第16話 ~氷雪竜~
翌日早朝、愁翔達は衛兵長が率いる一団と共に村を出立した。衛兵の数は二十を少し超える程度であろうか。
二度の侵攻によって消耗した衛兵団はまともに行動できるのが今この場にいる二十人弱だけであったのだ。
馬車三台で七人ずつほどに分かれて南下していく。南の山脈までは馬車でも二時間以上はかかるらしい。
「馬車……。らしくなってきたな」
灰葉が壁にもたれかかりながら笑った。確かに馬車に乗ることなど現実世界の日本ではほどんどないことだろう。
「灰葉くんは凄いね……僕は怖くてしょうがないよ……」
「もうここまで来て考えたってしょうがねぇ、なるようにしかならねぇだろ。お前はもう少し自信持てよ」
「エイ君は頼もしいね。君のその胆力が土壇場でみんなを救うかもしれないよ」
「ハッ! ホントにやべぇときはあいつだろ……」
灰葉は鼻で笑って愁翔の方に目を遣った。
そんなことはつゆ知らず、愁翔は俯いて対ラヴィーネの策を反芻していた。
一時間強馬車に揺られた後、一台ずつ馬車が停止して山脈の麓に到着したことを中の面々に知らせた。
「着いたね……」
「う、うん……」
本郷と音無が顔を見合わせて息を飲む。灰葉と不破は立ち上がって馬車を降りた。
「シュウトくん、着いたよ」
クロウが愁翔の元に歩み寄り手を差し伸べた。
「……あぁ、行くか」
愁翔はその手を取って立ち上がった。そして荷台の幕を払って地上へ降り立つ。
「ぁ……」
「凄い……ですね……」
降りてすぐに音無と本郷の感嘆の声が愁翔の耳に届いた。そして彼女達の視線を追って愁翔も絶句する。
「これが、南の山脈……?」
眼前に広がるのは視界を埋め尽くすほどの青々とした氷山群だった。
麓から氷で形成された山脈の至るところには遥か昔のものであろうモンスターが氷漬けにされている。山頂は永遠に解けないであろう雪が積もり、固まっていた。
「この氷山は世界創世の日に降臨した神が魔法一つで作り上げたとされているんだ。他の三方にある山も同じように神によって作られたらしいね」
絶句する愁翔の背後から、クロウが説明を付け足す。
「神の御業……か」
この氷山が魔法で作られたなんてこと信じられないが、神が存在するかもしれないこの世界でなら有り得るのではないだろうか。
「この山の頂上に竜の親玉がいんのか……」
「その通りだ。この山の頂きにラヴィーネの群れが巣食っている。俺たちはそこを襲撃してラヴィーネを討つ!」
山頂を睨めつける灰葉に衛兵長が声を掛けた。そして後半は衛兵隊全体に届くような声量で言い放った。
衛兵長の気迫に引っ張られてか、先程まで無言だった衛兵達に活力が戻った。そして歓声が上がり、隊の一体感が増す。
「わぁ、凄い気迫だね」
「心強いですね!」
不破と本郷が衛兵たちの士気の上がり具合に感心している。
しかしいくら士気が上がったところで通常の竜を何とか撃退していたような衛兵たちがラヴィーネに太刀打ちできるとは思えない。無闇に犠牲者を増やすのは得策ではないだろう。
「ラヴィーネ自体は俺達六人が相手にする。あんたらは群れとなっている取り巻き減らしてくれ」
愁翔は衛兵たちには聞こえないように衛兵長に囁いた。
衛兵団全員に聞こえてしまったら反感を買い、信頼を失う可能性がある。更にはその歪が士気すら下げてしまいかねない。
「しかし……」
「犠牲者を増やしたいのか……?」
「……分かった」
愁翔は衛兵長に有無を言わさずに意見を押し通した。これは彼なりに犠牲者を出さないための策なのだ。
「さて、じゃあ登山を始めようか」
「んなお気楽なもんじゃねぇだろ」
クロウと灰葉が先頭を切って山脈の方へ歩みを進め始めた。それに合わせて衛兵団がぞろぞろと動き始める。
いよいよ始まる。世界最強の一角であろう氷雪竜 ラヴィーネとの決戦が。
「見えてきたぞ……」
一行は竜の襲撃に遭うことなく山頂付近にまでたどり着いた。山頂は台座のように平たくなっており、戦うのに不利ということもなさそうだ。
「ラヴィーネは……どこだ……?」
「あそこだ……」
衛兵長は山頂の平面、こちら側とは反対側の最奥にある、氷の屋根のようなものが形成された場所を指さした。
「あれが……氷雪竜 ラヴィーネ……」
愁翔は言葉を失った。しかしそれは恐怖や殺意を感じ取ったからではない。
ラヴィーネの威容が、そして纏う雰囲気が並外れて美しかったからだ。
他の竜はあくまでモンスター。敵を襲う時には表情を醜悪に歪め、獰猛な牙や爪を見せつけてくる。
しかしラヴィーネはまるで別次元だった。
雪の権化と言っても過言ではないような全身を覆う純白の鱗、人の頭ほどもある眼球は削り取って完璧に加工したサファイアのように透き通る青色であった。
それに加え全身から青色の冷気のようなものを放っており、えも言われぬ美しさを醸し出していた。
「俺とクロウが奴を背後から攻撃する。その隙に灰葉たちは衛兵と共に取り巻きを殲滅、余裕ができるか俺たち二人が危険と判断した場合灰葉と本郷をこちらに送ってくれ」
「あぁ、分かった」
愁翔は灰葉たちの真剣な眼差しを受けてラヴィーネの方向へと向き直った。そしてクロウに目配せしてラヴィーネの元へ駆け出した。
この奇襲で打ち倒せる、ということはないだろう。まずはどれほどのダメージを与えられるかでこの後の戦況が大きく変化していく。
「シュウト君、ボクと君の持てる最大火力の魔法をぶつけるよ」
クロウは愁翔と並行して走りながら作戦の概要を伝えてくる。愁翔は無言で頷いて、向こう側にラヴィーネがいるであろう岩壁を見つめる。
「俺が巨大な一撃を放つ。だからお前は弱点を確実に狙ってくれ」
「了解」
その返事と同時に岩壁が途切れ、ラヴィーネの背後に回ることが出来る道が開けた。
「…………」
「【屈折】」
愁翔が足を踏み出そうとした瞬間、淡い光が周囲を包んだ。それはクロウが発動した光魔法だったようだ。
「これは光の屈折を利用した魔法。出来るだけ近づいて確実に当てるよ」
その魔法の加護を受けた二人は足音を殺してラヴィーネの間近に迫っていく。彼我の距離が十メートルを切ったところで足を止めた。
「【世界に根付く神の種子よ―――魔の力を持ってして現に顕現せよ】」
また三文目に入ろうとした瞬間にあの感覚に陥る。愁翔はこの先に、四文の領域に入ったらどうなってしまうのだろうかと恐れている。
しかし今はやるべき事をやらなければならない。そんなことを考えていると、愁翔の口はひとりでに三文目を紡いだ。
「【天を貫く神話の巨木】」
愁翔の詠唱が完了するかしないかのタイミングでクロウが詠唱を開始する。
「【触れる者全てを切り裂く翠の茨よ―――世界蛇の如くのたうち回れ】」
それを意識の端で聞きながら愁翔は終の句を紡いだ。
「【世界樹】」
ラヴィーネの足元に一瞬にして緑色の巨大な魔法陣が浮かび上がる。魔法の発動を察知したのか、反応して身体を起こしたがもう遅い。
直径十メートルはある魔法陣から、瞬きほどの刹那で天を貫く巨大樹が突き上がった。それは淡い燐光を放ち、もともとそこにあったかのように整然と佇んでいた。
しかしラヴィーネの姿がどこにも見えない。
あのタイミングで躱したとは思いたくないが、姿が見えない以上油断はできない。クロウも同じ状況らしく、魔法を打ちあぐねている。
『キュォォォォォ!!』
数秒の沈黙の後、巨大樹の遥か上空から響き渡るような美しさで、しかし聞くものを畏怖させる雄叫びが轟いた。その木霊が響き終わる間もなく巨大樹が一瞬にして氷漬けにされる。
あのタイミングで、あの威力を誇る範囲攻撃を避けたというのか。愁翔はあまりの衝撃に呆然とラヴィーネがいるであろう巨大樹の頂上を見上げていた。
「シュウト君!!」
しかしクロウの呼び声で我に返る。すると連続する破砕音が愁翔の耳朶を叩いた。
それはラヴィーネが凍りつかせた巨大樹を割り砕きながら急降下している音であった。
「【束縛の茨】」
クロウはすかさずチャージ状態であった魔法を開放した。かざしたクロウの掌の前方から、幾本もの大蛇の如き極太の茨が射出される。
急下降してくるラヴィーネ、迎え撃つ大蛇の茨。幾本の茨の間には隙間など殆どない。
これを避けるには大きく旋回して直線上から逃れる必要があるはずだ。愁翔はそこを狙うために魔法の詠唱を開始しようとした。しかし――
「!!??」
ラヴィーネはほんの僅かな茨の間隙を縫って、速度を落とすことなくこちらに急下降し続けている。
いや、完全に避けきっているのではない。ラヴィーネの身体に触れようとする茨はたちまち凍りついて打ち砕かれているのだ。
まずい。このままでは二人とも終わる。
「クロウ!」
「…………」
クロウは無言で俯いていた。まさか諦めてしまったのか。愁翔は愕然としてクロウを見つめていた。
しかしその直後、ラヴィーネが急激に進路を変えて愁翔たちから離れた左側の地面を抉るように爪で切り裂いた。
「保険をかけといてよかった……」
「どういう……ことだ?」
嘆息するクロウに愁翔は心底不思議そうな声音で問いかける。
「【屈折】の効果だよ。遭遇から一度だけ相手の目に映るボク達の姿を偽造することが出来るんだ」
なるほど、これを見越してあの魔法をかけていたのか。
「でも次からはもう真正面から戦わないとならないよ……」
クロウはこちらに向き直ったラヴィーネを見つめながら苦々しい表情で呟いた。
「どうせ元々さっきので倒せる予定でもなかったんだ。ノーダメージなのは想定外すぎるがこのまま戦うぞ」
クロウは小さく口元を綻ばせてから臨戦態勢に入った。それに同調して愁翔も戦闘態勢に入る。