複雑な決着
後ろを振り向かなくても、誰が迫っていているのかわかった。
けれど、わざわざ振り向いて見てみると、
「はぁい❤」
やっぱりミレイユだった。相変わらず、ほうきに横乗り状態で、右手を上げて笑顔でこっちに手を振っている。レース中だというのに何て、お気楽な……って言ったら僕だってのんきに後ろを見ている場合じゃないんだけど。
そろそろ折り返し地点である。
ルートを示す光球がゆるやかなカーブを描きはじめる。
僕はそのラインにそってゆっくりと右に旋回しようとする。
けれど、後ろを向いて飛んでいたせいで、少し反応が遅れて外に膨れてしまう。そして、そのインのスペースを、ミレイユにあっさりと突かれてしまった。
「あっ、ずるいっ」
「あら、隙を狙うのは、当然のことですわ」
平然とミレイユ。最短距離を通られ、あっさりと抜かれてしまう。距離ロスをなくすため、仕方なくミレイユの後に付けて僕も最短距離を通るように折り返し地点を右に回る。
そして曲がり切り終わると、こっちもスピードをさらに上げて、ミレイユの横に付けて並ぶように飛ぶ。
うーん。僕としては結構無理して並んだのに、ミレイユは平然と飛んでいる。
やっぱりミレイユは速い。飛び方綺麗だし、まだまだ余裕がありそう。
「あなたも気付いたのかしら?」
「ふぇっ?」
「前に飛ぶ子よ。のん子、とか言ったかしら? まぁ名前なんてどうでもよろしいんですけれども。スタートから飛ばしているくせに、さらに一定の間隔でスピードを上げていますわ。この計算された飛び方から考えますと、おそらくゴールまでこの配分で飛ぶことを想定しているはずですわ」
「……えーと」
いきなり長々と語られても……
「つまり、このままのペースで飛んでいると、前の子には永遠に追いつけないことですわ」
「うっ、それは困る……」
けどこれより速く飛ばないと追いつけないなんて、さすがに一つ上のクラスだよね。厳しいかも。って、こんな風に会話しながら飛んでいるんだから、僕も意外と余裕しているのかもかも。
「それでは先に行きますわよ」
と言い残して、ミレイユは優しくほうきの先を撫でた。
ひゅんっと、磁石で弾かれたかのような加速。相変わらず、何度見ても美しい。――って感心している場合じゃない。
いつの間にか後ろにたくさんの気配を感じる。レースは僕とミレイユとのん子の三人でしているわけじゃない。折り返し地点を過ぎて、他のみんなも仕掛けてきたんだ。
あと残すは長い直線のみ。
まだ仕掛けるには早いかもしれない。けれど、迷っていて何もできないまま負けてしまうよりは、ずっといい。
「よしっ。いっけーっ」
僕はほうきを軽く握りしめて精神を集中させ、スパートをかけた。一気の加速。ぶれる身体とほうきを何とか押さえつけて、前だけを見る。目指すは、ミレイユの背中。いったんは小さくなったその姿が、少しずつだけど、大きくなってくる。――いけるっ?
直線もそろそろ半分。はるか先の眼下にレース場の鮮やかな光が見えてきた。
あそこがゴール地点。あとちょっと、中々、前との差が縮まらないのに、ゴールまでの距離はどんどんせまってくる。
このままだと、追いつけないままゴールを迎えてしまう。
もうすこし距離があれば……という思いの一方で、さっさとゴールして、レースが終わって欲しいという気持ちが交錯する。
辛い。きつい。
自分はこれ以上できない、ってくらい全力で飛んでいるのに。
後ろからは抜かれてもいないし、背後に気配も感じないので三位はキープしているのだろうけど、全然、前との差が縮まらない。
やったっ。銅メダルだっ、万歳。
何てこと考えていても事態が好転するわけもなく、前二人との差は……相変わらず。
尻尾娘が先頭だけど、ミレイユが、それこそ彼女のように、測ったかのように、徐々に差をつめている。このペースでいけば、ゴール直前で抜き去る勢いだ。やっぱり、彼女が一番なの?
(あっ……だめっ)
いつの間にか、右によれていた。ゴールは一直線だというのに、これでは大きなロスだ。だけどそのせいで、さっきまで背中と後頭部しか見えなかったミレイユの横顔がちらりと見えた。
――え?
驚いた。いつも余裕しゃくしゃくのミレイユの、初めて見るきつそうな表情。
それでも意志の強さを感じる碧の瞳は、まっすぐに、ゴールを見つめている。なんていうか、その表情は、一つの絵になりそう。
こんなこと言ってる場合じゃないけど、惚れちゃうかも。あぁ、僕ったらリーザ一筋なはずなのに。やっぱりハーレム希望? って、だから! そんな場合じゃなーいっ。
よしっ。
何か俄然やる気が出てきた。まだまだこんなアホなこと考えている余裕があるんだっ。僕だってまだ飛べるはず。集中しろっ!
手ごたえはあった。更なる加速。ミレイユたちの斜め後ろから、僕の猛追が始まる。確実に二人との距離は縮まっていく。
僕の存在に気付いたのか。ミレイユとちらりと視線をこっちに向けた。
彼女は僕の姿を認めると、軽く微笑する。その途端、彼女のスピードがまた上がった。うわっ。マジでっ。悔しいけれど、やっぱり、凄いっ。
はるか遠くから僕たちへの歓声が聞こえてくる。
前方に、光のオブジェと化した競技場が見えてきた。
競技場に設置された大型スクリーンでレースを見ていた観客たちにも、僕たちが夜空の向こうから迫ってきている姿を確認できたのだろう。
先頭はミレイユに代わっていた。のん子が二番手で僕はその後ろだ。
けれどその距離はあと、ほんのわずか。
あと少しっ……もうちょっとっ……並んだっ!
レース中ではじめて、のん子の横顔が見えた。その表情は明らかにつらそうだ。
ミレイユもいったんは加速したけれど、それをずっと維持しているわけではなく、明らかにスピードが落ち始めている。今は、僕が一番速く飛んでいる!
自分でもこんなに速く飛べるなんて、思ってもいなかった。
いったん開いたミレイユとの差は、確実に差を縮まっている。
横乗りしているミレイユの横顔がちらりと見えた。
のん子と違って、彼女の瞳は、まだ輝きを失っていなかった。
そして、ついに競技場に戻ってきた。
真っ先に入ったのは、ミレイユだ。続いて僕。ミレイユとの差は――逆に少し開いていた。ほんのあと少し、手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、そのあと少し、がものすごく遠い。
ちょっとスピードを上げられれば、すぐに抜けそうなのに。そのちょっとの力は、もう残っていなかった。あとわずかな距離。けれど、距離以上に力の差を感じた。
(くっ――この、あと、ちょっと……なのにっ)
思い通りに動かない身体に必死に力を込めていた、その時だった。
え?
僕の視界を緑色の光が横切った。――ほうきが描く緑色の光は、のん子のものだ。
僕に抜かれて順位を下げるだけだと思っていた彼女に、まさかこれほどの力が残っていたなんて。
僕を抜き返したのん子が、ものすごい勢いでミレイユを追撃する。
そして――先にゴールの輪っかを潜り抜けたのは、のん子だった。
☆ ☆ ☆
レース後、精霊たちは控え室に戻り、検査をしつつ、レース順位が確定するまで待機させられる。三回目なのでもう慣れたものだ。
とはいえ、前二戦と比べて、飛んだ距離が長いからか、ミレイユと勝負したからか、疲労は半端なかった。
控え室までの道にはリーザをはじめとする召喚士たちに加え、前の二戦に比べて注目度が高いせいか、報道関係者の数も多くみられた。
「トキヒサ、お疲れ」
「……う、うん」
一人になりたい気持ちだったけれど、リーザに声をかけられてしまったので、仕方なく足を止めて応える。
リーザの表情に、失望や怒りの色は見えなかった。
けれど、レース結果は三位。オリンピックだったら銅メダルだけど、下位のDランク戦では、ただの負け。せめて二位までに入れたら、一つ上のランクに昇格できて、ピングリーブ市杯にまた一歩近づけたのに。
僕たちの横を、足早にミレイユが無言で通り過ぎた。ミレイユも疲れているはずなのにその足音は力強い……というより怒っているよう。とても声をかけられる雰囲気ではなかった。よほど、のん子に負けたことが悔しいのだろう。
あれ? そういえば、ユーリカさんの姿が見えない。別に控室まで行く間、一緒にいなくちゃいけないわけじゃないけれど。
「ねぇ、ユーリカさんは?」
リーザに聞くことじゃないだろうけれど、気になったので聞いてみた。
すると、リーザはいつものように機嫌悪くすることもなく、しれっと答えた。
「ん、ユーリカ? あいつなら、審判部の方へ行ってるわよ」
「へ?」
検査を終え、僕は控え室に戻る。レース中は敵同士とはいえ、終われば同じ精霊同士。ところどころで談笑が聞こえるのは、見知った間柄なのだろうか、それともただ単にフレンドリーなだけだろうか。
僕の知り合いといえばミレイユだけど、彼女は相変わらずあれなので、一人でぽつんと過ごす。ま、いいけど。
やることないので、視線をめぐらすと、あれ? しっぽ娘ののん子ちゃんがいない。話すかどうかは別として、どんな様子かは見たかったのに。まだ順位は確定していないけれど、もうインタビューでも受けているのかな?
なんてことしていると、ざわめきが起こった。ようやく順位が決まったみたい。
掲示板にみんなの名前が表示される。一番上に書かれているのは、えーと、ミレイユの名前だ。うん。さすがだよねぇ。彼女に負けた僕の名前がその下に表示される。そしてその下にさらにずらずらと名前が……って、あれ?
僕の名前が、上から二番目にある。――ってことは、僕の順位は二位?
「どうして……」
「のん子は、違法行為によって失格になったの」
僕の呟きに答える声。リーザだ。ユーリカさんも一緒に控え室に入ってくる。
「失格って……なにが違法行為だったの」
「魔法の使用よ」
「……魔法?」
きょとんとする僕に、リーザがたんたんと解説してくれた。
僕たちエルハはただほうきで空を飛ぶだけの精霊。そのために呼ばれた存在で、それ以上の能力は持ち合わせていない。
けれど召喚の際、召喚士がアレンジを加えることで、魔法のようなものも使えるんだって。それこそ、僕が当初イメージしていた精霊像のように。
「そんなことができるなら、なんでリーザはしてくれなかったのっ?」
僕は非難のまなざしを彼女に向ける。
まなざしついでに擦り寄ってみたりしたら、いつものようにポカリと叩かれてしまったけれど。
「それをやったから、のん子が失格になったんでしょ」
「あ、そっか」
彼女が使ったのは、能力とは別に強制的にスピードを上げる魔法。いわゆるターボみたいなものなのかな。みんながこういう能力を使ってレースしても面白そうだけれど、危険性やらなんやらで、規制されているんだって。確かに、あの爆発的なスピードで体当たりされたら……と思うとぞっとする。
「それに普通の召喚では、ちゃんとそういうことができないようになっているのよ」
「へぇ」
「あらあら。しっかり召喚のお勉強をしていれば、意外と誰にでも簡単にできるものだけれど~。誰かさんと違ってぇ」
「何か言ったっ?」
「ううん。何にも~」
あわわっ。二人ともこんなところで言い争うのはやめてほしい。
幸い、ユーリカさんはリーザに構うことなく、話題を元に戻す。
「それで、不正魔法のことを審判部に申告してきたの。レース後に不正魔法が使用されなかったか検査はするけど、適当にすませちゃうことも多いのよねー。だから、一応運営さんに伝えに行ってみたんだけれど、私が言うまでもなく、みんなも分かっていたみたいねぇ」
ユーリカさんが笑う。忠告のおかげか、それとも偽装が単純だったのか、レース後の検査によって、のん子の身体に異常魔力が見つかり、即失格となった、ってわけだだ。
「そういうわけだから、あなたの優勝よ。だから気にしなくてもいいの」
優しい穏やかな声。その方向を見ると、ユーリカさんが落ち込んでいる(?)ミレイユに声をかけていた。背を向けているので顔は見えないけれど。
「当然ですわ。別に気にしていません」
言い切って、席を立つミレイユ。
「あら~、このあと勝利者インタビューがあると思うのだけどぉ」
「出ませんわ。負けたのですから」
やっぱり気にしてるじゃん。
と内心ツッコミを入れつつ、二人の様子をぼんやりと眺める。ミレイユとユーリカさんの会話って、なんか良いよねー。
二人は並ぶようにして控え室を出ていき、その周りを覆うように報道陣も連れて行ってしまった。
「てことは、繰上げで僕がヒーローインタビュー?」
ちょっぴりおどけてみたけれど、リーザの突っ込みなし。
あれ? とリーザの顔をのぞき込むと、うーんって感じで、思案顔。
「どうしたの?」
「んー。ちょっと微妙な気持なのよねぇ。喜んでいいのか、悪いのかって」
二位になったけれど、失格の繰り上げ。二位だけれど、ミレイユには力負け。そもそも二位は二位で、一位でない以上、負けは負け。
確かにレース後は悔しくて一杯だったけれど、初めてのレースで負けたときは、本当に涙が出てきて……。それに比べたら、負けに慣れたって訳じゃないと思うけれど、全力を出し切ったのだから満足という気持ちも少しはあったのかもしれない。
そして今は、ミレイユには負けたけれど、のん子の失格で二着に入れたことにほっとしていて、負けた悔しさというのは、正直、あまり感じられない。
けれど、リーザの目標は、あくまでユーリカさんより先に、ピングリーブ市杯に勝つこと。そのためには、ユーリカさんの精霊であるミレイユに負けてへらへらしているようじゃ、リーザの精霊として失格だ。
「ご……ごめんなさい」
僕はしゅんとうつむいてしまう。
召喚士と精霊の関係。契約とかあっても結局は召喚士が、いらない、と判断したら、もう用のない存在と化してしまう。そんなの、いやだっ。
「あ、ごめんごめん。別に、そんなにトキヒサを責めているわけじゃないのよ。ただ、どうすればもっと強くなれるか考えていたの」
リーザは僕を安心させるかのように笑みを浮かべると、不意に軟化を決心したかのように、うんとうなずいた。
「よしっ。やっぱり、トキヒサには、もう少し修行が必要ね」
「ふぇ?」




