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03


「我々は高い金を払ってまで、子供の戦争ゴッコに投資するような趣味は持ち合わせていないのだが」



 ラードラー少佐の口から溢れ出してくる侮蔑の言葉に、思わずアレンの方が首を竦めそうになる。言われた張本人であるリョウとレクターは、自分達へと向けられる言葉に反応する訳でもなく、平然とした表情を浮かべたままだ。


 天幕の中、会談の席へと同行したレクターが静かに唇を開く。



「勿論、私共も戦争ゴッコをしに、ここまで来た訳ではありません。私共は貴方がたの依頼に百パーセント応える自信があります。少佐殿も私共の依頼完遂率はご存じの筈だ」

「その完遂率も怪しいものだな」



 疑心暗鬼を通り越して侮蔑すら滲ませ始めたラードナー少佐の眼差しに、レクターは殊更穏やかな笑みを浮かべた。



「私共を疑うのであれば、今回の話は白紙に戻しましょう。私共でなくとも、傭兵は幾らでもいます。それこそ何百何千と。今からその方々にコンタクトを取って、貴方がたの敵を真正面から潰しにかかればいい。勿論、私共がやるよりも犠牲は高くつくでしょうが」



 言い様は柔らかだったが、ようは『我々と契約するかどうか、さっさと決めろ』と突き付ける言葉だった。慇懃無礼なレクターの台詞に、ラードナー少佐が露骨に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。



「本当に、お前達だけでやれるのか」

「さぁ、それはお話を伺ってからでないとお答えしかねます。まずは具体的な依頼内容をお教え頂けませんでしょうか」



 レクターが迎合するように両腕を開く。その仕草すら、最初から決まっていた演技のように見えた。


 片頬を引き攣らせながらも、ラードナー少佐が手元の地図をテーブルの上へと広げる。地図上に黒丸で囲まれているのは、この基地の所在地だ。その黒丸から円状に散らばるようにして、赤い点と青い点が打たれている。赤い点は三十箇所ほど、青い点はそれ以上に多い。



「黒丸が我々の現在位置だ。赤い点を打っている箇所がこの半年間で我々と敵ゲリラから襲撃を受けた位置になる」

「青い点は」



 不意にリョウが口を挟んだ。ラードナー少佐が鼻梁に皺を寄せてリョウを睨み付ける。大人の会話をガキに邪魔されたと言いたげな、不快感も露わな表情だ。


 リョウを睨んだまま押し黙ったラードナー少佐へとレクターが斜に視線を向ける。



「どうなんですか、青い点は?」

「…ゲリラ達の基地と予測される場所だ」



 呻くようなラードナー少佐の言葉に、リョウとレクターが失笑を漏らす。テーブルの上の地図へと指先を這わせながら、リョウが呟く。



「つまり、あんたらはこの半年間、自分達が戦っている相手の隠れ家すらまともに検討が付けられてないって言うのか」



 その声音には、無能な指導者に対する侮蔑がたっぷりと含まれているように聞こえた。リョウの嘲りの声に、ラードラー少佐が怒りに顔面を紅潮させる。



「ゲリラ共は不定期に本部基地を移動している。我々が隠れ家を探知して強襲した時にはそこはもぬけの殻になっているんだ」

「自分達が無能な軍隊だと証明してるも同然だな」



 リョウが一息に吐き捨てる。途端、ラードナー少佐の顔面が赤を通り越して赤黒く染まった。



「貴様、言葉を慎め!」



 ラードナー少佐が叫ぶのと、天幕の入口が開かれたのは同時だった。天幕入口からのっそりと入ってきたのは、七十歳は過ぎているであろう長身の軍人だった。髪は既に白く褪せ、身体は骸骨のようにやせ細っている。


 だが、その腕に飾られた階級章を見た瞬間、アレンもラードナー少佐も息を呑んだ。慌てて椅子から立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。忙しない敬礼をちらと興味なさげに眺めて、長身の軍人はいい加減に手を振った。休めと言うことらしい。


 敬礼を崩した瞬間、ラードナー少佐が縺れるように言葉を漏らした。



「じ、ジキル少将、な、なぜこちらにいらっしゃるのですか?」



 困惑がありありと滲んだ声音だ。『ジキル少将』という名を聞いた瞬間、リョウが大きく噴き出した。



「ふ、少将! あんたいつの間に少将まで出世したんだ?」



 気安い口調で問い掛けるリョウの姿に、ラードナー少佐だけでなくアレンまで目を向いた。だが、リョウの無礼な態度を咎める事もなく、ジキル少将は小さく肩を竦めただけだった。



「君が世界を駆け回って人殺しに精を出している間にですよ」



 よく見ると、ジキル少将の顔は唇以外ピクリとも動いていなかった。のっぺりとした顔面は、まるで体温のない爬虫類のようにも思える。


 ジキル少将の返答を、リョウは気に入ったようだった。その幼い顔立ちに笑みが滲む。だが、その仄暗い笑みは子供らしい溌剌さとはかけ離れているように見えた。



「で、お偉い少将様がなぜこんな敗戦一方な基地にやって来られたんですか?」



 皮肉まみれのリョウの問い掛けを聞きながら、ジキル少将が対面の椅子へと腰掛ける。アレンもラードナー少佐も立ち尽くしたままだ。



「久々に君と話がしたくてね」

「それはそれは光栄です。アンタの部下だった頃は、ちっとも会話なんざしようとしなかったくせにな。アンタはいつだって『翌朝、出撃だ』としか言わなかった」

「兵士には必要最低限の情報しか与える必要はない」

「何のために戦っているのかすら知らずに命を捨てろと?」

「それが兵士の務めだ」

「相変わらずアンタの軍人思想には反吐が出る」



 硬質なジキル少将の声音に対して、リョウの声音は酷く柔らかだった。だが、その言葉には致死量の毒が含まれている。



「お二人は、同じ部隊に所属されていたのですか?」



 目の前で繰り広げられる遣り取りに、アレンは無意識にそう問いかけていた。上官と客人との会話に口を挟んでしまった事に狼狽した時には遅く、リョウの視線がアレンへと向けられていた。



「元上司だ」

「君は優秀な部下だった」

「よく言うよ。部下の身体がバラバラに千切れたっていうのに、見舞いの一つにも来なかったくせに」



 バラバラに、という言葉に、アレンは思わず身を固くした。だが、リョウは和やかな声のまま続けた。



「それでジキル少将、俺と何の話がしたいと?」



 リョウが組んだ両手の上に顎を乗せて訊ねる。あどけない仕草だが、それすらも計算に思えた。



「今回、君たちにはゲリラ軍の隠れ家を見つけだし、テロリスト共を掃討して貰いたい」

「そうか。だが、その程度のことであんたが俺たちを呼ぶわけがないだろ。本当の理由は何だ」



 即座にリョウが問い返す。ジキル少将は一瞬だけ押し黙った後、胸ポケットから一枚の電子プレパラートを取り出した。電子プレパラートに触れた瞬間、立体画像が空中へと浮かび上がった。映し出されたのは、白衣を着た黒髪の女性だ。おそらく三十代、野暮ったい丸眼鏡を掛けてはいるが、その顔立ちは儚げで美しい。



「彼女はミドリ・キムラ。生機交学に関して世界でも十本の指に入ると言われる研究者だ。彼女は、我が軍の研究所スタッフだったが、二月ほど前にテロリストに誘拐された。現在は、i地区に潜伏するゲリラ軍の基地に監禁されているとの情報が入った」



 ジキル少将の説明に、リョウはふぅんと興味なさそうな相槌を返した。だが、その視線は空中に映るミドリへと真っ直ぐ向けられている。



「この女、見たことがあるな。十年前に金子博士のラボにいた」

「彼女は、金子博士の一番弟子だ」

「あのマッド・サイエンティストの弟子か」



 リョウが含み笑いのような声で呟く。



「この女を救助するのが目的か? それとも、口封じに殺すことか?」



 あっけらかんとした声で、空恐ろしいことを呟く。アレンは、思わず目を見開いてリョウを凝視した。アレンの視線に気付いたリョウが微か威嚇する犬のように鼻梁に皺を寄せるのが見えた。



「第一目標は、ミドリ・キムラの奪還だ。だが、それが叶わないようであれば、敵側にみすみす我が国の頭脳をくれてやることはない」



 ジキル少将の言葉は、救助が不可能な場合は彼女を殺せ。と暗に言ってるも同然だった。リョウが顔色一つ変えずに唇を開く。



「報酬は五本。前金で半分。後払いで残り半分だ」

「今、送金した」



 ジキル少将が電子プレパラートに数度触れて言う。リョウが視線をレクターへと投げる。レクターは、胸ポケットから取り出したパネルを操作するとリョウへと軽く頷きを返した。



「情報は」

「君たちが望むものをすべて提供しよう」

「ならば、敵の武装状況、一帯の地図、付近の村の情報を。それから、俺達が介入する以上、この基地の指揮権も俺達に一任して貰おう。余計なことをされて、無駄な被害を被りたくはないからな」



 傲慢極まりないリョウの言葉に、ラードナー少佐がいきり立ったように椅子から立ち上がる。だが、ジキル少将は片腕を伸ばして、ラードナー少佐を無言で制した。



「それ以外に希望はあるか」

「ある。今すぐこの基地を放棄しろ。さっきの地図を見る限り、この基地の位置は、確実にゲリラに把握されている。空爆方法を手に入れられたら、一瞬で狙い撃ちされるぞ。全滅したくなけりゃ、兵士達を少数の部隊に分けてジャングルの後方まで撤退させろ」

「君達はどうする」

「俺達は、あんたらの部隊とは別行動を取る。足手まといは要らない」



 切り捨てるようにリョウが呟く。その言葉に、ラードナー少佐が肩を震わせて言う。



「貴様らのような傭兵どもを、何の監視も付けずに放任できるか」

「少佐、俺たちは歩くGPSを連れて歩くなんて御免なんだ。あんたらの身体にはチップが埋め込まれてる。敵側にハッキングされたら作戦が一瞬でパァになっちまう」

「我々のチップには、我が国最強のセキュリティがかけられている! ゲリラ兵ごときにハッキングできるものか!」



 ラードナー少佐がまるで癇癪を起こした少女のように叫ぶ。ピクピクと醜く痙攣するラードナー少佐の頬を、リョウは酷く冷めた眼差しで眺めていた。リョウが指先で軽くこめかみを叩く。



「ラードナー少佐、貴方は一月ほど前に国に帰還しているな」



 唐突なリョウの台詞に、ラードナー少佐が僅か虚を突かれたように目を瞬かせる。リョウが言葉を続ける。



「折角我が家に帰ったっていうのに、一週間の間、毎日ピザを注文してる。中でもペパロニピザがお気に入りか。四回も注文している。この様子じゃ、奥さんとは上手くいっていないんだろうな」



 ラードナー少佐の顔色が一瞬で悪くなった。半開きになった唇が微かに戦慄くのが見える。



「一週間の帰還のうち五日間、晩を同じ場所で過ごしている。自宅の住所ではない。アイオア通りの高層ビルの1201号室だ。住んでいるのは、大学生のカーリーナ・ロベス。スペイン系アメリカ人か。カフェテリアでアルバイトしているが、それにしては金回りが良すぎる。グッチの新作にロレックス……ふは、最近血統証付きの犬も買ってるな。キャバリアキングの子犬だ。彼女は、あんたの愛人か」



 すらすらと淀みなく溢れ出すリョウの言葉に、ラードナー少佐の顔色は既に真っ白になっている。



「なぜ…なぜ…」

「なぜって、最強のセキュリティがかけられたチップをハッキングしたんだ。ただ、それだけのことだよ」



 こともなげに呟いて、リョウが肩を竦める。だが、再びこめかみを指先で押さえると、ニィッと唇を引き裂くようにして笑った。



「一週間ほど前に、カーリーナは産婦人科を受診している。妊娠したようだぞ。時期的に見て、あんたの子じゃあない。浮気してたのは、あんただけじゃなかったらしいな」



 人の心の柔らかい部分をナイフで突き刺していくような、そんな惨い言い様だった。ラードナー少佐の唇がピクリと戦慄く。次の瞬間、ラードナー少佐は発狂したような喚き声をあげながら、リョウに掴み掛かっていた。


 アレンは、咄嗟にラードナー少佐へと手を伸ばした。だが、その手がラードナー少佐を取り押さえる前に、リョウの小さな掌がラードナー少佐の腕を鷲掴んでいた。途端、ラードナー少佐の腕がまるで杭で止められたかのように空中で動かなくなる。ラードナー少佐の腕は、太い青筋を何本も浮かべて、ぶるぶると震えていた。



「リョウ、フェルナンドと一緒になって人を馬鹿にするのは止めなさい」



 レクターが溜息を吐きながら呟く。ラードナー少佐の腕を押さえたまま、リョウがのんびりとした声を返す。



「馬鹿にしてるつもりはないさ。ただ現実を教えてるだけだ」

「現実ですか」

「そうだ。自分たちが電脳世界で飼われている家畜だという現実をな」



 ラードナー少佐の腕が変色し始めていることに気付いた。リョウに掴まれた部分からドス黒い紫色が広がっている。ラードナー少佐のうめき声が聞こえた瞬間、アレンは無意識にリョウの腕を掴んでいた。



「手を、離して下さい」



 触れた感触は、幼い子供の腕だ。細く柔らかいが、奥底から金属の冷たさを感じる。リョウはアレンを一瞥すると、呆気なくラードナー少佐の腕を放した。ラードナー少佐が両腕をだらんと垂らしたまま、その場に膝を付く。重苦しい空気の中、微かな嗚咽が聞こえてきた。


 ラードナー少佐の啜り泣きを聞いて、リョウがつまらなさそうに呟く。



「人間は簡単に傷つく」



 無神経な言葉に、アレンは胸の奥から言いようのない怒りが沸き上がるのを感じた。



「では、貴方たちは何だと言うんですか」

「機械だ」



 呆気なく返答が返ってきた。リョウは真っ直ぐアレンを見上げている。一瞬、息を呑むくらい静かな目だった。その眼差しは、置物のように黙り込んでいたジキル少将へと向けられる。



「チップ入りを、俺たちに近付けるな」



 リョウの淡々とした言葉に、ジキル少将はアレンへとすっと視線を投げきた。



「彼ならどうだ」



 唐突なジキル少将の投げかけに、アレンは顔を強張らせた。



「彼は『チップ無し』の人間だ」



 ジキル少将の言葉に、リョウの視線がアレンへと向けられる。その隣でレクターが頷いた。



「本当です。彼には、チップが入っていません」



 そうレクターが言うが、リョウは不機嫌そうな表情を崩さない。その小さな唇から舌打ちが聞こえた。



「チップが入ってなかろうが、邪魔なもんは邪魔だ」

「君が言うことも解らなくはないが、傭兵部隊に監視一人も付けずに野放ししたことが発覚すれば軍の沽券に関わる」

「そんなクソの役にも立たない沽券はドブに捨てちまえ」



 苛立ったように机の足を蹴り飛ばしながら、リョウが吐き捨てる。僅かな沈黙の後、リョウがアレンを見上げた。



「こいつが死んだら?」



 無造作に吐かれた台詞に、背筋に悪寒が走った。ジキル少将が緩やかな口調で答える。



「勿論、君たちに責任を問うことはない」

「そうか」



 短く答えると、リョウは弾みをつけて椅子から立ち上がった。アレンを見上げて言う。



「今すぐ出発する。武器も服も両親の形見ですら、何も持ってくるな」


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