転生じゃないけれど異世界に呼ばれました
ときは、宮歴168年。
当時世界を二分していた強国の間で戦争が起ころうとしていました。
しかしいったん戦争が始まってしまうと、両国とも被害は計り知れません。
そこで両国の高官によって、ぎりぎりまで戦争回避の協議を行い、その結果、ついに和議が結ばれることになりました。
ところが前線に構える両軍の兵士たちには、いまだその情報が伝わらず、今まさに戦いが勃発しようかというところです。
当時は情報網が発達しておらず早馬で親書を届けるのが一般的でしたが、協議が行われた会場の城から前線までは、道も荒れていて馬で走っても10日はかかる距離でした。
一刻も早く停戦の情報を伝えないと手遅れになってしまいます。しかし、その使者の役目を誰に任せるかが、また問題でした。
走りっぱなしの強行軍に加え、戦争を望んでいる一部の開戦派による妨害を受ける可能性もある、危険な任務だったからです。
誰もが受けたがらない辛く危険な役目。それを買って出たのは、とある宮廷魔術師が身の回りの世話をさせるために呼び寄せていた、少女の精霊でした。
彼女の名はエルハ。異世界から呼び出される精霊は不思議な力を持っており、当時は戦争の前線に送られることも多かったのですが、彼女の能力はほうきやはたきをふわふわ浮かせて掃除ができるだけ。それでも広大なお城を掃除するには便利な能力で、重宝されていました。
人々が半信半疑で見つめる中、彼女は親書を携えると、いつものように竹ぼうきを浮かせました。そして何と、そのほうきにまたがったのです。
彼女は唖然とする皆を背に、空へと飛び立ったのでした。
そして馬で10日以上かかる前線へ、わずか二日足らずでたどり着き、無事戦争を回避させたのでした。
この出来事は国中に広まり、エルハは一躍時の人(精霊)となりました。
魔術師の間では、彼女と同じように、ほうきで空を飛べるような精霊を呼び出すことが流行しました。
そして年に一度、彼女の功績をたたえて、精霊がほうきで飛んでその順位を競うレースが行われるようになりました。
それが年を経るにつれて、競技として発展していったのです。
そして今日、そのレースは彼女の名前をとって「エルハローネ」と呼ばれ、国の各地で月に何回も行われ、一大娯楽として、商業として成り立つようになりました。
精霊を呼び出す魔術師は今日では召喚士と呼ばれ、強力な精霊を呼び出して大レースに勝利し、一攫千金を得る者も現れるようになりました。
昔に比べ魔力を持つ人間は減ってきましたが、それでもその一握りの人間は、富や名誉や夢を目指して召喚士試験を受け、エルハローネで活躍することを信じて、異世界から精霊を召喚するのでした。
☆☆☆
僕の周りには、まぶしいほどに輝く紅葉した木々が広がっていた。
「――というわけ。分かった?」
その色鮮やかな木々の横には青い湖が広がっている。対岸が見えるので、大きさはそれほどでもない。標高が高いのか、湖面にはうっすらと靄が舞い、柔らかな陽光を浴びた湖面には、周囲の赤や黄色が鏡のように映し出されている。
「ねぇ、聞いてる?」
そんな湖畔にいつの間にか立っていた僕、白村時久は、目の前にいた見ず知らずの少女から、空飛ぶ精霊という昔話のような説明を聞かされていた。
「いや。まったく」
「えぇーっ」
僕の答えに、少女は不満げに頬を膨らませた。その仕草は子供っぽくって、やや童顔な彼女に似合っていた。
背中まで伸びた栗色の髪の毛に、ばっちりとした亜麻色の瞳の女の子。愛らしい口元に整った顔立ち。けっこう……というか、かなり可愛い。童顔だけれど、年は僕と同じくらいかちょい上くらいかな。
「だから、いま説明したように、私は召喚士で、あなたは私に召喚された精霊なの。あ、ちなみに私の名前はリーザよ。去年召喚士学校を卒業したばかりで、あなたが記念すべき、精霊第一号なのよ」
「はぁ……」
そう言われても……
なんかネットでよく見る、「おめでとうございます! あなたは○○人目の当選者です!」みたいな広告がなんとなく頭に浮かんだ。
「でも、僕ふつうに宿題終えてベッドで寝たつもりだったんだけどなぁ」
そして気づいたら目の前に少女――リーザがいて、僕がどうこうする前に、いきなり語られた、というわけだ。なのでまだ頭が寝起きみたいにぼーっとしている。
事故や事件やらで死んじゃって、神様が異世界に転生してくれるっていう話ならよく漫画や小説で見るけど……。
「――はっ。てことはもしかして、僕、心臓発作でも起こして、寝ているうちに死んじゃったっ?」
「いやいや、死んでないって、たぶん」
「たぶんっ?」
「うん。学校の授業で習ったんだけど、精霊は向こうの世界で寝ているときに召喚されるんだって。私が召喚を解けば、向こうの世界でちゃんと目が覚めるらしいから、安心してね」
「……本当に?」
「大丈夫だって。それと、精霊の世界と私たちの世界では時間の流れが全く異なっているみたいだから、こっちでいくら過ごしても、向こうに帰ったら一晩の出来事らしいよ」
「へぇ……」
らしい、とか、みたい、って。
何となくリーザの性格と学力が理解できた気がする。
「でも僕は精霊でも何でもない、ごく普通の高校生なんだけど。転生じゃないんなら、運動神経も勉強も大したことない、僕なんかで、大丈夫なの? 別の人を呼びなおした方がいいんじゃない?」
「いやいや。そう簡単には精霊をほいほい召喚できないのよ。これが」
リーザがしたり顔で説明する。
それによると、初めて精霊を召喚するときは、「卵」と呼ばれる特殊なマジックアイテムが必要で、それは小さな家が一つ立てられるほどの、とても高価なものらしい。召喚士の学校を卒業すると、その証として一つ貰えるんだけれど、高価な故に、中には精霊を召喚しないままそれを他の人に売っちゃう人もいるとか。
すでに僕を呼び出したリーザの手元に「卵」はもうない。
なぜなら、その貴重な「卵」を使って、僕が呼び出されたからだ。ちなみに、呼び出される精霊は召喚士の魔力に比例するけれど、基本的にはランダムなんだって。
結果、呼び出されたのが、魔法とか魔力とか全く関係ない僕だったというわけだ。別に僕のせいじゃないんだけれど、ちょっと申し訳ない。
「んーと。大丈夫よ。精霊は召喚されることによって、魔力を得るらしいし、私はまだまだひよっこだけれど、あなたからは結構高めの魔力を感じるよ」
「……本当に?」
魔力と言われても、ぴんとこない。
「うんっ。さすが実技と座学はだめだけど、魔力だけは及第点って言われた私が召喚しただけあるわねっ!」
リーザが胸を張るけれど、それって自慢、かなぁ?
と、僕が首をひねっていると、リーザが「はい」と言って、右手を僕に差し出した。その手には、中学校の時まで学校の掃除でよく目にしていた、ごく普通の竹ぼうきがあった。
さっきの話の流れからすると、まさか……
戸惑う僕に向かって、リーザはにっこりと笑って、言った。
「それじゃ、さっそく飛んでみようか♪」