第7話 ~九月十三日②~
九月十三日、十四時頃。
広場で起こったブニョの頭部をめぐるひと騒動のあと、愁翔たち三人はようやく書店内に入った。
ここの大型書店には本の他にCD、DVD、衣類や家具、おもちゃなどのあらゆるものが販売されている。
ここまでくるともう書店とはいえないのではないだろうか。故に相当な広さが必要であり、デパートと見紛うような規模となったのだ。
「じゃあここからは別行動だね」
哀奈の言葉の後、愁翔達は各々興味がある場所へと散っていった。
「って言ってもこれといって目的は無いんだよな……」
行く先を聞かれて咄嗟に口をついただけで、本屋という単語に特に意味は無かったのだ。
ぶらぶらと適当に歩き、愁翔は視界に入った漫画コーナーに立ち寄った。
「お、NIGHTMAREの新刊出たのか」
NIGHTMAREとは、とある少年誌で連載している漫画だ。
ひょんなことから五人の少年少女が夢の世界に閉じ込められ、そこに出現する怪物を倒しつつ脱出を目指す、という物語である。愁翔はこの漫画を一巻時点から読み続けている。
今は仲間の一人が死んでしまい暗い雰囲気になっているが、それに反してバトルが盛り上がっているのでかなり面白くなっている。
愁翔はそのNIGHTMAREの新刊である十九巻に手を伸ばした。すると横からもう一つ、手が伸びてきて彼の手と触れ合った。
「あ、すみま……」
なんだこの少女漫画のような展開は、と思いつつも手が当たってしまったことを詫びようと振り返った。
そして愁翔は息を飲んでしまった。その理由は触れた手の主が小動物のような可憐さをその身に纏う少女だったからである。
歳の程は愁翔と同じぐらいだろうか。彼女は愁翔の顔を見るとただでさえ大きい双眸を開き、だがすぐに頬を赤らめて俯いてしまった。
「あ……ぅ…… ッ……!」
少女はしどろもどろした後に俯かせていた顔を上げ、ばっと頭を下げて走り去っていってしまった。手を触れてしまったことへの謝罪だったのだろうか。
可愛らしいけど忙しない子だったな、と少女の印象を心の中で反芻して再び新刊を手に取ろうとして愁翔は驚いた。何故なら先程手に取ろうとしていたNIGHTMAREの十九巻が無いのだ。
「やられた……」
先程の少女の行動は、手が触れたことの謝罪などではなく、残りの一冊を取ってしまったことに対しての謝罪だったのだ。
取られてしまったのなら仕方が無い。愁翔は別の本に目を遣り、そこにNIGHTMAREのタイトルを見つける。しかしそれは十九巻ではなく、小説版であるらしい。
帯には『夢の中で出会った五人は夢世界に閉じ込められる前、現実世界で出会っていた!?』と書かれている。
前日譚というのも面白そうだ、と思いながらそれを手に取ってレジへと向かった。
レジの前にはそこそこの人数が連なっていたが流石は大型書店である。レジカウンターが相当数設置されているのでスムーズに客が流れていく。
「ありがとうございました~。お次の方どうぞ~」
奥の方のレジカウンターから女性の声が聞こえてきたため、愁翔はそちらに足を運ぶ。店員は女性、というよりは愁翔と同い年ぐらいの少女であった。
今日は平日だというによく同年代らしき少年少女と出会うものだな、と思いつつ本をレジに差し出した。
「い、いらっしゃいませ……」
すると少女は何だかそわそわしながら本を受け取った。
「! ナ、NIGHTMARE好きなんですか!?」
店員である少女は、愁翔が差し出したNIGHTMARE小説版を見るや、目を輝かせて質問してきた。
「ま、まぁ最初から読んでるけど……」
「最初から!私は四巻が出たあたりからなんですけど……ひっ!!」
テンションが上がったのか、少女は言葉をまくし立て始めた。しかし背後に現れた人影から放たれる殺気によって、少女は口を閉ざして冷や汗をかき始めた。
「仕事をしろ……」
彼女の背後に現れた百八十センチを超えるであろう威圧感のある青年は低い声でそう言った。
「と言いたいところだが、さっきからそわそわしててどうにもならないからな……。そのお客の会計が終わったら行って来ていいぞ」
しかし溜息を吐いた後、呆れた表情を浮かべて後頭部を掻きながら呟いた。
「え!? いいの、あんちゃ……うっ!」
「いいから早くしろ。お客が待ってるだろ」
愁翔を相手にしない少女の頭に、青年の手刀が振り下ろされる。その一撃によって彼女は半泣きになりつつ愁翔の精算に取り掛かった。
「すみません……」
「いや……」
青年は愁翔に頭を下げると店の奥へと引っ込んでいった。そんな間に精算が終了したのか、
「五八十円になります」
と少女が値段を告げてくる。
そして愁翔はちょうど五八十円を支払い、本の入った袋を受け取った。次いで少女がレシートと映画の半券のようなものを手渡してきた。
「これは今日NIGHTMAREの関連書籍をお買い上げくださった方に配っている整理券なんです! なんと今日ここにはNIGHTMAREの作者である黒金 総司先生がいらっしゃっていて、サイン会を開いているんですよ!!」
少女はテンションがマックスになったのか頬を紅く染めながら熱弁してくる。
「へぇ……サイン会か」
これはまた珍しいイベントにめぐり合ったものだ、と愁翔は感心していた。
「ご案内するのでもし良かったら一緒に行きませんか?」
少女はレジカウンターから身を乗り出す勢いで愁翔に提案してきた。
その勢いに気圧され、愁翔は彼女とともにサイン会へ向かうことにした。
◆ ◆ ◆
黒金 総司のサイン会は二階のイベントホールで行われており、全国からファンが集まってきているのか、長蛇の列が形成されていた。
「うわ……」
その光景に愁翔は思わず声を漏らした。この行列に並んだら一時間以上は掛かってしまうだろう。
「やっぱり黒金先生の人気は凄いですね~!!」
「そうなんだけどさ……。こんな大名行列みたいなの並びたくない……」
愁翔はあまりの人の多さに思わずそんなことを口に出してしまっていた。
「なッ!! こんな機会めったに無いんですからがんばりましょうよ! 私がお話し相手になりますから!」
まぁ確かにこんな機会一生に一度あるかないかの偶然だろう。しかしサイン会で頑張るって一体どんなサイン会なのだ。それに話し相手とかそういう問題ではなく、愁翔は単に人混みや行列が苦手なのだ。
「……暇だからいいけどさ」
少女のキラキラとした瞳に見入られ、愁翔は頷くことしか出来なかった。
「はい! あ、私は本郷 架蓮っていいます!」
「あぁ……。俺は黒井 愁翔」
本郷 架蓮という少女の話、主にNIGHTMAREについての熱弁を聞きながら三十分ほど経った頃。
「あ! そういえば昼食って取りましたか?」
本郷が思い出したように話を切り替えた。
そういえば昼頃に起きてすぐにここに来たので昼食はおろか、朝食すら取っていなかった。
現在時刻は十四時半を回ったあたりだろうか。そろそろ、と言うよりだいぶ昼時を過ぎた時間帯である。
「まだ取ってなかったな……」
「なら私買ってきましょうか?」
「いや、俺が行ってくるよ。ずっと並んでるの疲れたし……。ファストフードでいいか?」
「は、はい。ではお願いします!しっかり並んでおきますので!!」
愁翔は昼食のメニューを提案しながらおもむろに列から抜け出した。そして彼女の返事を背中で聞きつつ、同じ階にあるフードコートへ向かっていった。
「ふぅ……」
愁翔は列から抜けて少し歩くと一息吐いた。何故初対面の人間に誘われサイン会の行列などに並んでいるのだろうか。
普段なら知り合いからですら誘われて付き合うことなどしないのだが、あまりにも押しが強かったため本郷の誘いを断りきれなかった。
しかしあの少女は不思議と一緒にいても不快な気分にならないな、と思いつつフードコートの端にあるファストフード店へと向かった。
「……!」
すると前方から先ほどのNIGHTMARE十九巻争奪戦(?)の勝者である可憐な少女が、愁翔の向かっているファストフード店のハンバーガーやジュースなどが載せられたトレーを持ってこちらに歩いてきた。
一瞬足を止めた愁翔だったが、気を取り直して再び歩き始め、すれ違おうとした。
「あ……!」
すると少女がこちらに気が付き、小さな声を上げてトレーを手放してしまった。
「ッ……!」
愁翔は咄嗟にトレーを受け止めようと両手を突き出した。
少女の胸の位置から落下し始め、高度が腹部辺りまで下がった瞬間、愁翔の手がそれを受け止めた。
しかしトレーの上でバランスを崩したコップは倒れて中身をぶちまけてしまった。
トレーの上がオレンジ色の液体に侵されていく中、愁翔は紙に包まれたハンバーガーだけは救おうとしてトレーの上から取り上げた。
「わ、悪い……。受け止め切れなかった」
愁翔はオレンジジュースでひたひたになったトレーを左手に、無事であるハンバーガーを右手に持ちながら謝罪した。
「い、いえ……。私の方が落としてしまったのにそんな……」
鈴の音のような、美しくもあり可愛らしくもある少女の声。彼女は頬を赤らめつつ顔を俯かせてしまった。
愁翔はその姿に目を奪われていたが、トレーの上のジュースを零しそうになったためはっとした。そしてそれを近くに設置されていた水道に流してすすいだ。
「ちょっとここで待っててくれ」
「え? ちょ……」
困惑する少女を近くの席に座らせ、愁翔はファストフード店へと向かった。
そして五分後。
「はいよ」
愁翔は自分の分とイベントホールに待たせている本郷の分を紙袋に入れてもらい、目の前の少女には零してしまったものと同種、同サイズのジュースを買ってきた。
「そ、そんなッ! 悪いですよ!!」
少女は愁翔の行動に驚愕し、ばっと立ち上がって小さな鞄から自身の財布を取り出した。
「いや、いいって……」
忙しなくまさぐられている少女の財布から、何かのカードが落下してテーブルの上に乗った。急いでいる少女はそのことに気が付かずに小銭を取り出している。
見かねた愁翔はそれを拾い上げて少女に渡そうとし、しかし手が止まる。
「これって……」
『 音無 心咲』と中央に印字されたピンク色のカード。愁翔はこれと全く同じ形式のカードを持っている。このカードは愁翔が通っている場所、つまりは病院の診察券なのだ。
この音無 心咲という少女も、愁翔が通っている病院に掛かっているのだろうか。
「あ、ごめんなさい。あとこれお代です」
音無は愁翔から診察券を受け取り、交換するようにジュース代を手渡した。
「別にいいのに……」
愁翔は心の中でどうせ使い道も無いのだから、などと思いながら小さく呟いた。
「少し座ってもいいか?」
二度も会ったのも何かの縁だ。このまま戻るのも何だかつまらないので愁翔は少しの間、音無と相席したいと思ってそう申し出た。
「あ、はい。大丈夫ですよ」
音無は小さくはにかんで相席を許可した。愁翔は彼女が着席するのを見るや、自分も椅子に腰を降ろした。
「そういえばさっきNIGHTMAREの十九巻買ったよな?」
「!! 取ってしまってすみません……」
「いや、取ったことを責めてるんじゃなくて……。イベントホールで作者のサイン会やってるみたいだけど」
「あ、それならこの通り……」
音無は隣の椅子に置いてあった小さなバッグから書店の袋を取り出し、更にその中からNIGHTMAREの十九巻を取り出した。
その表紙には黒金 総司のサインが書かれており、既にサイン会に参加してきたということが見て取れた。
「あぁ、もう行って来たのか」
「はい! とても良い人で、ああいう人が本当に素晴しい話を書けるんだなぁって思いました」
音無はサイン会のことを思い出して、その顔にぱっと明るい笑顔を咲かせた。
愁翔はそんな彼女を見て、可憐だがそれゆえに脆く、触れたら砕けてしまいそうだ、という印象を受けた。
「……!もしかして誰か一緒に来た人を待たせてたりしますか?」
音無は愁翔が手に持っている二つの紙袋を見てそう聞いてきた。
「まぁ一緒に来たわけじゃないんだけど、今サイン会に並んでるんだ」
「それなら早く行かないとですね……」
音無は同階にあるイベントホールの方向に目を向けつつ、何だか淋しそうに呟いた。
「そうだな。じゃあそろそろ行くよ」
「はい」
音無は最後に向日葵のような笑顔を咲かせて愁翔を見送った。
それを見届けた愁翔は本郷の待つイベントホールへと戻っていった。
「…………さようなら、愁くん……」
そんな愁翔の背中を、音無は寂しそうにいつまでも見送っていた。