第0話 ~大賢者の激闘~
東方に聳える山脈が巨大な影の腕によって穿たれた。
それによって生じた歪からは亜人に率いられた群衆が侵入する。それらは猛烈な勢いで世界の中心を目指して侵攻し、道程に点在する村落を蹂躙していった。
しかしその侵攻は東の大都において、三人の賢者によって食い止められた。そして彼らは異形の群衆を押し返した勢いのまま東の果てへと向かった。閉ざされていた世界を穿った強大な悪意を討つために。
東から溢れ続ける異形を倒し続け、三人はようやく東の山頂へと辿り着いた。
そこで彼らを待ち受けていたのはたった一人の亜人であった。褐色の肌に血のような紅眼、肌の色と対になるような白銀の頭髪。これまでの亜人とは明らかに別格の魔力、いや悪意を内包していた。
「お前は、何だ……?」
紫がかった黒髪を靡かせる賢者は緊張の糸が張り詰めさせた状態で問いかける。その問いに褐色の亜人は嘲笑うような笑みを返すだけで口を開こうとはしない。
そして黒髪の賢者の瞳を射貫いて、褐色の亜人はさらに口端を割いた。直後、彼の姿が掻き消え、黒髪の賢者の背後に濃密な殺意が発生する。
「ッッ……!!」
背後から振り下ろされた腕を咄嗟に受け止めた黒髪の賢者は、その膂力に瞠目した。あまりの威力に彼の足元の地面に蜘蛛の巣上の亀裂が生じている。
攻撃を受け止められた亜人は大きく飛びのいて賢者たちから一旦距離を取った。そしてその顔に喜びの感情であろう狂的な笑みを浮かべて、初めて口を開いた。
「Gib mir,Diese Welt」
亜人はこの世界のものではない言語で黒髪の賢者に言葉をぶつける。それにもかかわらず彼は即座に言葉を理解して、亜人に対する敵意を膨張させた。
「やっぱりそういうことか……」
黒髪の賢者は苦虫を噛み潰したような表情で小さく呟いた。そして隣に立つもう二人の賢者に目を向けて言葉を継ぐ。
「二人とも、こいつは死んでも止める、絶対に止めないとならないんだ……! 力を貸してくれ……!!」
「えぇ、言われなくとも」
「当たり前ッスよ!!」
黒髪の賢者の懇願に、二人の賢者が迷いなく即答する。一人は漆黒の髪を背まで伸ばす絶世の美女、もう一人は藍色の短髪に空色の瞳を持つ青年であった。
三人と一人が明確な敵意をもって対峙した瞬間、その場の空気が剣のような鋭さを放ち始め、重力が倍加したかのようなプレッシャーがのしかかる。
「「「…ッ!!」」」
三人は激闘の末、褐色の亜人を討った。
しかし藍色の髪の賢者が致命傷を負って倒れた。
黒髪の賢者と女賢者も限界をとうに超えている状態であったのだが、絶望は連鎖する。影の腕に穿たれた大穴から亀裂が生じ、世界を破壊し始めたのだ。
辛うじて立っている二人はそれを食い止めるために唄を紡いだ。
それは世界を撫でるように優しく響き渡り、混沌に覆われた空を、罅割れた大地を、血臭と絶望が漂う大気を包み込んでいった。
刹那、世界が色を取り戻していき、大穴から流れ込み続けていた邪気が払い去られた。
その後、二人の賢者の身体が光と化して徐々に世界から形を失っていく。
繋いでいた手だけが最後まで世界に残存し、やがてそれすらも光粒となって弾け飛んだ。
二人の賢者はまるで存在そのものがなかったかのように、何の痕跡も残さずに世界から跡形も無く消滅した。