる者はいないはずだった。



「さて……改めて名乗ろう。余がラズリ4世である」



 短く告げた紹介はどんな剣よりも恐ろしい鋭さを持っていたが、クィネもいちいち動揺したりはしなかった。なにせスフェーンの権限でも会うのが難しいとなれば、それこそ皇族ぐらいのものである。とうに想像は付いていた。



「お目にかかれて光栄です、皇帝陛下。雇い主の雇い主殿」



 礼儀を弁えているのか、いないのか分からない返答にも皇帝は気分を害した様子は無かった。

 鬱屈した瞳から奥にある子供の光が少しだけ顔を出した。



「雇い主の雇い主……なるほど。皇帝と軍士の関係とは本来、そのようなものであるかもしれんな。スフェーンや、この面白そうな子をどこの山で拾ってきた」

「トリドという山でですが、捨てた老人の名はディアモンテというようですね」

「ああ、あの老人は偏屈だからな。少しは儂のように気軽になってみればいいのだ」



 どうみても気軽そうに見えない老人が言うのも、彼なりのジョークであるらしい。本来は中々に砕けた性格であることが窺える。それがなぜこれほどに鬱屈した空気を纏っているのか。

 クィネの前身であるセイフのことも知っている。そしてクィネがその影を引きずって歩いていることさえも皮肉っていた。



「スフェーンが道具ではなく、同志にしたい。と言ってきた時は何かと思うたが……なるほど、御せる男ではないな。目が違う。どう見てもタガが外れておる」



 皇帝は生きるために養った“人を見る目”で、クィネの人となりをこの短い会話で大体は把握した。皇帝となる過程、そして皇帝となってから生き抜くために磨かれた眼力だった。そして、それに疲れた様子で目を擦った。



「このように楽しい会談ばかりならば、儂もかように衰えはせなんだが……さて、クィネ」



 白髯の老人の背筋が僅かに伸びる。

 長い間権力を保持し続けた皇帝という生き物は、戦士とは異なる圧迫感を放つ。皇帝のような立場は戦士を従える者だ。その圧迫感はクィネの心を確かに捕らえた。



「老人の長話は好きか?貴様の存念を問う前に我らが目的を話そう。だが……一度聞いたのならば後戻りはできん。表の儂ならば裏切りも笑って許そう。しかし、裏の儂は決して許さぬ」



 スフェーンですら未だに慣れぬ圧力。だが、その言葉が琴線に触れたために、押されていたクィネの活力が息を吹き返す。

 表と裏の違いはあれど、この威は剣聖の敵として不足なし。



「同感です陛下。そう……事態を複雑にするなど許せはしない。その問の果てに……陛下が俺の敵になってくれるというのならば……それはとても喜ばしい(・・・・)。世界を揺るがす強国の主、相手にとって不足も無い。きひっ、きひひ……」



 戦場以外でクィネがその笑いを出すのは珍しい。本当に事態を喜んでいた。

 如何にクィネが当代最強の剣士であり、人間を超越した力量の持ち主でも単身で帝国に挑むなどというのは寝物語だ。総勢15万とも言われる帝国軍。それに今や魔を研究した技術まで加わっている。

 だが、勝敗や生死などクィネにとってはどうでも良いことであった。

 


「狂っておるのは目だけではない。なるほど……御せぬと言ったのは他ならぬ儂であったな。では、儂らの目的を明かそう。良いな、スフェーン」

「はい、陛下。元より私はこの者に賭けておりますゆえ」



 しばらくの間、緊張感のある沈黙が続いた。

 それはあらゆる感情が綯い交ぜになっているためだ。そして、皇帝自身が己の欲望の小ささを嘆いているからでもあった。



「余とスフェーンに共通する野望……矮小で自分勝手な目的。それは、塔国の滅びをこの目で見ることだ。三大強国と呼ばれる内の一つにして、最も得体の知れぬ……」



/


 魔王が倒れ、戦争が始まった。

 それは確かな事実だった。そして、種は既に撒かれていたことは世に触れている者ならば当然に理解できることだった。国と国の対立。自称文明人と蛮族達。さらに文明人の中で、蛮族達の中で……些細な違いを名目にあらゆる対立は根を張っていた。

 花開かなかったのは意志がばらばらであっても、手を取り合わなければ立ち向かえない敵がいたからだ。人間種と対等の知能。そして圧倒する身体能力。種族として人間は魔族に大きく劣っていた。

 なぜ、魔族と戦っているのかさえ忘れたままでも生存のために手を組んで、人間国家同士の戦だけは避けるようにしていたのだ。


 だが……言い換えれば戦ほど大規模なもので無ければ、同種族で相争うことは実際にあったのだ。

 皮肉なことにそれは魔族との戦いで最前線にいた者ほど、気付けなかった。実際に肩を貸し合いながら剣を振るう者たちだけが無邪気に信じ込み、遠くの者達は来るべき未来に備えることに余念が無かった。


 かつて皇帝ラズリ4世がまだ一人の軍人であった頃、サフィーレ帝国が塔国の技術を欲したように。


/


 ペリドント塔国は三大強国の中で最も謎が多い。

 軍を派遣することには惜しみ無かったが、難民に使節などを迎え入れることまで断固として拒否した排他的な国家。そんな国など真っ先に滅びても良いようなものだが、事実として度重なる魔族の侵攻を受けても全て退けていた。恐るべきはそれが独力である点。彼らは援軍さえも受け入れなかった。


 他国がその仕組を知りたい、と願ったのも当然である。

 条約に反しない程度の戦力を現地で整えたかつてのラズリ4世の部隊は、その秘密を知るために塔国の奥深くまで潜り込んだ。

 

 結果は失敗。

 潜り込もうとしただけで終わる。首都までの道のりは問題なかったが首都へと忍び込もうとしても、なぜか出来ぬ。透明な壁に阻まれて、他国人は入れなかった。


 一度失敗すると、直ちに塔主達の軍勢に襲われて寡兵の潜入者達は骸を野に晒した。

 元々が秘密裏に行動していた部隊だけに、企みも敗北も何もかもが隠された。恐らくは帝国側が塔国側に何かを差し出すことで、何もなかったことになった。

 そのあたりのやり取りは当時のラズリの立場では知ることは出来ない。

 

 寄せ集めの兵と親しい僅かな仲間が死に絶えて、絶望の縁にあった未来の皇帝。それが生き延びてきたのは、一重にその絶望があったからだ。


 幾ら兵をすり減らす策を行おうと、外道の所業を行おうと、最早彼の心は動かない。耳に入るのは現在の悲鳴ではなく、過去の失敗の際に聞いた断末魔だけだった。

 それが皇帝に相応しい呵責のなさへと繋がり、至尊の座を射止めた。



「あの日以来、軍のいろはを叩き込んでくれた専任兵長の悲鳴が、特に親しくもなかった傭兵の弱々しい声が、兵士たちの失望の呻きが耳から離れん」



 現在に戻った皇帝は述懐する。悪かったのは我ら。弱かったのも我ら。だが、それでも恨みを一方的に吐き出してやりたい。



「あの日の音が聞こえる限り、余は、儂は眠れぬ。全ては我が心の平穏を求めるがため。そのためならば、全てを投げ捨てよう。世界の覇権も、兵たちの忠義も、優秀な軍団長達も全て薪へと変えてやるのだ……」



 世界制覇など方便。塔国は3大強国の中で最も南方にあり、間にはディアモンテ王国とその傘下の国々がある。道行く過程に帝国を除いた大勢力の全てがあるから掲げたに過ぎない題目だ。



「そして、儂はスフェーンと出会った。塔国から逃げ出してきた少女に。そしてあの壁の仕組みをある程度は把握した。儂のささやかな夢が現実となるやもしれぬ。儂が死ぬ前に間に合うかも知れぬ。急いで、急いで、全てをすり潰す……!」



/



 話し終えた老人は咳き込んだ。

 鬱屈していた思いを一度に開放した自己に体が追いついていない様は、とても覇を唱える男の姿ではない。老いさらばえた顔に輝くのは狂気あるのみ。


 話を聞き終えたクィネは余り感銘を受けた様子もない。



「なるほど。ただ安眠のために一国を滅ぼす。一国を滅ぼすために世界を制する。それが陛下の宿願というわけですか」



 同調できるような話では無いのは確かだが、ここまで心を動かされないクィネは異常だった。老人が告げた切なる思いには、それが反発であれ憐れみであれ、何かを感じるはずだ。

 しかし、クィネはそこに何の思いも抱かない。ただ、“そういう目的で戦う者もいるのだな”で留まる。



「……クィネよ。失望したか?歴史ある帝国の皇帝がこんな小さな男で…」

「特に何も。人が戦う理由の是非を問うても仕方が無い。重要なのは土台だけかと」

「……土台? クィネよ……スフェーンが連れてきたということはお前にも何かの目的があるはずだ。そして、我らの目的への途上で得るものが…お前は何を望んでいる?」



 ともあれ老人は真情を語った。何の影響を受けずとも、それに全力で応えなければならないと考えるのもクィネだ。素直にその心中を吐露する。



「……人が不幸になるのは、選択肢が多いからだ。魔王が倒されるまで、人々は一応の団結をしていた。それは人の心に魔に対抗するという大きな土台があったからこそ。例え夢を紡いでも、それは土台の上に立っていた」



 僅かな違いを大きな違いのように騒ぎ立てる。それが人の性だが、逆もまたしかり。僅かでも共通点が見いだせれば手を取り合えもするのだ。



「あの頃のように、否、あの頃よりも世界はもっと単純になるべきだ。彼らと我ら。数はそれくらいが良い」



 敵は敵。味方は味方。生まれた時から区分けされていれば、正義と悪という構図すらも不要。尊敬すべき味方と共に尊敬できる敵を相手に永劫殺し合う世界。



「しかし、世界は一代で変わりはしない。だから――」



 自分の代で理想郷を紡げると盲信できる程にはクィネは自己を高く評価していない。というよりは他者を高く見積もっている。

 そのために、鏖殺の剣聖は最悪の答えを高らかに掲げるのだ。



「帝国に世界を制してもらう。そして文化と土地の全てが帝国に染まった時に俺は問う。世界帝国が俺を受け入れるのならば、俺は世界の側だ。そして、受け入れないのならば世界は俺の敵となる。そのためには幾らでも剣を振るおう」


/


 いずれ理想郷へと至る当座の世界。世界が敵でも味方でも、どちらに転ぼうとクィネに損は無い。敵ならば帝国を相手に雄々しく戦い、味方ならば帝国を守るために戦う。

 ある意味ではひどく単純な野望だったが、同時に恐ろしく悲しい願いでもある。なにせクィネは彼の言うところの“我らの側”が自分一人でも一向に構わないとさえ思っているのだ。

 願うのはある男のように、突如として不条理によって墜落しない世界。誰もが当然の驚異に立ち向かい、当然のように死んでいく単純世界だ。


 その世界を語るクィネの姿をラズリは、珍獣を見るような目で見た。そして……



「クィネ、貴方は……」



 狂人の戯言を聞き終えたスフェーンは、先を言えずにそっと目を伏せた。

 彼を受け入れるべきではなかった、己の八つ当たりに巻き込んでいい者ではなかったのだ。なぜなら、狂った理屈ではあるが、クィネは他者の幸福を願っている。

 スフェーンやラズリのように自分のことだけに終始していない。己の描く幸福の形が途方もなくズレているだけで……


 しかし、スフェーンはそれでも止まらない。

 引き入れる前ならば、取り返しはついただろう。しかし最早手中に収めてしまった。ここから引き離すことは単純な世界を望むクィネからすれば“許せないこと”に該当するだろう。

 出会ったことすらもが不幸だというのならば、復讐を果たした後に何が残るというのか?死んでしまった大切な者に問いかけても、返事があるはずもない。


 こうして、凶手達は手を取り合うことになった。

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