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#04 若さを眺めた日(アッカドシトラIPA)

アッシュには、タダ酒というギャラだけで店内のピアノを演奏してもらっている。

いくらそれなりに長い仲とは言え、その程度のギャラでは彼の気の向いた時にしかピアノの前に座ってもらえないのだが、それでも彼はほぼ毎日この店に顔を出し、何杯か飲み、しばらく気分のままに演奏して帰っていくのだった。

彼はいつも開店して早々の時間にドアから姿をのぞかせる。

ほぼ毎日、宵の口から針が重なる時間まで店にいるのだから、お調子者のティムなどは、時折アッシュに向かって「働きの悪い店員だなぁ」などと冗談めかすくらいだ。

実際のところ僕も、店員とまではいかないにしても、他の客より近い距離に感じているのは確かなのだが。


営業中の目印にしている移民船流れのアンティーク・ランタンを軒先に吊り下げに店の外に出ると、惑星独立運動のデモ行進が目の前を通って行った。最近では、一部の古参運動家だけではなく、一般市民の間にも独立運動に参加する者が増えていると聞く。今さっき通って行った中にも、若い男女の姿が多く見られた。

僕は少し複雑な気持ちを感じ、小さく溜息をついて店内に戻って洗い物をしていると、入り口のドアが開く音がした。こんな開店間もない時間に店に来るのはアッシュくらいのものだろうと決めてかかって、そちらに顔も向けないでいたのだが、向こうから声をかけられてようやく自分の勘違いに気づいたのだった。

「ここ、座っていいですか?」

僕は慌てて洗い物を中断し、声の主の方に向き直す。

「いやいや、続けてくれていいですよ。大丈夫です大丈夫です。手が空いたら……そうですね、まずはビールを一杯。えーと、ビールは何が……?」

声の調子そのままに、丁寧で気の良さそうな青年だった。

短く刈り上げた金髪が、活発で人当たりの良い印象を与える。

青年は、バーカウンターの後ろのブラックボードに書かれた品書きに目線を這わせ、何を飲もうかとしばらく考えていたようだったが、ようやく決まったようで僕に注文を通した。

「じゃぁ……ウルブリュワリーのアッカドシトラIPAをパイントで。あ、ドラフトなんですね。嬉しいなぁ。ここの会社、最近人気でしょう? よく仕入れられましたね」

よく知っているものだなと僕は感心した。

確かに青年の言う通りで、数年前にウル・アヴェニューの青年たちが立ち上げたウル・ブリュワリーは、挑戦的で斬新なスタイルのビールを造るということでたちまち話題になり、ここ1年あたりは仕入れることさえ難しい。

だがそこはそれ、こちらも直接ウル・アベニューの工場まで出向き、直販で買い付けられるようお願いを重ねて、最近ようやく卸してもらえるようになったのだ。

ささいな営業努力でも、褒められて悪い気はしないというものだ。


僕は、彼の注文に応え、並んだタップの一つからビールを注ぐ。

コックを手前に引くと、黄金色の液体が寝かせて構えたパイントグラスに注がれていく。ゆっくりとグラスを起こしながら8分目ほどで一度コックを戻し、今度はコックを向こうに押して出てくる泡で蓋をする。浮かんだキメの荒い泡をこぼし捨てるように、グラスをキメの細かい泡で満たした。黄金色の液体と白い泡の境目には、泡になりきれない細かいミストが浮かぶ。

完璧な仕上がり。

どのお酒も最高の状態でお客さんに届けることが、生産者と消費者の間に立つ酒場の責務だと、そう僕は思うのだ。


最高の状態に注いだ液体を青年の前に届ける。

目の前に届けられたパイントグラスを、青年は顔をほころばせて少しのあいだ眺め、しっかりと掬んで口元に運んだ。

グラスがぐいと傾けられると、金色の液体は浮かんだ真白な泡とともに青年の口内に流れ込んでいく。ゴクゴクと青年が喉を鳴らした後、口元を離れカウンターの上に戻ったパイントグラスの中身は、泡と液体が揺れて混ざり合い白く霞む。それも次第に落ち着くと、グラスの中身はもう一度、真白な泡と金色の液体に分かれて落ち着いた。そして、先までグラスの淵までなみなみと注がれていたはずの中身は、たった一口で半分ほどにまで量を減らしていたのだった。


口元からカウンターの上に戻したグラスを未だしっかりとつかんだまま、青年がフウゥゥゥゥッ……と長く息を吐きだす。半パイントも一息に飲んだのだから、吐き出す息も長くなるというものだ。

「いやぁ、美味しいなぁ。スムースで軽い口当たりの後に広がるこのホップの香り! アッカド産のシトラホップを使ってるんでしたっけ? すごく良い香りですねぇ。麦汁の甘みがほのかに残って、その甘みがホップの苦味と一緒に喉に消えていくこの余韻。素晴らしいなぁ……」

心から嬉しそうに青年が独りごちる。

「僕は、アッカドの生まれで。最近ようやく農地開拓が身を結んできて、このビールのホップみたいに農産物が採れるようになりましたけどね。子供の頃はまだまだ開拓途上の埃っぽい街で。親父や祖父さんたちの苦労が実ったんだと思うと感慨深いですね……あ、すいません。いや、本当に美味しいです。今日はこの店に来て良かったのかもしれません」

今度は、その人懐こい笑顔を僕に向けて、青年が言った。


アッカドの生まれということだが、新興開拓地として名が知られてきた最近ならまだしも、開拓途上だった少年時代はなかなかに辛いものだったろうと容易に想像できる。

開拓地の生活環境が、都市生活者の想像以上に厳しいものだということは、この惑星ほしで暮らすものなら誰もが知っている。なにせ今まで人の手が入ったことのない惑星であり、人の手の入らぬ未開の土地なのだ。この港街のような都市では想像もできない、惑星の自然を相手にするが故の厳しさがあったはずだ。

彼がお店に入ってきて、まだ10分ほどのものだったが、僕はすでに青年のことを気に入っていた。初めて見る顔だったが、このまま店の馴染みになってほしいと、僕は思い始めていた。

青年の笑顔につられて僕まで笑顔になる。そして青年が目の前のパイントグラスに2口目をつけようとした時、店のドアの開く音がした。

そちらに視線を移すと、入ってきたのはアッシュだった。いつものようにふらりと、重力を感じさせない彼独特の存在感で立っている。

僕の視線につられて、目の前の青年がドアの方を振り返った時、アッシュの表情に少しだけ驚きの表情が浮かび、その後、すぐに後ろを向いて店を出て行ってしまった。

表情が見えなくなる刹那、アッシュの眉間に少し皺が浮かんだように見えた。


いったいどうしたと言うのだろうか。

目の前の金髪の青年に気づいて踵を返したように見えた。この青年とアッシュは知り合いで、何かもめていたりとか、そういった事情なのだろうか。

さて、僕はなにか一言、青年に声をかけたものだろうか。

そんなことを僕が考えていると青年が口を開いた。

「すみません、マスター。もしかしたら気を遣わせてしまっているでしょうか」

青年の先ほどまでの笑顔は一転、随分と落ち込んだような表情をしていた。

「御察しの通り、僕とアッシュはその……えぇ、そう、友人で。今朝、彼と少し喧嘩をしてしまって。この店でピアノを弾いていることを僕は彼から聞いていましたから、それで、ここに来れば会えるかなと。少しだけでも話ができたらと。そう思って店に来た次第で……」

アッシュと喧嘩……。僕はなんだか不思議な話を聞いたような、そんな気持ちだった。何事にも淡々としているように見えるアッシュが、誰かと喧嘩をする姿が想像できない。

目の前の青年にしても、こんなにも落ち込んでいるのだから、喧嘩の続きをしようと僕の店に来たわけではなく、きっと仲直りのきっかけを作ろうとしてのことだろう。


僕は青年の口にした「今朝」という言葉が少し引っかかったのだけれど、まずはそのまま語りたいだけ語ってもらおうと、話を促した。青年は少し酔ってきたのか、僕を信頼し始めたのか、言葉数も多くなっていった。

「ほんの少しの些細な言い争いが、なんだかお互いに意地を張り合うようなことになって。なんと言いますか、その、生きていく上で一番大事にしたいこと、自分をさし置いてでも大事にしたいもの。そんなかんじの話だったんですよ。ただ、僕も彼も意地っ張りな性格ですから、次第に口論みたいになっちゃって。それでその……」

そこまで語ったところで青年は残っていたビールを一息に飲み干し、グラスを空にして言った。

「同じモノを、もう一杯もらえますか」


それから青年は、同じモノ……つまり、ウル・ブリュワリーのアッカドシトラIPAの注文を重ね、計4パイント飲んだ後カウンターに突っ伏して眠ってしまった。

僕は彼をそのまま眠らせておいて、他の客の相手をした。カウンターの隅で誰かが酔いつぶれているのも、まぁ、よくある景色で、誰も気に留めることはなかった。それは決して無関心な冷たさなんかではなく、そっとしておく優しさなのだ。

途中、来店したティムがすぐに目をつけ「え? どうしたの彼? 見ない顔だけど大丈夫? ねぇマスター、大丈夫なの? 彼」とひとりで騒いでいたのだが、「いいからそっとしといておやりなさいよ」と、僕が言うまでもなく周りに諭されていたのだった。


僕としても、閉店まで眠ったならそれはそれで、帰る前に起こせば良いかなという程度に考えていた。

だが結局、2〜3時間ほどの後に再び店を覗いたアッシュが、すっかり酔いつぶれて眠りに落ちている青年を見つけると、小さくため息をつき、横から肩に担ぐように抱えた。

青年はアッシュのふたまわりは体格が大きいようだったが、苦もなく抱え上げたアッシュに僕は、細い様に見えて以外と力があるんだなと、妙に感心してしまった。

「ロバートの飲み代は、今度払うようにするよ」

アッシュはそう言って、肩に青年(ロバートとはきっと彼の名前だろう……)を抱えて、店を出て行った。


ドアから姿を消した二人を見送り僕は、ああ、そういえばアッシュは今、ウル・アベニューのあたりの部屋に住んでいると言ってたなと思い返していた。

そしてロバート青年は、ウルブリュワリーが繁盛していることにも詳しかった。

まぁ、彼らがルームメイトなのか、恋人同士なのか、そんなことは詮索する必要のないことだ。


それにしても、先ほどロバート青年が言った「生きていく上で大事にしたいこと」「自分を差し置いてでも大事にしたいもの」そんなものが僕にはあるだろうか。

あんなに落ち込むくらいなら最初から喧嘩なんてしない方が良いのに、ぞれでも喧嘩になってしまうほどの思いとは、一体どんなものなのだろう。

そろそろ僕には無くなりつつある純粋な若さみたいなものが、彼らの間にはまだ、存在しているということなのだろうか。


生きていく上で大事にしたいことねぇ……と、僕は気づかないうちに独り言を口に出していたようで、「え? 何? マスター、何が大事だって?」とティムに話しかけられた。

僕は、なんでもないよと答えながらティムの方を見て思い出す。そういえば彼もまた彼なりに、人生とこの惑星ほしとに思うところがあるのだった。


そして僕はふと、開店前に店の外を通って行った惑星独立運動のデモ行進のことを、プラカードを掲げて声を上げる若い男女の姿を、頭に思い浮かべたのだった。

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