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#01 雨の日の出会い (キャプテン・ライドン サバアラム)

この時期、この辺りの地域はちょうど雨季にあたり、雨の降る日が多かった。そして雨が降った日はやはり客足が伸びない。恒星間航行を可能にする技術があったところで、酒でも飲みに繰り出そうという人の気分は、雨天ひとつで億劫になってしまうのだった。

雨脚は次第に強まり、僕の店の客足もまばらになる。店内にいるのは、僕と、ピアニストのアッシュと、僕と同じ様に夜の商売をしていながらも「この雨だもの。まるで商売にならないわ」と愚痴りながら飲みに来たシーナと、もうかれこれ1時間ほど3人きりだった。


僕は手持ち無沙汰にグラスを磨いて時間を潰し、アッシュは店内のピアノで随分とクラシックなジャズを弾き続けて、シーナはずっと手帳にペンを走らせて何か書き込んでいた。

さて、どうしたものか。今日はもうウチの店も早仕舞いにしようか……などと考え始めた矢先、ドアの開く音がした。

「いやぁ、ひどい雨だねぇ。参った参った」

そう言って店内に入ってきたのは、年の頃は50後半、60くらいだろうか。真白な頭髪を短く刈り込んだ初老の男性だった。


店内に逃げ込んだ彼は雨滴を払おうとジャケットを両手で叩いていたが、上も下もすっかり水分が浸みてしまって、なんとも這々の態だった。

「ずぶ濡れになるのも辞さない酒飲みなんて、随分芯の通った酒飲みね」

久しぶりの来客者に、手帳にペンを走らせるのを止め、シーナが笑顔で語りかけた。いかにも商売女然とした美女から向けられた笑顔と言葉に、初老の男性も年季の入った笑顔で答える。

「久しぶりに地上に降りたもんでね。雨が降ろうが何が降ろうが、地面の上で酒を飲める夜は、一日たりとも無駄にしたくないんじゃよ」

僕は彼にひとまず乾いたタオルを渡した。この雨の中、全身を濡らしてまで店に来てくれたのだ。風邪などひかないでもらいたい。

「この街の路地の入組み様といったら、年々ひどくなる一方じゃないかね? まっすぐこの店を目指してきたはずなんじゃが、いやはやおかげでこの様じゃよ」

僕の渡したタオルでジャケットの水気を取りながら、男性が言う。

真白な頭髪とは対照的に、年輪を感じさせる皺が刻まれた顔は濃い褐色に焼けていて、円熟味と精悍さとを感じた。そしてまた、彼の闊達な喋り口には、年齢を感じさせないキビキビとした若々しさがあった。


「どうも有難う。マスターさん。助かったわい」

水気を吸ったタオルを僕に返しながら、ジャケットの襟を直し椅子に落ち着く。そしてそのままカウンターの背後の酒棚に目線を走らせていた。

「ほうほう、良い酒がたくさん揃ってるねぇ。雨に濡れて来た甲斐があったってもんだ。いやなに、ここらで飲むならこの店が良いと聞いてきたんじゃが、なかなかどうして。港の労働者連中の間で評判良いようじゃぞ、この店は」

飾り気はないが、衒いもない褒め言葉を投げられて苦笑するしかない僕に、男性は酒棚に並ぶ酒の一本を指で差して言った。

「マスターさん、あのラムを。ああ、そのままストレートでな」

僕はうなづいて、男性が指差す先にある「キャプテン・ライドン」を酒棚から取り出した。

いわゆるサバア・ラム(サバア産ラム)の代表的な銘柄だ。柔らかい香りと軽やかながらに余韻のある甘みがサバア産ラムの特徴と言っていい。製糖産業の中心地であるサバアの地名は、上質なラムの産地としても多くの人に知られている。


この植民惑星コロニアルプラネットにおけるラムの歴史は、開拓の歴史と同じほどに古い。

砂糖や塩と言った基本的な調味料は、文化的な生活になくてはならない必需品だ。

最初期の開拓移民団もその点を忘れなかったらしく、穀物や野菜の栽培に遅れることなくサトウキビ栽培も進められたのだった。


(自恒星系内で植民が行われていた時代には、調味料どころか料理でも何でもない合成栄養食だけ食べて暮らしていたと聞いたことがある。文化的な生活を今の時代に残してくれた初期の開拓移民団には、心の底から敬意を払いたい)


従って、砂糖を精製した際に生じる廃糖蜜を原料としたラム造りが始まるのに、それほどの時間はかからなかった。

醸造酒でも蒸留酒でも、穀物を主原料にする酒は、穀物の生産が移民の生活をまかなえる規模に成長するまで造られることはなかったし、果実もまた、酒造用のものが栽培されるまでには時間が必要だった。

つまり、この惑星ほしの酒造産業の歴史は、ラムによって始まったのである。


「キャプテン・ライドン」は、最も初期にサトウキビ栽培が始められたサバア地方の、その名も「サバア製糖公社」で造られるラムだ。

この惑星の歴史の第一歩となる第一移民船団、その指揮を取った偉大なる「ライドン船長」の名前を冠したこのラムは、市場に出るとたちまち人気を得て、現在に至るまでのロングセラーとなった。

「ライドン船長」といえば、まさに宇宙そらの男といったところであり、勇気とリーダーシップの象徴として、この惑星の多くの市民に愛されている。そしてこのラムもまた、偉大な船長の名前にあやかれるようにと、星間・大陸間を問わず船舶勤務の船乗りたちの間で好んで飲まれる酒なのだった。

先に男性の口から「久しぶりに地上に降りた」との言葉を聞いたが、彼もきっと船乗りなのだろうと、僕は思ったのだった。


酒棚から取り出したボトルのキャップを開け、甘い香りの液体をグラスに注ぐ。

薄い金色に満たされたグラスを手渡すと、彼は高々とグラスを掲げ、少し離れた席に座るシーナと、カウンターの中の僕と、ピアノを弾くアッシュとにそれぞれ「ライドン船長(キャプテン・ライドン)に乾杯」とやって見せた。

こういう仕草は若い者がやってもサマにならないが、彼の振る舞いは僕の目にも嫌味なく粋だった。

僕は軽く会釈を返し、アッシュは演奏の最中でピアノに向かったまま、シーナだけが自分のグラスを手にとって乾杯を受けた。

そのまま彼は勢い良く一息でグラスを干し「もう一杯行こうじゃないかね」と、僕に二杯目の注文を通した。

「あら、綺麗な飲みっぷり。私、飲みっぷりの素敵な男の人って好きよ。気前の良い男の人ならもっと好きだけど」

男性の乾杯を受けて自分のグラスも空にしたシーナが、愛想よく声をかけた。

「どうにも上手いねぇ、お嬢さん。それじゃマスターさん、そこの綺麗なお嬢さんにも一杯。こんな年寄りからのおごりでよければ」

そのやりとりに満足したように、シーナが微笑む。

「あら嬉しい。じゃあ私も素敵な白髪の紳士と同じものをいただこうかしら。あ、私はオンザロックでお願いね」

二人のやりとりに僕は少し笑いながら、ストレートとオンザロックと、それぞれを用意して二人の前に出す。


「では、改めて乾杯しましょう? ええと……」

「ああ、ワシの名前はロットンじゃよ。はじめまして、お嬢さん」

「私はシーナ。はじめましてロットンさん」

改めて二人がグラスを掲げた。そしてお互い口をつける。

唇を少し湿らせて、シーナが口を開いた。

「さっきも少し聞きましたけど、ロットンさんは空のお仕事……いわゆる船乗りなのかしら?」

「船乗りなんて大それたもんじゃないがね」

二杯目も一息で、とはいかず、それでもグラスの半分ほどを喉に流してロットン氏が答えた。

「船が職場なのは合っておるよ。船乗り(アストロノーツ)なんてもんじゃなく、ただのしがない整備工じゃがね」

そう言ってニヤリと笑ったロットン氏の口から覗いた歯は、短く刈り込んだ彼の髪と同じく真白で、やはり褐色に焼けた顔に映えるのだった。

「随分日焼けした顔と思っとるじゃろう。星間船の整備工なんて仕事をしとると、連日の船外作業が付き物でな。フィルター越しとはいえ、毎日強い紫外線を浴びとると、ほれ、この通り。ボロボロじゃよ」

そう言って笑いながら、グラスに半分残っていた「キャプテン・ライドン」を喉に流し、さらに「もう一杯」と注文をした。

ロットン氏の言葉にシーナが答えて言う。

「あら、私、その肌の色、とても素敵な色だと思うわ 宇宙の男の人生の色でしょう?」

「嬉しいことを言ってくれるねぇ。お嬢さん」

シーナの言葉にロットン氏はまた、真白な歯を見せて笑った。

「勿論ワシは誇りを持って仕事をしとるよ。ワシが船を整備することで、人や物が、星と星、都市と都市を行き来できる。そんな誇りを持って人生を送れるなんてのは、いやはや役得と言わんでなんと言うかね」


アッシュは、いつになく長く演奏を続けている。一曲終わってもう一曲と、クラシックなジャズが続いた。ロットン氏は始終にこやかにグラスを口に運び、シーナと言葉を交わし、時折ピアノの音に耳を傾けていたようだった。

「やはり酒は良いねぇ。船で飲む酒も美味いが、地上で飲む酒はまた格別に美味い。今日、この星に着いて、この街に着いて、そして、この店に来て良かった。雨だろうがなんだろうが、酒を飲まない理由にしちゃいけないってもんだ。マスターさんもそう思わんかい?」

僕の手から何杯となく「キャプテン・ライドン」のストレートを受け取るロットン氏は、常に気分良さげだったが、不意に僕の目を見て、つと真剣な表情をしたのだった。

「この先どれだけ人類の歴史が続くかわからんが……いつの時代のどんな場所でも、人が酒を飲むことを忘れてしまったら、それは人類最大の不幸じゃとワシは思うんだ。人生なんて人それぞれ色々だろうが、酒が隣にある人生はそれなりに幸福なんじゃないかとね。ああ、酒に溺れてダメになるような奴は良くないがね。酒ってのは寄り掛かって助けてもらうもんじゃなく、対等に付き合うもんだ……ああ、話がそれちまった。そう、だからな、酒場の主人なんてのは、人の人生の隣に立つ仕事ってこった。この酒場に来る客どもの人生に、きっとこの店は刻まれるじゃろう。だからマスターさん、あんたも客どもの人生を自分の人生に刻みなさいな。それが酒場の主人の最高の役得じゃよ」


そう、この彼の言葉こそ、僕がこの店に集う人達の日常を書き残してみようと思い至ったきっかけなのだ。

ロットン氏の言うように、酒場の主人である僕が人の人生の隣に立つ仕事をしているのならば、歴史の表舞台に出ることもなく消えていく名もなき人々の、それでも決して二つと無い人生を、文章という形にして残してみたいと、この時にふと思い立ったのだ。


「ごちそうさま。今日はここらでお暇するよ。そろそろ港に戻らにゃならん時間だ」とロットン氏が言った。

ロットン氏は支払いを済ませながら、すっかり彼のことを気に入ったシーナと再会を約束しあっていたが、ふとアッシュに声をかけたのだった。

「そこのピアニスト君、今時分に随分渋い曲を演るじゃないか。いやいや、いい店だねぇ。年甲斐もなく楽しかったわい。港の連中に評判が良いのもわかったってもんだ」

また来るよ。最後にそう言って、ロットン氏は雨の街に帰って行った。


ロットン氏が店を去った後、シーナは再び手帳に向かってペンを走らせ始め、それはロットン氏が訪れる前と同じ光景だったが、僕には彼女の仕草が少しだけ寂しそうに見えた。

アッシュはというと、演奏を止めてカウンターに移り「僕もそのラムが飲みたいな」と言ったのだった。

再度三人きりになった店内で、僕はなんだか気分がよかった。

今日という日、もう早仕舞いにしようかと思っていたほどの雨の日に、ロットン氏と出会えたことがとても嬉しかったのだ。

酒が結ぶ素晴らしき出会いこそ、僕が酒場をやっている理由なのだと、改めて気づかされたのだから。

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