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02 二〇四五年 i地区脅威対策第一大隊基地

【二〇四五年四月 i地区脅威対策第一大隊基地】



 表門が開かれる軋んだ音が聞こえた。


 弾数を数えていた手を止めて、アレンは顔を上げた。顔を上げるのと同時に、額から汗が一筋頬へと流れ落ちた。まだ四月だと言うのに、気温は既に三十度を越えている。i地区がこんなにも暑く、じめじめと湿った場所だと知ったのは、この基地に赴任した二ヶ月前だ。鬱蒼と覆い繁った木々が基地の周囲を取り囲んでいて、鳥や獣の鳴き声がひっきりなしに聞こえる。息を吸い込めば、噎せ返るような土と緑の匂いが鼻孔に潜り込んできた。


 アレンがこの基地に来てから二ヶ月間、表門はただの一度も開かれた事はなかった。時々表門の横に取り付けられた小さな扉から食料が運び込まれるのを見ただけだ。


 開かれた表門から、二台の軍用ジープが基地内へと入ってくるのが見える。ジープは深緑色にペイントされていて、荷台には四方を覆うようにホロが張られていた。


 入ってくる二台の車を見て、アレンは慌てて立ち上がった。まだ朝の七時半だ。上官に聞いていた時間よりも三十分も早い到着だ。車へと小走りに近付いて行くと、先方を走っていたジープが止まって、車内から二人の男が現れた。


 運転席から降りてきたのは、目元に大きなゴーグルを付けた赤毛の男だ。ガムでも噛んでいるのか、口元がくちゃくちゃと忙しなく動いている。遙か昔に観た『XーMEN』という映画に出てくるキャラクターに似ているなと思った。


 助手席から現れた男は、頭に深緑色のニット帽を被った四十代の黒人だった。二メートル近くはありそうなほど背が高い。迷彩服を着てはいるものの、その口元に浮かんだ笑みは穏やかで、慈愛に満ちていた。胸元で揺れている十字架を観ていると、その男が神父のようにも思えてくる。


 赤毛の男が近付いてきた。



「どうも、アンタがここでの世話係?」



 その浅黒い肌と赤毛からしてスペイン系かと思っていたが、彼の口から出てきたのは滑らかなクイーンズ・イングリッシュだった。言葉遣いはともかく、発音がアナウンサーのように明瞭で美しい。



「はい、貴方がたがこの基地にいる間は、私がお世話するように命じられております」

「少尉?」



 いつの間にか赤毛の男の視線がアレンの肩口へと移っていた。肩に付けられた階級章を見て、独り言のように呟く。



「はい、アレン・ヒューマンと申します」



 強張った声で答えると、途端赤毛の男がぶっと吹き出した。



「化け物共の世話をする人間〈ヒューマン〉」

「こら、やめなさいフェルナンド」



 いつの間にか黒人の男が赤毛の男の斜め後ろに立っていた。フェルナンドと呼ばれた赤毛の男は、まるで悪戯っ子のように舌をべろりと出した。その様を見て、黒人の男が呆れたように肩を竦める。そうして、その肉厚な手を、アレンへと差し出してきた。



「こんにちは、私はレクター・ファーザーと言います」



 ファーザーなんて、ますます神父らしい名前だ。レクターの手を握り返すと、想像よりもずっと柔らかな握手が返ってきた。その時、青い羽がレクターの右肩に止まるのが見えた。小さなインコだ。



「あぁ、この子はマギです」

「幸運の青い鳥。俺達の救いの女神。キュートな魔法使い」



 レクターの声に、茶々を入れるようにフェルナンドが口を挟む。レクターが窘めるように後頭部を叩くと、フェルナンドはいてぇいてぇと大袈裟な悲鳴を上げて笑った。陽気と言おうか、随分と落ち着きのない性格のようだ。



「i地区脅威対策第一大隊基地へようこそ。貴方がたを歓迎いたします」

「歓迎、って感じはしねぇけどなぁ」



 アレンの言葉に、フェルナンドが胡乱げに左右を見渡して呟く。フェルナンドの視線を追うように、アレンも視線を周囲へと巡らせる。途端、寒々とした視線が突き刺さるのを感じた。基地の兵士達は皆、何処か異物を見るような、蔑みの眼差しで彼らを観察している。もしかしたら、その眼差しはアレン自身にも向けられているのかもしれない。アレンも、この基地では異端者に変わりない。



「〈こういう事〉に慣れていないんです。どうかあまり気を悪くされないで下さい」

「こういう事って、化け物の傭兵部隊を軍に介入させるって事?」



 赤裸々なフェルナンドの言葉に、またレクターがその後頭部を叩く。いでぇっ、とフェルナンドの叫び声が聞こえた。



「すいません、言葉を知らない痴れ者で…」

「おい! 人の頭をピニャータ人形みたいに叩くなよ、目玉飛び出したらどうすんだ!」

「あなた、目玉ないでしょう」



 呆れ果てたレクターの言葉に、肩がピクリと動いてしまった。その僅かな動きに目を止めたのか、フェルナンドの顔がアレンへと向けられる。フェルナンドが得意がるように目元に取り付けられたゴーグルを指さして言う。



「ないよ、目玉二つとも。両方とも機眼に変えてる」



 最近じゃそう珍しくもないだろう? とフェルナンドが暢気な声で言う。アレンは戸惑いながらも、緩く唇を開いた。



「病気か事故ですか?」

「抉られたんだ」

「え?」

「ワインオープナーで」



 あまりにもあっけらかんと言うものだから、アレンはフェルナンドの言葉が真実なのか冗談なのか区別が付けられなかった。ぎこちない笑みを浮かべると、フェルナンドはニッと歯を剥き出しにして笑った。


 レクターが口を開く。



「自動制御系生命体――サイボーグは珍しいですか?」

「そうですね…。最近は負傷して腕や足がサイボーグになっている兵士も珍しくはありませんが…。あの…貴方がたは…」



 躊躇いに言葉を詰まらせると、レクターは目を細めて笑った。大丈夫ですよ、と穏やかに返されて、思い切って唇を開く。



「貴方がたのように、その…身体の重要器官をサイボーグ化させている方は滅多にいないので」

「重要器官とは?」

「ええと…脳を…」



 もごもごとくぐもった声で答えると、レクターとフェルナンドは目を瞬かせた後、顔を見合わせて噴き出した。フェルナンドが自身のこめかみを人差し指で叩いて言う。その指は、五本とも根本から黒いペイントで塗られていた。機械の指だ。



「脳味噌の一部を機械化させてるのは、セキュリティのためだよ。自分の脳味噌にファイアウォールを張ってるんだ」

「ファイアウォール?」



「そう、頭ん中を他人に覗かれるざなんて冗談じゃないだろ。下手すりゃ識閾下に得体の知れない思想を植え付けられる可能性だってある。それに俺らにしてみりゃ、項に『チップ』埋め込んで、自分の情報を国家にダダ漏れにさせてるアンタら兵士達の方がよっぽどイカれてるけどなぁ」

「フェルナンド、言い過ぎだ」



 窘めながらも、レクターは先ほどのようにフェルナンドの頭を叩くことはなかった。言い過ぎだとは言うが、その意見自体には同意しているのだろう。


 アレンは自身の項へとそっと手を伸ばした。普通の兵士であれば、項の付け根に直径五ミリ大のチップが埋め込まれている。小型の認証チップを通して、常時セントラルコンピューターへと個人の生体情報が送られているのだ。何処に居るかだけではなく、脈拍や体温は勿論、チップを介して言葉の伝達をも可能にする。


 チップは、毛細血管を通して項から全身へと極微少のナノマシンを張り巡らせている。ナノマシンは個体独自の認証情報を持ち、決して同一ではない。ナノマシンが発する生体電流によって個人の識別を可能とするのだ。


 三年前に『マイチップ制度』が法定された。国民一人一人にチップを埋め込み、それによって個人の管理をより明確にするという法律だった。役所に身分証明書類を持っていなくとも、掌をかざすだけでコンピューターが体内のナノマシンを読み取って、本人だと証明してくれる。財布を持って歩かずとも、レジに掌を当てれば個人のネットバンキングから自動的に料金が支払われる。チップと電脳とをアダプターで繋げば、電話機がなくとも友人同士でお喋りすら可能だ。


 現在は、国民の大半がチップを埋め込んだ状態だろう。未だチップが埋まっていないのは、母胎にいる赤ん坊か、それともチップの導入を頑なに拒否している反政府団体のメンバーか。


 兵役を勤めるものは義務としてチップの埋め込みを命じられている。勿論、アレンもチップを埋める筈ではあったが――



「あれ? でも、アンタにはチップが埋め込まれてないな」



 下顎を擦りながら、フェルナンドが不思議そうに呟く。



「解りますか?」

「解るというより見えるんだ。アンタの項には金属反応がない」



 フェルナンドが目元のゴーグルを指先で叩く。金属同士が触れ合うカツンという冷たい音が聞こえた。



「見るだけで解るだなんて、便利ですね」

「うん、そう。ふふ、そうだな。機械化する理由なんて『便利』って利点一つだけだからな」



 アレクの感嘆の声に、フェルナンドは含み笑いを漏らしながら答えた。便利という利点一つ、だが十分過ぎる理由だ。昔から人間は『便利』さを手に入れるために、大事な物を一つずつ捨ててきた。今は便利さの代わりにプライバシーを捨てようとしている、それだけだ。


 項を指先でなぞってから、アレンはゆっくりと唇を開いた。



「そうですね。僕にはチップが入っていません。入れようとしたんですが、体質上どうしても拒絶反応が出てしまって。チップが正常に作動しないんです」

「拒絶反応?」



 レクターが珍しそうに呟く。アレンは苦笑いを浮かべながら、首を小さく縦に振った。



「はい。軍医からは私の身体がナノマシンに適応できないのではないかと言われました。ですから、私は身体に金属の欠片一つ入っていない前時代の遺物って事です」



 わざと冗談めかすように大袈裟に言い放つ。すると、その言葉の奇妙さにフェルナンドがまた噴き出した。腹を抱えて、ゲラゲラと声を抑える事もなく笑い転げている。



「笑い事ではないぞ」



 レクターが眉を顰めて、笑い続けるフェルナンドへと言い放つ。笑い声は小さくなったが、フェルナンドはまだ咽喉の奥で小さく笑い声を漏らしたままだ。レクターが溜息をついて、申し訳なさそうな眼差しをアレンへと向ける。



「申し訳ない。これは貴方にとって喜ばしい事ではないでしょう」

「そうですね。チップ無しの私が出兵できたのは奇跡かもしれません。もしくは前線へと厄介払いされただけかもしれませんが…」



 おそらく後者が正しいだろう。軍隊は、足並みを乱す異端者を極端に嫌う。必要なのはチップ入りの量産型兵士であって、チップ無しの出来損ない兵士ではない。それは兵士達の間でも共通した認識だ。【自分達と違うものは要らない】という確固たる区別、差別。


 数日前、ラードラー少佐から傭兵達の世話係を任命された時も、酷い疎外感を覚えたものだ。軍という組織で、傭兵という存在は無条件で嫌われる。自分達の場所にズカズカと無遠慮に足を踏み入れた金目当ての盗賊、というのが兵士達の共通認識だ。


 その上、今回雇った傭兵は、戦場では名を知らぬ者がいないほど有名なサイボーグ集団だと言う。各国を飛び回っては、人間を殺戮するサイボーグ達。この数日間、兵士達の間では様々な噂が飛び交っていた。



『身体だけじゃなく脳味噌まで機械化にしてるらしい』

『心がないから、人を殺しても罪悪感を覚えない。仲間ですら邪魔になると殺すんだってよ』

『もう人間じゃねぇだろ。化け物だ』



 嫌われ者の傭兵達を世話する異端者。自分がどんな目で見られるか、アレンには容易に想像が付いた。そういう目で見られるからこそ、ラードラー少佐はアレンに世話係を命じたのだろう。どうせ孤立するのなら、最初から独りぼっちの者に任せればいいと。


 孤独が胸を焼く。僅かに込み上げた寂寥に、無意識に左胸をさする。すると、笑いを止めたフェルナンドがアレクの肩をぽんと叩いてきた。



「俺はアンタいいと思うぜ? なんつぅの? 情報社会に対するアンチテーゼ的な? レジスタンス的な? 前時代のアナログも悪くねぇっつうか」



 その軽い口振りで発せられる言葉がアレンに対する慰めだと解る。肩に乗せられたフェルナンドの掌を眺めて、アレンは微かに笑みを浮かべた。フェルナンドが頬を緩ませて呟く。



「デジタルに勝つのはアナログなんだ」



 レクターが腕時計へと視線を落とす。つられてアレクも時計を見た。時計は七時四十九分を指している。



「あぁ、もうこんな時間だ。そろそろボスが起きる」

「十分前起床とは、相変わらずうちのボスはキッチリしてんなぁ」



 口々に言いながら、レクターとフェルナンドがもう一台のジープへと近付いていく。運転席を覗き込んでフェルナンドが気の抜けた声をあげた。



「リィ、ボスは起きたかぁ?」



 リィと呼ばれたのは、運転席に座っていたアジア系の女性だ。背中まで伸びた黒髪を高い位置で一つに結んでいる。切れ長な一重の瞳がフェルナンドをちらと見た。



「マダ。後少し」



 林檎のように赤い唇が言葉少なに返す。英語がそれほど得意ではないのか、発音にぎこちなさを感じる。無愛想な女性の返答を気にする様子もなく、フェルナンドは運転席側の窓から上体を突っ込むようにして助手席側へと顔を寄せた。



「ボスぅ、起きて下さい。朝ですよー」



 戯れるようにフェルナンドが声を上げる。助手席側へと視線を向けた瞬間、アレンは一瞬息を呑んだ。


 一目見た瞬間心奪われるような、神がかった美青年がそこに居た。プラチナ色の髪に灰がかった瞳、皮膚は透けるように白く、瓜実顔の上には一つ一つが完璧な形をした目鼻が置かれている。まるで絵本の世界から抜け出してきた氷の妖精のようだ。


 まさか、この美青年が傭兵隊のリーダーなのだろうか。そう思った瞬間、美青年は唇に人差し指を押し当てて、小さく笑った。



「静かに。もうすぐ起きるから」

「もう起きた」



 不意に、美青年の胸元辺りから声が聞こえた。声代わりもしていない、伸びやかな声音だ。もぞもぞと美青年の膝の上に乗っていた毛布が動く。剥がれた毛布の隙間から覗いたものを見た瞬間、アレンは言葉を失った。


 美青年の膝の上に座っていたのは、まだエレメンタリースクールも卒業していなさそうな少年だった。黒髪は短く切られ、瞳は鮮やかなエメラルド色をしている。目付きはやや尖ってはいるが、幼さの滲んだ子供らしい顔立ちだ。



「おはよう、リョウ」



 少年を背後から抱き締めながら、その耳元へと美青年が甘やかな声で囁く。リョウと呼ばれた少年は、目元をいい加減に擦りながら、肩越しに美青年を振り返った。



「ミハイル、離せ」



 見かけに似合わず、切り付けるような寒々しい声音だった。リョウの拒絶的な言葉に反して、ミハイルと呼ばれた青年は、その頬に美しい微笑みを浮かべるばかりだ。



「十二時間も文句も言わずにベッド役をこなしたのに、リョウは冷たいよ」

「冷たい方が嬉しいだろ」



 子供らしくない冷笑を浮かべて、リョウが吐き捨てる。その言葉を肯定するように、ミハイルはうっそりと笑みを深めた。


 二人の遣り取りに目を丸くしていると、リョウの視線が不意にアレンへと向けられた。大きなエメラルドの瞳がアレンをじっと見つめる。



「お前は誰だ」



 まるで相手の喉元にナイフでも突き付けるような、警戒心に満ちた声音だった。硬直したアレンの肩を抱いて、フェルナンドが陽気な声を上げる。



「ボス、こいつはアレン・ヒューマン少尉。ここでの俺達の世話役。このご時世に珍しい事に、名前のまんま『純正の人間』だ」



 俺達とは真逆のな。とフェルナンドが笑う。リョウは胡乱げな眼差しでアレンを眺めた後、すっと視線を逸らした。


 だが、アレンは硬直を解けなかった。ぎこちなく首を動かして、フェルナンドを見る。フェルナンドは間違いなくリョウをボスと呼んだ。ならば、目の前の少年が傭兵隊のリーダーだと言うのか。



「君がボス?」



 譫言のように囁くと、再びリョウの眼差しがアレンへと向けられた。リョウはミハイルの膝から降りると、車内から出てきた。立つと、その体躯の小ささが余計に目に入る。身長は百五十センチもなさそうだ。


 リョウがアレンへと近付いてくる。目の前で立ち止まると、リョウはアレンを真っ直ぐに見上げた。



「何か問題があるか?」

「君は、子供じゃないか」



 呻くようなアレンの声に、リョウが片頬を吊り上げる。露骨な嘲りの表情だ。



「機械に子供も大人もあるのか?」



 機械という単語に、ますます混乱が深まる。だが、次の言葉を発する前に、リョウの冷ややかな声が聞こえた。



「ヒューマン少尉、時間だ。俺達をクライアントの元に案内して頂こうか」



 すべての問い掛けを切り捨てるような声音に、アレンは唇を半開きにしたまま言葉を失った。


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