第18話 ~英雄~
「くッ……」
生きている。あの大規模魔法、いや竜の息をなんとか防ぐことが出来たらしい。
ただ、防ぎ切ることは出来なかった。
愁翔がかざした盾は自分が知りうる限り最も衝撃に強い鉱石、翡翠で創造されたものだった。
しかしその盾が半分以上砕け散って吹き飛ばされている。そのノーガードとなった部分から受けたダメージで、愁翔は意識を刈り取られそうになっていた。
「ぁ……」
駄目だ。
意識を失ったらそれこそ終わりだ。
足を踏み出せ。倒れるな。立ち向かうんだ。
そんな愁翔の意識とは裏腹に、身体が動かない。足を前に出すことすら叶わない。
「黒井さんっっ!!」
「愁くんっ!」
愁翔の身体が前傾して地面に倒れ伏しそうになった時、背後から二つの声が届いた。そして両腕を掴まれて体勢を立て直され、ゆっくりと地面に座らせられた。
「愁くんしっかり……。【治して】」
音無が泣き出しそうな表情で必死に訴えてくる。
そして歌うように小さく詠唱すると彼女の周りに桃色の蝶が数匹発生した。それは愁翔の傷に集まり鱗粉を振りまいていく。
するとその部分の痛みが和らいでいき、傷口が見る見るうちに塞がっていった。
「たった三人で本当に頑張ってくれました! ここからは作戦通り六人で戦いましょう!!」
本郷が勇気づけるように、努めて明るく振舞ってくる。その手には先端に拳大の水晶が埋め込まれた杖が握られていた。
それを愁翔の傷口にかざすと水晶が緑色の光を放ち、傷が煙を上げながら修復していく。
「お前……たち……、灰葉たちは!?」
「あっちは問題ないですよ、不破さんが間に合ったんですから」
愁翔がはっとして灰葉たちがいた方向に目を遣ると、巨大で荘厳な青色の盾が二人を守るように出現していた。
その盾の影には頭上に手をかざしている不破の姿と、片膝をついた灰葉たちの姿があった。
愁翔が【想造】した盾は大部分が損傷したにも関わらず、不破のものには傷一つ付いていない。
「ふぅ……。向こうはどうなったんだ?」
灰葉たちの無事を確認し、二人によって治療されて息をついた愁翔は本郷に問いかけた。
作戦では愁翔とクロウが合流までラヴィーネを相手取り、(灰葉は途中でこちらに加勢したが)他の四人と衛兵が取り巻きを殲滅する手筈となっていたはずだ。
「任務完了です!」
親指を立ててこちらに向けてくる本郷の背後に、剣や槍を掲げている衛兵団が見て取れた。
「そうか……彼らには麓で待つように伝えたか?」
「えぇ、不服そうでしたが衛兵長の説得で納得してくれました」
「よし、なら作戦通り六人でラヴィーネを討つぞ……!」
「分かりました! ……立てますか?」
本郷は力強く頷いた後、回復が済んだ愁翔に手を差し伸べた。愁翔はその手を取って立ち上がり、本郷と音無へ交互に目をやった。
「昨日の作戦通りに倒す。……頼むぞ」
「は……はい!」
「頑張ろう、架蓮ちゃん……」
愁翔は振り返りながら二人と言葉を交わした。そして悠々と空を旋回するラヴィーネを睨みつける。
「灰葉! 全力で奴を叩き落とすぞ!!」
「はッ! んなこと言われなくても分かってんだよッッ!!」
愁翔の叫びに灰葉も叫ぶように答える。そして二人が走り出したのは全くの同時だった。
灰葉は近くの岩壁を、愁翔は逆側の岩壁を駆け上り、その頂点で跳躍して旋回するラヴィーネへと迫る。
対するラヴィーネは、まず自身の左側から迫る灰葉をたたき落とさんとして片腕を振るった。
「ユウくん!」
「はいッ!!」
その様子を見上げていたクロウが隣にいる不破へと指示を出す。
不破が天空に手をかざすと、ラヴィーネと灰葉の間に一枚の盾が出現した。
盾と腕がぶつかり合い、ラヴィーネの腕が弾き返される。同時に盾は消え、しかし灰葉の足元に再び出現する。
「落ちろって……」
灰葉は足元の盾を踏み台として空中でさらに跳躍する。
その勢いで弾丸と化した灰葉が、光り輝く拳を握りしめてラヴィーネの懐へと入り込んだ。
「言ってんだろーがッッ!!」
そして加速の勢い全てが乗った全力のアッパーがラヴィーネの胸部に炸裂する。そして拳の煌めきが爆発するように膨張し、ラヴィーネの身体を貫いた。
その一撃を受けて、ラヴィーネは数メートル上空へ吹き飛んでいく。
「あァ? これじゃ落ちてねぇな……」
灰葉は苦笑しながら自由落下を開始する。
その時、吹き飛んでいるラヴィーネが両翼を駆使して勢いを殺し、体勢を立て直した。
『キュッ……オォォォォ!!!』
そして落下を始めた灰葉に向かって急降下し始めた。
不破がすぐさま盾を【想造】するが、ラヴィーネは俊敏な動きでそれを迂回して灰葉へと迫る。
そして彼は食らいつかれる直前、
「はッ! てめぇは俺に気取られ過ぎだ」
笑った。ラヴィーネの横に現れた影を見て。
「【黎明の光明】」
灰葉しか眼中に無いラヴィーネの真横を取った愁翔は、跳躍直後から詠唱していた三文魔法の詠唱を完了させた。
片目を奪われて生じた死角からの奇襲。ラヴィーネは魔法が放たれて初めて、愁翔の存在に気がついたのだ。
零距離からの三文魔法は、もう先程のように回避することなど絶対に叶わない。
愁翔がかざした掌の前方に形成された魔法陣から、夜明けの陽光を凝縮したような茜色の光柱が放たれる。
それは完璧にラヴィーネを飲み込み、愁翔の対角に反り立つ岩壁にも大穴を穿った。
「凄い……」
「これでノーダメージだったらショックだよ……?」
音無が愁翔の魔法の威力を見て感嘆の声を漏らし、クロウが唾を飲んで上空を見上げる。
「不破、あいつを守れ」
ざっ、と一足先に着地した灰葉が、魔法と周囲の寒暖差によって発生した白煙が漂う上空を見上げて、呟くように言った。上空にはまだ落下を続けている愁翔がいる。
「え……?」
「いいから盾を出せ!」
「う、うん!」
不破は戸惑いつつも急いで愁翔の頭上に盾を【想造】した。それに一瞬遅れて停滞していた白煙が急激に動き始めた。
刹那、白煙を突き破って途轍もない速度の爪撃が愁翔に向かって放たれていた。
「ぁ……!!」
その一撃は不破の盾によって一瞬速度が落ちたが、すぐに打ち砕いて愁翔に襲い掛かった。
瞬きの間に愁翔の身体は山頂へと叩き付けられた。山頂の雪が風圧によって吹き飛び、あたりが薄い霧に覆われたような景色となった。
「愁くんッッッ!!!」
音無が、愁翔が叩き付けられたであろう方向に向かって叫ぶ。しかしその声は巨大な何かが山頂に降り立った際に生じた轟音によってかき消されてしまった。
「これは……」
その風圧によって舞い上がった雪が、落下してきた巨大物を中心とした同心円状に吹き飛び始める。
クロウは顔を腕で覆いながらその中心に目を向けていた。
「「…………!!」」
完全に雪が吹き飛ばされると、落下してきた巨大物が姿を現した。それは案の定ラヴィーネであった。
しかし先程の一撃は相当なダメージだったようで、全身の鱗がボロボロに剥落して翼膜は穴だらけになっていた。
『グルルルル……』
大ダメージを受けて怒り狂っているのか、残った片目を血走らせて牙の隙間からは唾液を零し続けている。もう初見の美しさなど片鱗すら残っていなかった。
『グルァァァァ!!』
狂ったような雄叫びとともに周囲の冷気が長大な氷柱と化して音無と本郷がいる方向に放たれた。
「ぁ……」
突然のことに音無と本郷は何の回避行動もとることが出来ない。
「【守って】!!」
詠唱でも何でもない、音無のただの懇願が叫びと化して響く。しかしそれでも彼女の魔法は成立する。
音無の背後から巨大な灰色の翼が発生し、彼女と正面から迫り来る氷柱の間に割って入った。
その翼はラヴィーネのものと似通っており、竜の翼を模して発動させたのだろう。
直後、頑強な竜翼と長大な氷柱が激突する。
衝撃で氷柱は削れていくが、音無の竜翼も貫かれそうなほど押されている。
「ぅ……、もう……もたない……!」
苦しげな表情を浮かべて呻く音無はもう限界のようだ。このままでは本郷もろとも氷柱に貫かれてしまう。
バンッッ、と膜が裂けるような破裂音が鳴り響き、無情にも氷柱が音無に迫っていく。
「ぁ……!」
音無は瞼をギュッと閉じて死を覚悟した。
あとほんの瞬きの後に彼女の身体は貫かれてしまうだろう。
離れた位置にいる不破や灰葉はその顔に絶望を貼り付けてその様を見ることしか出来ない。
そして――
ドォォォォン!!!
刹那、放たれた氷柱が横手から爆炎によって吹き飛ばされた。
「「!!??」」
「ぇ……?」
粉々になって舞い散る氷の欠片と爆炎が混じりあって滞空する中、音無を初めとするこの場の全員が驚嘆の声を漏らした。
煙の中で一つの影が揺らめく。
その影は大剣のようなものを携えており、氷柱はそれによって破壊されたことがうかがえる。
「俺はまだ……やられてない……!!」
その声と共に大剣によって煙が振り払われた。
氷の欠片が陽光を照り返して煌めきながら舞う中で佇んでいたのは、先程叩き付けられたはずよ愁翔であった。
満身創痍だが、その凛とした表情は負傷をものともしない気迫に満ちていた。
「愁……くん……」
愁翔の背を見て安心したのか、音無は涙を流して地面に膝をつき、顔を覆ってしまった。
『ヴァァァァァァァァ!!!』
ラヴィーネは自身をこんな姿にした愁翔を認識して、怒り狂ったように無数の魔方陣を同時に展開した。
「【我が矛に宿るは地獄の業火――その斬撃は全てを灰燼へと還し永劫に燃え盛る】」
愁翔は手に持つ大剣に強大な魔法を付加し始めた。
それによって大剣は脈動しながら赤熟し、やがて刀身が炎そのものに変換されたかのように燃え盛り始めた。
愁翔の詠唱が終わったのと同時に、ラヴィーネの氷の魔弾が一斉に射出される。その数は視界の全てを覆うほどで、逃げる隙など一切無い。
しかし愁翔には逃げるという選択肢は無かった。ここで彼が逃げてしまえば背後の音無と本郷がこの魔弾に射抜かれるのは明白だからだ。
だから愁翔は立ち向かう。
仲間を守るために剣を振るう。
その背中を見つめる音無には、彼の勇敢な姿は物語の英雄のように映っていた。
強大な怪物を前に、満身創痍になりながらも屈することなく立ち向かい続ける。
こんな勇姿を英雄と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
「【獄炎招来】」
愁翔は迫り来る無数の氷柱に向かって大剣を振り下ろしながら魔法名を言い放った。
刹那、視界が紅に染まった。
愁翔の魔法によって、彼からラヴィーネにかけてまでの空間が血をぶちまけたような紅の炎に埋め尽くしたのだ。
放たれた無数の氷柱は言わずもがな、ラヴィーネすら飲み込んだのではないかと思われるほど強大な魔法だ。
「くッ……ぁ……」
魔法を放った愁翔は倒れ込みそうになったものの、地面に大剣を突き立ててなんとかこらえた。
「シュウト君!」
その様子を見たクロウたちは愁翔へと駆け寄ってきた。
そしてクロウは突き立てられた大剣に目を向けて嘆息した。
「【想造】した武器に二文クラスの魔法を付加するなんて、君はホントに凄いね。普通は一文にも満たない、魔法名だけの属性付加程度しかできないはずなんだけど」
「まぁこいつはでたらめだからな」
「それ灰葉くんが言うかなぁ……」
灰葉の発言に不破が苦笑しながら呆れる。
「皆さん……。まだ終わってないですよ……」
その声は先程からずっと黙り込んでいた本郷のものだった。彼女は片手にいくつかの宝石が装飾された漆黒の剣を片手に携えて燃え盛る炎を見つめていた。
「あぁ、その通りだ……。俺の魔法じゃ倒しきれてない」
愁翔は地面に突き立てた大剣を支えとして立ち上がりながら答えた。そして本郷の方に振り向いて彼女の手元の剣に目を落とす。
「出来たのか……?」
「はい、あとは攻撃直前の詠唱だけです」
本郷は凛とした表情で、携えている黒剣を持ち上げながら返答した。その剣は簡単に【想造】された剣とは明らかに異なるオーラを放っていた。
「それが竜殺しの魔剣、グラムっつーやつなのか」
魔剣グラム。それがこの黒剣の名称。
この剣こそが、氷雪竜 ラヴィーネ討伐の最大の鍵なのだ。