第5話 ~九月十三日①~
九月十三日、十三時三十分頃。
哀奈と神咲とともに家を出てから四十分程度で、ようやく隣町の大型書店へ到着した。
神咲が車のエンジンを切って車を降り始め、それに次いで哀奈、愁翔の順に降りて書店の方に目を向けた。
「ん~! いつ来ても人いっぱいだね~」
「人が多すぎるのもどうかと思うけどな……」
「さっすが引きこもり君だね、キミは」
愁翔は自らの発言に対する神咲の言葉に呆れてしまった。
「それ本当に深刻な引きこもりとかに言っちゃだめですよ、カウンセラーなんですから……」
「ははは! 君以外に言うわけわけないだろ」
神咲は呵々と笑いながらそんなことを言った。愁翔はその事実に顔を引きつらせて笑った。
「もぉ~、早くいくよ~」
その間に、哀奈は一足先に広場の方へと歩を進めていた。そんな彼女の言葉によって愁翔達も駐車場から動き始めた。
広場へ足を踏み入れると遠目からも確認できていた着ぐるみが、不細工な黄色のウサギを模しているものだということが分かった。
あのキャラクター、何と言っただろうか。
「ブニョ~! かけっこ、かっけこしよ!」
あぁそうだ、ブニョだ。そんな擬音のような名前だが、今この町を基点にして活動している、子供に大人気のゆるキャラである。いずれは全国デビューするという壮大な野望を持っているらしい。
ブニョは子供達に手を引かれ、かけっこに強制参加させられていた。
着ぐるみのバイトはさぞかし大変だろう、と思いつつ愁翔は広場を通過しようとした。
子供達に追いつこうと必死に走るブニョ。そのため風船を握っていた右手から力が抜け、空へと舞い上がっていってしまった。
更にそのことに動揺してか、空を仰いだブニョは足元の石に躓いて転んでしまった。
青空を背景に色とりどりの風船が飛んでいき、緑色の塊が弧を描いて舞っている。緑色の塊、つまりはブニョの首である。
かけっこをしていた子供達が振り返り、その姿を捉えてしまった。
ある者はその瞳に恐怖を宿し、またある者は涙を流しながら大泣きし始めてしまった。
「うわ……」
「これは……」
愁翔と哀奈が目を虚ろにしながらその様子に対して呟いた。
これはトラウマになるレベルの強烈な記憶だろう。子供にとって着ぐるみに中の人など存在しない。
そのため今のこの、ブニョの下半身から人間の身体が飛び出している、という光景は恐怖以外のなにものでもないのだ。
「だ、大丈夫、大丈夫だからね!」
ブニョの下半身から突き出ている優しそうな茶髪の青年は必死に子供達をなだめようとしているが、それが余計に子供達の絶叫を倍化させる。
もう収拾がつかない事態である。子供は母に宥められ、広場から去っていってしまった。
対してブニョの中の人である青年は絶望したように地面に四つん這いになって項垂れていた。
「おい、これいらねぇのか?」
その声は広場の花壇に腰かけていた三人組のうちの一人がかけた声であった。愁翔もその声の方を見てみると、そこには愁翔と同年代ぐらいの、見るからに不良といった三人組が立っていた。
真ん中の金髪の少年はブニョの頭部を片手でくるくると回しながら項垂れている青年に問いかけていた。
「くく……、情けな」「子供大泣きだし……」
金髪の少年の取り巻きのような二人は青年の姿を見て、馬鹿にするように肩を揺らしていた。
「何あれ、感じわる……」
哀奈は小さく呟きながら、その一部始終を静観していた。
「……」
人の失敗を見て嘲笑うという取り巻きの行動を見て、愁翔は虫唾が走った。
別に正義感とかそんなものを振りかざそうなんて気はないが、それでも見ているこっちが不快なのだ。
「か、返して……」
「あぁ、返してやる……よッ!」
ブニョの頭部は金髪の少年から取り巻きの一人が奪い取って青年の遥か遠方、愁翔たちの方へと投げ飛ばされた。
「ぁ……!」
「チッ……!!」
青年が呆然としながら宙を舞うブニョの頭部を見上げた。金髪の青年は舌打ちをしながら、それを投げ飛ばした一人を睨みつけ、直後には駆け出していた。
こちらに一直線に飛んできているブニョの頭部は、愁翔が数歩進めば受け止めることが出来るだろう。
そう考えた彼は落下地点に入って頭部を受け止めた。それは以外にも硬く、しかしふわふわとした毛並みに覆われている不思議な感触であった。
「!!」
そんな感想を抱いていた愁翔の視界に、陽光を反射する金色が入り込んだ。それは金髪の少年であり、二十メートル近くあった彼我の距離を一瞬で詰めてきたということだ。
「悪い、それあいつに返してやってくれ」
金髪の少年はおそらく投げ飛ばされたブニョの頭部を自分でキャッチしようとしていたのだろう。
この距離を後出しでスタートして追い付くなど、どんな運動神経をしているのだろうか。
「あ、あぁ」
愁翔は金髪の少年の言う通り、一連の出来事を呆然と見ていた青年に歩み寄ってブニョの首を差し出した。
「まぁ、めげずに頑張れよ」
「あ、ありがとう……」
愁翔は何気なく思い浮かんだ言葉を口にしていた。言葉を発してから自分はなぜこんなことを、と後悔したものの、小さくはにかむ青年を見て愁翔も小さく笑った。
その様子を見て金髪の少年は二人の元へ戻り、ブニョの頭部を投げ飛ばした方の頭をひっぱたいていた。
「てめぇはなんですぐああいうことしやがんだ」
「わ、悪かったよエイ」
「チッ……行くぞ」
金髪の少年はへらへらと謝る取り巻きの一人に舌打ちをした後、彼らに背を向けて書店の中へと向かって行った。
金髪の彼は、三人の中で最も不良のような見た目をしているが、一番良識を持っている人物であった。
「彼はいい子だったみたいだね」
「まぁ、人は見た目によらないってことだろう」
愁翔は神咲の言葉に納得しながら金髪の少年の背を見送っていた。
「さて、じゃあ私たちも店の中に入ろうか」
そう言って歩き出した哀奈に続いて神咲が入口の方へ歩を進めた。
そして愁翔は隣に立つ青年を一瞥し、小さく笑いかけてから二人の後を追った。