いよいよデビュー戦
「――はい。召喚士リーザ所属の精霊「トキヒサ」の召喚を確認しました。問題ありません」
「えっ、えっ?」
ほうきの世界に来たのはいいんだけれど、呼ばれた場所がいつもの湖畔じゃなくて、部屋の中、しかも見ず知らずのおじさんに囲まれているのだから、さすがに驚いてしまった。着ている服も、いつもとは違って、レーサーが着るような空気抵抗を抑えつつも身体を守るようなもこっとした服だし。
きょろきょろと辺りを見回すと、すぐそばにリーザが立っていた。その姿を見てほっとする。
「ちょっと、リーザ、これは?」
「あれ、言わなかったっけ? レースのときは不正がないように監視員の前で召喚するようになっているのよ。私も人前で召喚するのは卒業試験以来だから緊張しちゃった」
あ、そっか。いよいよ今日がレースの日なんだ。
ドッキリを受けたみたいで、なんか納得いかないけれど、えへっと笑うリーザのその笑顔に免じて許してあげよう。ていうかもっと見せてっ。ぷりーず!
リーザは、学校の制服のようなワンピース姿だ。僕の世界じゃあまり見かけないような、ゲームや漫画の中のファッションみたいだけれど、それはよく似合っている。
「リーザ、それ制服? どうしたの?」
「学校のよ。もう卒業したんだけれど、卒業後一年は公式なレースに参加する場合、これを着なくちゃいけないのよ」
へぇ。召喚士の学校って、リーザやユーリカさんが卒業した学校以外にもいろいろあるみたいだから、学校の宣伝のためなのかな。
とそこまで考えて気づく。そっか。今日は僕のデビューレースでもあるとともに、召喚士であるリーザの晴れ舞台でもあるんだ。
そう考えると、なんか俄然とやる気が出てきた。
よーし、やってやるぞーっ。
リーザに練習で使ってきたマイほうきを手渡され、並ぶようにして狭い通路を歩く。検定試験のときは試験場で用意されたほうきだったけれど、やっぱり乗りなれているほうきの方がいいよね。
リーザが向かうのが召喚士の控室で、僕が向かうのは選手の控室。
検定センターでの試験のときもそうだったけれど、召喚士と精霊は付きっきりというわけではないみたい。
他の精霊も条件は同じなんだけれど、やっぱり心細い。
「次会うときはレース後ね。勝って会おうね」
リーザは笑顔でそう言い残すと、僕と別れて召喚士の部屋へと、すたこら行ってしまった。僕が心細い思いをしているというのに、うーっ、薄情者。
と呪ってみたけれど、一人でぼーっと廊下に突っ立っているのも間抜けなので、僕も選手控室まで行くことにする。もしかすると、僕を心配させないために、あえて笑顔だったのかも知れないし――とポジティブに考えながら、選手控え室の扉を開けた。
うわぁぁ……く、空気が……重い。
扉を開けた途端、部屋の中に蔓延していた、ぴりぴりとしてそれでいてずっしりとした独特の雰囲気が、僕の体にのしかかってきた。
僕に気付いた数人が、こっちに視線を向けたけど、リアクションはそれくらい。すぐに視線が元に戻る。もちろんその間、だれも言葉を発していない。これみんな、レースに参加する、つまり僕と一緒に飛ぶ精霊たちなんだよね。
僕はそぉっと周りをうかがい、対戦相手を観察する。
みんなも僕と同じような服を着ている。デザインも統一されているのでレース用の服なのかもしれない。けれど服の色は皆それぞれ違う。あとから聞いた話によると、レースをする際、観客に誰が誰なのかを分かりやすくするために、こうやって目立つように色違いになっているみたい。ちなみに、僕の服の色は派手なピンク色。なので今まであまり言いたくなかったんだけど。
部屋にいるのは、僕を除いて、8人。十代前半から二十台半ばくらいに見える女性が6人。僕より年下っぽい少年が1人。どこかの○○星人みたいで性別が分からない人が1人。検定センターでもそうだったけれど、やっぱり女の子が多いみたい。もっとも、ハーレムでむふふ、なんて雰囲気はかけらも感じられない。くすん。
みんなも僕と同じようにほうきを持っている。ごく普通のもので、ど派手にカスタマイズしている人はいないかな(していいのか知らないけど)
目を閉じて集中している人、モニターを見ている人、本を読んでいる人(読めるのかな?)と、さまざまだけど。共通しているのは皆、無言ということ。――ん、モニター?
僕も釣られるように、部屋の奥に設けられているモニターに視線を移す。
おおっ、レースの映像が流れている。
僕が出場する新人戦は今日の第三レースって聞いているから、たぶんその一個前のレースだろう。街中を飛ぶピングリーブ杯と違って、下位クラスのレースは競技場内に設けられたコースを飛ぶ。リーザにレースの映像くらいは参考として見せてもらっているけれど、この部屋のすぐ外を実際に飛んでいるのかと思うと、迫力が全然違う。
うわぁ。みんな飛ぶのが速いっ。
そう内心驚く僕とは違って、部屋のみんなは平然とした様子でレース映像を見ている。ってことは、みんなもこれくらいは普通に飛べるってこと? えーん。みんな僕より速そうな気がする!
と心の中で嘆いていると、突然、部屋の外から歓声が響いた。
何事かと映像を見ると、次々とゴールしてゆくシーンが映っていた。レースが終わったようだ。ということは――
気の早い人はもう立ち上がっている。居心地が悪い部屋でも、まだ出たくはなかった。けれど……願いむなしく、係員の人が控室に現れ、僕たちを呼んだ。
「お~っ」
僕たちは案内に従って、通路を抜けて、競技場内のフィールドに足を踏み入れた。中はサッカーや陸上の競技場みたいな感じ。けど観客席からでなく、中から見る光景は中々圧倒的なものだった。観客は少なめで空席が目立つけど、満員よりは気が楽かも。
感心している間もなく、誘導員に促されてスタートラインに向かう。スタートは普通に地上からだ。
コース・レースの説明は事前にリーザから教えてもらっている。
スタート地点から直進上昇すると、観客席の中段くらいの高さのところに、大きな、二三人が楽にくぐれるほどの光の輪っかが浮かんでいる。
その輪をくぐって少し進むと、右側に光の玉が点々と浮かんでいる。
それは空に浮かぶ陸上のトラックに設置されたポールのようなもの。それに沿って飛んで行くと、競技場上空を大きく一周するような形になる。
そして最初に通り抜けた大きな輪っかを再び潜って、あと二周。合計三周して真っ先にスタートの輪っかを通り抜けた選手が一着になる。
一周は、僕の世界の距離に合わせると、大体2000メートルくらいかな。それを三周で6000メートル。ちなみに、この距離は新人戦として、ごく一般的な長さらしい。
スタートラインに立つのは、僕を含めて9人。みんなの服には色とともにそれぞれに番号が割り振られている。僕は5番なので、右から五番目に並んで、ほうきにまたがる。
選手紹介も、派手なパフォーマンスも説明もないまま、あとはスタートするだけの状態となる。観客のざわめきが一瞬小さくなることで、スタートの瞬間が近づいてきていることを感じる……
――と自分でも驚くほど冷静に分析していたのは、単にこれからレースという現実から逃避していただけであって。
横一列に並んで、観客が静まり返って、前方にシグナルが浮かび上がり、点滅し始めると、もう訳が分らなくなってきた。息苦しくて心臓バクバクするし、あでも精霊だから心臓が止まっても別に死ぬわけじゃないだろうけれどいったいどんな感じなんだろう――ってそんなこと考えている場合じゃないしっ。
(ごめんなさいぃっ! やっぱり僕なんかが人前でレースするなんて、無理だったんですぅぅう)
思わず誰構わず謝っていると、隣の皆が一斉に飛び出していた。
――ってもうスタートしているしっ。
で、出遅れたぁぁぁぁ。
「うびゃぁぁ」
僕はあわてて飛び出した。前方上空のゲートに向かって飛び立った他の8人の後を追う。リーザに教わったとおり、ほうきを握る手に力を込めながらも、飛ぶことに意識を集中させる。
ゲートは直径2メートルくらい。空に浮かぶそれは、まだ先。みな最短距離を取るように、斜めに上昇しながら一直線にゲートに向かう。僕も、みんなを横目に見ながら、ゲートを目指す。って、あれ?
横目ってことは並んでいるわけで……などと思っているうちに視界にほうきで飛ぶ人が消えてしまった。
もしかして、突然時空乱流でも発生して、他8名を異世界の異世界へ吹き飛ばしてしまったとか? などなど考えているうちに、ひとりゲートをくぐってしまった。仕方ないので、惰性でそのままポールに沿って右に曲がる。傾けた身体と視界の右隅に、他の皆が、列になって、ゲートをくぐる姿が見えた。
とりあえず、見えた4人は異世界に飛ばされなかったみたい。
――じゃなくって、もしかして、僕がトップ?
大して飛ばしているつもりはないのに先頭に立ったってことは、やっぱり僕って飛ぶのが速いのかな。
けれどゴールはまだまだ先。きっとみんな、学校の持久走みたいに、ラストスパートに備えて力を温存しているに違いない。
そう考えると、途端に緊張がぶり返して、ほうきを持つ手が震える。だめだめ。まだトップなんだし、プラス思考!
カーブを曲がりきって、観客席の反対側の長い直線。前だけを意識して飛ぶ。
3コーナーから4コーナーを曲がる。曲がった身体を利用して、後ろを確認する。僕から少し離れた後ろに、もう一人の少年が付けてくる。会話を交わしたわけじゃないけど、女性ばっかりの中では妙に親近感がわくので、勝手に男の子同盟を成立させる。よし、このまま二人でワンツーフィニッシュを決めて、女の子たちを見返してやろう。
そんな彼から少し離れて、ショートヘアーの勝気な感じの女の子が付けている。一番後ろには、ザ・宇宙人さんが見えた。
コーナーを何度も曲がることもあって、最短距離を取るため横に広がるのではなく、縦長の展開になる。まるで獣の尻尾みたい。
ということは、僕はお尻? それとも頭?
なんて意味のないことを考えつつ、ゲートをくぐって再び右にカーブ。二周目の直線に入る。右手には人がまばらな観客席。そういえば、リーザはどこで見てくれているのかな。
ゲートを再びくぐって、またまたまた右に曲がる。もう最後の一周だ。次にゲートをくぐるときは、ゴールだ。そう考えるとまた緊張モード。無駄なことを考えていないで集中しないと。
でもでも、このまま僕が一番にゴールしてしまっていいのかな? こういう展開って観戦している側としては、おいしいの? というか、このまま抜かれずにゴールできるのかな? ……じゃなくて。
――だからっ、集中っ!
と再び気合を入れ直し、ゴールゲート反対の直線に入った途端、不意に背後に人気を感じた。振り向くと、三番手に付けていたショートヘアーの子が、僕の真後ろに付けていた。
彼女は僕と目が合うと、にやりと笑う。
「先導役、ごくろーさまっ。後はゆっくりご隠居しててね」
そう言って彼女は僕の横に並びかけると、さらに少し前に出た。
抜かれたっ。
その事実に加え、少女の台詞には、いくら温厚な僕でもムカッと来た。
ぐっ、と手のひらに力を込めてスピードを上げる。抜き返す。
「ちょ、ちょっと、おばさんは大人しく、縁側で寝てなさいよ」
「お、おばさんって?」
いくら僕より年下っぽいからって、おばさん呼ばわりなんて。
っていうか、僕は、男だーっ!
と、思いっきり叫び返してやりたかったけれど、それが出来なかった。
声を出す余裕がないのだ。
(な、なんで……っ、スピードが上がらない……)
力を入れているのに。
自分はもっと早く飛べるのに。
さっきまで競い合っていたのに、3コーナーに入るころには、小娘の背中を見ていた。とにかく無駄なコースロスのないよう、なんとかコーナーを曲がりきる。
「……ごめんなさい」
最後の直線に入った途端、そんな言葉を残して、さっきまで姿も見えなかったロングヘアーの少女に、並ぶ間もなく交わされた。背後に、さらにたくさんの人が迫っているのも感じる。
(うっ……)
駄目だ。思ったように飛べない。息をするたびに肺が痛む。目がかすむ。
思ったようにならない。この症状――バテたんだ。
やっぱり飛ぶペースが速かったのだろうか。それとも単に力がなかったから?
って、後悔は後だっ。
瞳を細める。とにかく前に飛ぶことだけを考える。大して意味はないだろうけど空気抵抗を減らすため、ほうきに身体を巻きつける。
一周前、観客のことを気にしながらあっさり通過した直線が、やけに長い。
何人に抜かれたのだろうか。気づくと、僕の横にザ・宇宙人の精霊がいた。一番後ろを飛んでいたやつなのに。そう思ったとたん、何かが切れた。
――こいつに抜かれたら最下位。それだけは……絶対、させないっ!
「負けるもんかぁ~っ!」
リーザの教えも忘れて、ほうきを折らんばかりに強く握り、我を忘れて叫んだ。
実際、スピードが上がったかどうかは分らない。
けれど、彼?よりは先にゲートをくぐったことだけは分った。
「……はぁ……はぁ、はぁぁ」
ずり落ちそうになるほうきに何とかしがみ付く。その僕の脇を、次々と後からきた精霊がゲートをくぐってくる。思ったより抜かれてはいなかったみたいだけれど、惨敗だ。
泣きたくなった。