第17話 ~ここから~
『キュォォ!』
ラヴィーネの短い鳴き声の直後、愁翔とクロウそれぞれの足元に水色の魔法陣らしきものが形成された。
刹那の判断で二人は左右に飛び退く。
瞬間、先程まで二人が立っていた場所に鋭利な氷柱が剣山のように突き出した。
「ッッ!!」
少しでも判断が遅れていたら串刺しだった。
それにあれは魔法なのだろうか。あの体躯に俊敏性、それに加えて魔法まで使えるとなるととんでもない化物だ。
「クロウ!目を潰して自由を奪うぞ!」
「了解だよ!」
逆方向に跳んだクロウに向かって愁翔は大声で指示を飛ばす。それと同時に愁翔は両手に一本ずつ短剣を創造した。
「【閃烈なる光よ―――我が敵を討ち滅ぼせ】」
愁翔はクロウの詠唱が始まると同時にラヴィーネに向かって駆け出した。
あの俊敏性を誇るラヴィーネには弓や魔法などの遠距離攻撃はそうそう当たらない。超近接攻撃で確実に潰す。
愁翔は走りながら左手の短剣を投擲する。
的確に眼を狙ったものだが簡単に叩き落とされる。だがこれでラヴィーネの意識は完全に愁翔へと向いた。
「【殲滅の光】」
その瞬間にクロウの詠唱が完了する。ラヴィーネの下半身部分に白色の魔法陣が発生すると、すぐさまそれは収束して拳ほどの大きさとなる。
同時に愁翔は両目を固く瞑りながら地を蹴った。そしてあたりが真っ白な閃光に飲み込まれる。
次いで途轍もない爆音が轟き、白一色だった視界が元に戻った。跳躍した愁翔の目の前には苦悶に歪むラヴィーネの顔があった。
「【炎剣】」
愁翔は右手に残っている短剣に力と魔力を込め、燃え盛るそれをラヴィーネの片目に突き刺す。それは見事に命中して視界を半分奪うことに成功した。
『キュオォォォォォォ!?』
ラヴィーネが苦悶の雄叫びをあげて首を左右に大きく揺さぶる。さらには腕を振り上げたり、翼をはためかせたりして暴れ回っている。
「ッッ!?」
無造作に振り回される腕は未だ落下中の愁翔に回避できるものではなかった。
回避は不可能、かと言ってこのまま受ければ大怪我では済まないレベルの致命傷を負う。
盾か。いや、そんなもの一撃で粉砕されて生身と同じようなものだ。このままでは本当に終わる。
緩慢に流れる景色が残酷にも過ぎ去ってゆく。
振り下ろされる腕はまるで罪人を断罪するギロチンのように愁翔に迫ってくる。
この世界で死んだら自分という存在はどうなってしまうのだろうか。
この世界が現実なのか夢なのかは分からないが、これほどクリアな意識を保てる世界で死んでしまったら自我は消滅してしまうのではないだろうか。
「勝手に諦めてんじゃねぇよ!」
目の前の現実から意識が遠のいていた愁翔の耳に、先程までこの場所にはいなかった人間の声が届く。
「灰……葉?」
「こんなもん、お得意の魔法で吹っ飛ばしゃいいだろうが! 」
もう間近に迫ってきていたラヴィーネの腕と愁翔の間に灰葉が割り込んだ。
それによって圧縮されて緩慢と流れていた時間が元通りになり、愁翔ははっとした。
「お前がやらねぇんなら……」
ラヴィーネの腕が直撃する寸前、弾丸のような速度で地上から灰葉が跳躍した。
「オレがやってやるよッッ!!」
振り下ろされるラヴィーネの白腕と、黄金の輝きを放つ灰葉の拳が激突する。
自身の数倍の体躯を誇る竜の一撃に生身の人間が太刀打ちできるわけがない。しかし灰葉はそれを大きく裏切った。
「嘘……だろ……」
振り下ろされたラヴィーネの腕は根元から灰葉の一撃によって吹き飛ばされたのだ。
生身の人間の拳が竜の一撃を止めるどころか、腕ごと吹き飛ばすなど尋常ではない。
『キュオォォォォォォ!!??』
ラヴィーネは腕を吹き飛ばされた痛みからか、大音量の叫び声を上げながら後方へ飛び退いた。
そしてボタボタと鮮血を落としながら滞空している。零れ落ちた血は零と一の数列と化してすぐに消滅していく。
愁翔と灰葉が着地するとそこへクロウが駆け寄ってきた。そんな彼は滞空しているラヴィーネを見て苦笑いを浮かべた。
「デタラメだね、君は」
「あ? こいつの魔法だってこんぐらいできんだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
こちらに目を遣ってそんなことを言う灰葉に、愁翔は呆れてものが言えなかった。
魔法と拳、それぞれは比較対象にならない別物だ。それを同じ土俵で考えている灰葉はどうかしている。
灰葉の助太刀により窮地を免れた愁翔はラヴィーネに向き直る。
すると先程までの空気とは別種の、研ぎ澄まされた氷柱のように冷えきった空気がラヴィーネから放たれた。
「……まぁまだ片目と片腕を吹っ飛ばしただけだ。こっからが本番だろ……」
灰葉が拳を構えつつラヴィーネを睨みつけた。
確かに空気感が変わったことで、先程までのように容易に攻撃を当てることは出来ないことが窺える。ここからが本当の戦いだ。
「来るよ……!」
クロウの声の直後、愁翔たちの足元に無数の魔法陣が形成された。三人が同時に飛び退いた直後、そこは氷柱の剣山と化して地面としての形を失った。
ノーモーションからこれほど強大な魔法を放つなど一瞬たりとも油断出来ない。
『キュオォォォォ!!』
ラヴィーネは魔法に次ぎ、滑空したままの状態から翼をはためかせて吹雪を放ってきた。
氷点下の吹雪は触れた場所を次々と凍りつかせながら愁翔達に迫ってくる。
「【灼熱の焔よ――かの炎は永久に燃え盛る】」
迫ってくる死の吹雪にクロウがすかさず詠唱を開始する。
「【炎炎の障壁】」
そして二文で締めくくられた魔法が発動する。それは愁翔たちとラヴィーネを二分する炎の壁であった。
その壁は吹雪の進行を食い止め、しかし打ち消すことは出来ずに拮抗していた。
だがラヴィーネは吹雪と壁がぶつかり合っている場所を滑空で軽々と越えてくる。
「次は奴の機動力である翼を奪うぞ……!」
「あぁ、ちょこまか飛び回りやがって鬱陶しいからな……。毟り取ってやるよ」
「そんな虫の羽みたいに……」
こんな状況にも関わらず灰葉の発言にクロウは苦笑していた。そうこうしているうちにラヴィーネが頭上から急降下しようとしている。
「来いよ」
灰葉の挑発に乗ったように、ラヴィーネが急降下を開始する。
クロウは大きく間合いを取り、愁翔はその場に留まった。しかし狙いは灰葉なのか、クロウと愁翔には見向きもしない。
灰葉はラヴィーネの急降下に対し、半身を引くのみの最低限の回避行動をとった。そしてすれ違いざまにラヴィーネの肩へ向けて拳を放った。
「ッッ!!」
黄金の輝きがラヴィーネを突き抜けたが、大ダメージを与えることは出来ず、少しよろめかせた程度だった。
「チッ……。鱗に覆われてるところは硬ぇな……」
ラヴィーネの鱗は灰葉の拳でも易々とは通らない強度を誇るようだ。ならば狙うのは腹部や手足の末端、翼であろう。
翼を奪うためにはまず奴を空から引きずり下ろさなければならない。そのためには三人の連携が不可欠だ。
「灰葉、俺とお前で奴を叩き落とすぞ。そしてその隙にクロウの最大火力で翼を撃ち抜け」
「文字通り叩き落としてやるよ」
「分かった、詠唱をチャージしておくよ」
愁翔は二人の返答を聞きながら何かを【想造】し始めた。それは愁翔の体格に見合った長槍であった。
彼はそれを握り締めるとラヴィーネに向かって駆け出した。
「【爆炎の精霊よ――この槍に宿れ】」
愁翔の詠唱と共に槍の周囲に魔法陣が展開される。
「【属性付加】」
その魔法陣は砕け散って橙色の数列となり、槍に纒わり付く。彼我の距離が槍の攻撃範囲に入った瞬間、ラヴィーネが動いた。
「消え……た?」
「違ぇ!! クロウの上だ!!」
「!!??」
ラヴィーネはクロウの頭上で口元に魔法陣を展開していた。
青色の巨大な魔法陣。氷か水属性の大魔法であることは間違いない。
それをあの距離でまともに食らったらクロウは肉片一つ残らないだろう。
「クロウッッ!!」
愁翔は叫びながら全力で駆けるが間に合う距離ではない。
「ざっけんなッ!!」
すると愁翔よりもクロウに近い位置にいた灰葉が、地面を割り砕かんばかりの勢いで踏み込むと、次の瞬間には灰葉はクロウの元へと辿りついていた。
そして彼はクロウを巻き込みながら吹き飛ぶようにラヴィーネの真下から逃れた。
しかしまだ油断はできない。これから放たれる魔法がどれほどの規模のものか分からない上、ラヴィーネが放つ方向を修正する可能性もある。
「届……け!!」
愁翔は炎属性が付加された槍をラヴィーネの頭部へ向けて全力で放った。
【灰燼の焔!】
それに次いで灰葉に抱えられて転がっているクロウが、チャージしていたであろう魔法を放った。
赤黒い大炎が猛獣の角のようにうねり、二本に分岐してラヴィーネに肉薄する。
左方から槍、右方と後方から魔法を放たれればいくら俊敏とはいえ、完璧な回避は不可能だ。
『クルル……』
ラヴィーネは小さく喉を鳴らした。
刹那、暴風とともにその巨体が真上に飛翔する。それも大魔法であろう魔法陣を保ったままだ。
クロウも先程魔法をチャージしていたが、あの時は一歩も動かずに集中していた。
灰葉に抱えられながらも魔法を放てたのは自分の意思で動いたわけではなかったからだろう。
しかしラヴィーネは違う。相当な規模の魔法をチャージしつつ、完璧な回避行動をとったのだ。
「ぁ……」
槍を放った愁翔の表情が凍りつき、喉から嗚咽のような言葉が漏れ出す。
その次の瞬間、一瞬前までラヴィーネがいた一点で槍と魔法が交わり、大気を震撼させる大爆発をもたらした。
「くッ……!!」
勢いが弱まって雪上に倒れ込んでいるクロウは、その大爆発に向けてなんとか手をかざした。
大爆発によって生じた火柱が龍のようになってラヴィーネへと昇っていく。
放った魔法を無理矢理コントロールしてラヴィーネにぶつけようとしているのだろう。
「絶対に押し負ける、 二人とも、自分を守るんだ!!」
『ガァァァァァァ!!!』
クロウが叫んだ直後、ラヴィーネの恐ろしい咆哮により周囲の冷気が口元で凝って一気に開放された。その様子はさながら、小規模なブリザードであった。
強力な魔法を詠唱している時間など無い。かと言って防具を【想造】してこの魔法を防ぐことなど出来るのだろうか。
しかしそれしかないと愁翔は割り切り、巨大な盾を創造して防御体勢をとった。
刹那、鬼哭のような風鳴りを伴い氷雪の暴風が愁翔たちに、いや山頂に襲いかかった。