第15話 ~王族の均衡~
その後、衛兵長の案内によって村で一番大きい宿へと案内され、そこでしばしの休息をとることになった。
先に入浴と着替えを済ませた男四人は宿のロビーと呼べるような、広い場所の円卓に集まってきていた。
「この服、案外着心地いいな」
「そうだね、でも元の世界とはなかなかデザインが違うね」
用意された服は現実世界のもののように派手な装飾や柄はなく、簡素なものだった。だが耐久力や伸縮性は現実世界の製品とも引けを取らないような品質だった。
「ここは間違いなく現実とは違う異世界なんだ、だったら文化も何もかも違ぇだろ。まぁそもそもモンスターとかいる時点で違い過ぎる」
「異世界……。シュウト君達がいた世界はどんなとこだったんだい?」
この場で唯一現実世界の住人ではないクロウが灰葉の言葉から話を広げた。
「どんな世界って言ってもな……」
愁翔は現実世界がどんなものかを考えていた。
科学が発達して人々が暮らしやすくなった反面、地球温暖化や森林減少などの問題も多々ある。暮らしやすくなった人間たちはより楽な道を模索し、我が儘になっていく。
恵まれていることに気付くことなく自分の思い通りにならないことがあれば社会を憎んだり、自分で自分の命を絶ってしまう者すらいるのだ。
「少なくとも、いい世界ではないと、俺は思う……」
「オレも同意見だな。よく考えたら命かけてまで戻るべき世界じゃねぇかもな」
愁翔の発言に便乗して灰葉も意見を出す。彼は快活な笑みを浮かべながらそう言ったのだ。
愁翔は残り少ない自分の人生に何の希望も持てていなかったから現実世界を否定したが、灰葉も何か世界に絶望してしまうようなことを体験したのだろうか。
「僕は……そうじゃないと思うよ」
愁翔がソファに寝そべっている灰葉に目を遣ってそんな事を考えていると、違う方向から凛とした声が響いてきた。
「確かにこの世界は綺麗だし、自分の思い通りに物が創れたりするけど……」
不破は自分の掌に目を落としながら言葉を紡いでいく。
「やっぱり自分が生まれた世界で、大切な人と過ごすのが一番だと思うんだ」
その言葉には妙な重みと暖かさが混在しており、胸を打たれるような感覚に陥った。
「黒井君と灰葉君にも大切な家族がいるでしょ? その人達は今も心の底から心配して僕達の帰りを待っているかもしれない。だから僕たちは現実世界に戻らなければならないんだ」
不破の言葉によって愁翔は現実世界のことを回顧していた。灰葉も真剣な表情になっていることから同じように思い出しているのかもしれない。
現実世界で待っている大切な人。愁翔には友達も恋人もいないが、家族はいる。
寿命のことで十二分に悲しませてしまっているうえ、その寿命を全うすることなく行方不明という形で彼女たちの前から去るのは途轍もない悲しみを与えてしまうことだろう。
父 、母、哀奈。それに神咲さんだって悲しんでくれるのだろう。そう考えるとこの世界から帰らなければならないという思いに駆られる。
「……それもそうだな」
「はっ! さすが年長者ってとこだな」
「年長者って一つしか変わらないよ」
「その一年は大きいんじゃないかな?」
謙遜するように身を引く不破に対してクロウがそんな事を言った。
確かに一年という年月は、ちょうど自分たちぐらいの年頃にとっては心身ともに大きな変化をもたらすものだ。
「そう……なのかな……?」
不破は照れたように後頭部を掻きながら目を俯かせた。
愁翔からみて不破は弱々しくて優しすぎるが、芯があってやる時はやるという印象が強い。高圧的ではなく、愁翔にとって好ましい年上の人間だ。
「はぁ~……気持ちよかったね、心咲ちゃん」
「は、はい……。とても……」
そのすぐ後、女子二人が入浴を終えてロビーへと入ってきた。
先程までポニーテールだった本郷は髪を下ろしていて普段とは違った大人っぽい雰囲気だった。
音無の方はサラサラとしているショートヘアーと、長く伸ばされたサイドの一房が濡れて艶めいており、普段よりも色っぽかった。
「もう、敬語禁止だよ! 」
「でも……」
「いいから!」
本郷は音無の頬を両手で包んだ。そうされた音無はおずおずと頷き、
「う、うん……」
自信は無いようだが、彼女は友達のような親しい返事をして見せた。
「仲良くなったみたいだな」
「! 皆さん、お待たせしてしまいましたか?」
愁翔が声を掛けると二人はこちらに気付いたのか駆け寄ってきた。
円卓の近くまで来た二人からふわりと甘い香りが漂ってくる。同じ風呂上りだというのにどうしてこう男子と女子では違うのだろうか。
「いや、そんなに待ってないよ。風呂は疲れを癒すのに最適だからな」
「そうですよね! ここの宿のお風呂広くてとっても良かったです!」
本郷はぱぁっと顔を綻ばせながら愁翔に風呂の感想を言ってくる。
近い、本郷は人との距離感がおかしい。
愁翔には彼女はおろか女友達すらいたことがないのだから、家族以外の女性とここまで接近したことは皆無と言っても遜色ないはずだ。
「ん? どうかしましたか?」
無意識に身を引いてしまっていた愁翔を不思議に思った本郷は、小首をかしげて尋ねてきた。
「い、いや……音無には敬語禁止って言っといて俺たちには敬語なのかと思ってな……」
愁翔は女子と近付いておどおどしていたとは言えずに苦し紛れの問いを放った。
「そ、それは同性だからですよ! 異性にあまり馴れ馴れしくするのはどう思われるか不安で……」
「そんなことないと思うし、俺たちだって仲間だろ?」
「そ、それはそうなんですけど……」
本郷は愁翔の言葉におどおどして俯いてしまった。
「何気にしてんだよ、お前は」
「まぁいいんじゃない? 可愛らしくて」
「まぁまぁ……」
灰葉とクロウのおちょくるような言葉と、不破の宥める言葉が俯いている本郷へ届く。
「い、いいんです! 敬語だからって黒井さんたちのことを敬遠している訳では無いんですから!」
本郷は恥ずかしがっているのか、顔を真っ赤に染めながら両手を上げて愁翔に訴えた。
「どうしてもって言うなら頑張りますけど……」
本郷は頬を染めたまま上目遣いでぼそぼそとそう言った。
風呂あがりで蒸気している、発育の良い胸元がチラチラと見えている。女子に耐性がない愁翔にとって今の本郷は眼の毒である。
「いや……無理にとは、言わないけど……」
愁翔はほんのりと頬を朱に染めて目を逸らしながら、ほとんど音になっていない言葉を漏らした。
「それならこのままで行きますね! ……今はまだ」
本郷はスイッチを切り替えたように笑みを咲かせてはっきりと言った。その直後の付け足すような一言は愁翔には届かないように呟かれていた。
「さぁ、可愛らしく照れる二人を見たところで明日の話に移ろうか」
ニヤニヤと二人を見遣るクロウに、愁翔は憎らしそうな目線を送った。
だがすぐに表情を真剣なものにして円卓へと向かった。それに次いで本郷と音無も円卓の椅子へと腰を下ろした。
「明日俺たちは四方獣の一角である南の竜、氷雪竜ラヴィーネを討つ。山への案内は町の衛兵たちがやってくれるらしいが、ラヴィーネと戦うのは俺たちだけだと考えた方がいい」
「私たちだけでそんな強そうなモンスターを倒せるでしょうか……?」
愁翔の説明に本郷が弱々しげな声で、最もな疑問を投げかけてきた。音無も不安げに愁翔の方に目を遣っている。
「それは……」
確かに四方獣と呼ばれ、この世界に言い伝えられているほどの存在を自分たちだけで倒せるという確信はないのだ。
これまで何とかなってきたから自分の力を過信してしまっているのではないだろうか。いや、作戦を練って、ここにいる全員がしっかりと連携すれば負けることは無いはずだ。
「君たちなら必ずラヴィーネを倒せる」
愁翔が二の句を言い淀んでいると、背後から声を掛けられた。振り返るとそこには鎧ではなく愁翔達と同じような簡素な服装をした衛兵長が立っていた。
「君たちは四方と中央の都を治める王族方と同等の力を持っている。彼らが六人いると考えたら四方獣の一角を倒すことは可能なはずだ」
「その王族たちはどういう人物なんだ?」
愁翔は先ほどの戦いの直後の会話から度々話題に上がる王族という存在が、この世界ではどのような位置付けになっているのか気になって質問を投げかける。
「先程少し話したが、この世界は千年以上前に三人の賢者によって救われたんだ」
衛兵長は愁翔の隣の空いている椅子に腰を下ろしてこの世界の歴史を語り始めた。
「遥か昔、東の果ての山脈が影の腕によって穿たれた」
「そこから溢れてきた魔界の異形たちは世界を東から蹂躙していき、やがて現央都が置かれている街へと辿り着いた」
「しかしその街は三人の賢者によって守り抜かれた」
「そして彼らは異形を打ち倒した勢いのままに東の果てに穿たれた大穴へと向かい、溢れ続ける異形を押し返して、穿たれた大穴によって崩壊する世界を創り変えたのだ」
衛兵長はこの世界で語り継がれているであろう伝説を愁翔たちに語ってみせた。
「その三賢者の血を引く子孫が今の王族って訳か」
「あぁ。三賢者の一人、青の賢者の血族が今この世界を治めているんだ」
壮大過ぎる話に灰葉や不破が無理解を表情に浮かべる中、愁翔は先ほどの衛兵長と若い衛兵の会話から類推し、即座にその伝説と王族の繋がりを見抜いた。
「第二子であり、央都を治める【英断の女王】セシリア様。 第一子であり、北都を治める【戦嫌いの優王】ヴァルア様。 第三子であり、南都を治める【氷鈴の女王】エリシア様。第四子であり、西都を治める【天界の歌姫】アリア様。 第五子であり、東都を治める【稀代の幼王】エルア様。 この五兄弟がそれぞれの都に常駐して、四方獣の動きを監視しているんだ」
「なるほどな。けど何故五人もいて未だに四方獣の一角すら落とせていないんだ?」
青の賢者の血を引く王族たちが束になれば、世界最強と謳われている四方獣を打ち倒すことも可能なのではないだろうか。
「五人全員が都を離れることは出来ない。最低でも四都に彼らが在中していないと央都の結界が解けてしまうんだ」
「結界、ですか?」
「あぁ。北の四方獣 宵闇蛇エクリプセは空間を統べる最強最悪の魔獣だ。奴は央都を常に狙っていて、一日に一回は央都の上空に空間を開いて直接攻撃を仕掛けてくるんだ。だから結界が常に作動していなければ央都はすぐに壊滅してしまう。 そのうえ北都には北の山脈からエクリプセの砲撃が行われるため、当代最強と謳われるヴァルア様も身動きが取れない」
この世界の地図を見せてもらったが、北都・央都と北の山脈はとてもじゃないが攻撃が届くような距離ではない。
その距離を意に介さずに攻撃してくる宵闇蛇 エクリプセという四方獣はどれほどの力を備えているのだ。
「つまり四方獣退治に向かえるのは長兄を除く他の四人の内、たった一人ってことか」
「その通りだ。 それが長年四方獣を討てていない現状を生み出している」
「いくら王様でも一人で倒すことなんてできませんもんね……」
愁翔の発言に衛兵長が目を伏せながら答え、本郷がフォローするように呟いた。
「まぁこの世界で俺たちは相当力を持つ存在みてぇだからな。六人も集まりゃ竜のボスでも倒せんだろ」
沈黙を切り裂いたのは背もたれに全体重をかけてふんぞり返っている灰葉であった。彼は部屋を照らすシャンデリアに手をかざして自身の手の甲を見つめながらそう言った。
「そんなこと言っても僕たちはこの世界に来たばっかりなんだよ? そう簡単にはいかないと思うな」
「そ、そうだよ……。わたしなんてモンスターを見るたびに怖くて震えてるんだよ……?」
灰葉の強気な発言に対し、不破と音無が眉尻を下げながら小さな声で意見した。
「その通りですね。油断は大敵です!」
「でも力があることは事実なんだ。作戦をしっかりと立てれば問題ないんじゃないかな?」
本郷は灰葉に向かって小さくガッツポーズをしながらそう呼びかけ、クロウは戦力を鑑みて冷静に言った。
「みんなの不安もわかる。 けど俺はクロウの言う通りだと思う。 今この六人で立てられる最善の策を立てて明日に備えよう」
愁翔は全員の顔を見回しつつ、真剣な眼差しでそう言った。