強がり
達磨を一つ作った。
つうっと赤い雫が唇を伝った。
誰から見ても顔が真っ青だとわかるであろう自分の唇を噛み、鳴海は男を睨んだ。
楽しげで嫌らしい笑顔を見せながら糸目の男は大仰な動作で暗色系の色で染められた狩衣の懐に手を入れ、鳴海に見せ付けるように札の取り出した。
「これで万が一にでも君たちの勝ち目はなくなりましたねぇ。ああ、そこら辺に転がっている木の棒で私をどうにかしようとしても無駄ですよ。ある程度の武道は嗜んでいますから」
鳴海の殺気立った視線は強くなる一方、確実に追い詰められていることをわざとらしく示す男の言葉に無意識のうちに後退っていた。
「それと、私は一度でも敵意を向けた人間は誰であろうと許したことはありませんよ。命乞いなどは惨めな思いをするだけなのでやめておいた方が良いですよ」
最後の手段である降参もこうして封じられてしまったことでいよいよ打つ手がなくなってしまった鳴海は、再び殺意を込めた威圧感を放っている男の前に立っていることすらもつらくなっていた。膝は先ほどから大笑いしているし、足先は外気の冷たさと血の気の失せた自分と体と相俟って酷く冷たくなっている。指先などはもう真っ白になっているだろう。
激しい鼓動と直感が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、未だに男の前から逃げ出さないのは全て背後にいる桃花のおかげだろう。彼女がいなければ今頃は泣き喚きながら全力で男から離れていることだろう。
目の前の男から距離を取りたい、逃げたいという気持ちは微塵も変わらないが自分の背中も見ているであろう桃花に情けない姿を見せたくない、彼女を守りたいという気持ちも確かに胸の中に存在しているのだ。
鳴海は男を見据えたまま片膝を折ると、手探りで何か武器になるものはないか探し始めた。
男の嘲笑がこだまする。
「いやいや、私の目も曇ったものですね。無駄な抵抗だということがわからないとは。救いようがありませんねぇ」
「うるさいな」
小さな、しかし確かに響いた声に男の動きが止まった。
「……なんですって?」
「うるっさいって! 言ったのよ!」
鳴海が叫んだ次の瞬間、地面を探っていたはずの彼女の手から紫色の薄日が一閃した。
一筋の矢となった光は急上昇するとそのまま男の左上腕に突き刺さった。
刺さるだけではなく、男の腕を貫通した光はそのまま光の尾を引いて木立の中に消えていった。
不意打ちにくぐもった悲鳴を口の中に転がした男は腕を押さえた。
「やっと静かになったわね」
わずかに引きつりながらも不敵な笑みを浮かべた鳴海は更に手を動かす。鳴海の手を良く見てみると、探っているように見せかけて土を札にこすりつけていた。なけなしの抵抗をするための武器を探しているわけではなく、元々の幾何学模様を強引に塗り潰してから別の模様に書き換えていたのだ。
そして強引に書き換えた札が効果を表し、男の腕を貫いたのだ。
しかし土を用いた幾何学模様は従来の威力にはならず、それどころか稲妻にすらなっていなかった。人体を貫けるだけの貫通力はあるようだが、どれだけ上手く模様を書いてもそれが限界だろう。寧ろ土で描いた札で点の範囲ながらもここまでの威力を引き出したことは称賛されてもおかしくはない。降魔師たちが武器にしている札は神前で作成されるのだ。使われる墨や筆も仏像の傍に安置された物を使用しているからだ。
だが鳴海は内心ではひどく焦っていた。
これだけの威力ではあいつを倒せない。
決して表情には出さないように注意しても滲み出す焦燥感を完全に隠すことは出来ないでいた。
連続して再び鳴海の手から紫の光が糸目の男に向かって飛翔していく。だがそれらは男に届くより先に輝きを失い、色をなくして消えてしまった。
それを見て鳴海はもう一度土をつまむ。だがそれは突然響いた男の怒号によって遮られた。
「殺す! てめぇらクソガキ共は絶対に殺す! 雑魚の降魔師のガキは犯して殺す! 向こうのガキは精神崩壊するまで嬲って殺す。生きて帰れると思うなよ」
今までとは比べられないほどの濃密な殺気が森に充満した。
その殺気を真正面から浴びた鳴海は痴呆のように同じ音の声を漏らして腰を抜かした。
その後ろにいる桃花も同じような状態でひたすら涙を流していた。
二人の心に踊るのは大きすぎる絶望の文字。




