溢れる気持ち
「あすちゃん、大丈夫……?」
今にも泣き出してしまいそうな表情で仰向けに寝転がったままの鳴海の顔を覗き込んでわずかに震えを滲ませながら言った。
彼女がこうまで心配するほど今の自分の顔は酷いことになっているのだろうかと考えて、鳴海は桃花を安心させるように、ぎこちなくはあるが小さく笑顔を浮かべた。
それを見て表情を和らげたのも束の間、またしても眉を寄せて泣き出しそうな顔になった。
だがこれには自覚がある。
とめどなく溢れる涙が目尻からこぼれているからだ。
どうして桃花はこんなに優しいのだろうか。
底知らずの優しさが今は酷く胸を締め付ける。
「ごめんね、桃花。ほんとうにごめんなさい。あ、あたしのせいで、あたしのせいでこんなことに、ひぐっ、ほんとうにごめんね」
「違うよ! あすちゃんのせいじゃないよ!」
「違わないっ! あたしのせいで桃花をこんな危ない目に合わせたのっ! だから……」
「わかってないよあすちゃん……」
悲しげな言葉に鳴海は彼女の顔を見つめた。
「こんなこともあるかもって、覚悟してたんだよ。だって、あの人たちと友達になりたいんだもん。寧ろこうして怪我一つないことにびっくりしてるよ」
泣き笑いの顔で冗談めかしながら桃花が言うが、鳴海は納得出来なかった。
こんなことになったのは優柔不断だった自分のせいだ。物の怪とかかわればいつかはこんな事態になっていたはずだ。それをわかっていたのに桃花に忠告だけしかしなかった自分が許せないのだ。手段を選ばなければ彼女をこんな目には遭わせなかった。強引にでも説き伏せて二度と近づかないように説得をすればまた違った結果だったはずだ。少なくとも、自分が優柔不断でなければ彼女は危険な目に遭わなかった。
今もこうして自分を気遣ってくれている桃花を見るだけで、申し訳なさと自分の情けなさに心が破裂してしまいそうだった。
何日も悩み続け、溜め込んできた感情が激流と化して暴れ始めた。出口を求めた感情は自然と言葉として吐露されていく。
「全部あたしのせいなんだよ!? あんたのせいだ、って責められてもしょうがないことなんだよ!? どうしてそんなに優しくなれるの? どうして全然怒らないの? 全部全部、あたしのせいなのにぃ!」
勢いを増して流れていく涙と共に、感情が爆発して溜め込んでいたものを一気に吐き出した。
わーわーと声を上げて泣きじゃくる鳴海に、桃花は静かに涙を落としながら強く強く抱きしめた。
「あのね、あすちゃん。本当のことを言うとね、凄くたのしかったんだ」
ぐすっと鼻を啜ってぎゅっと鳴海を抱きしめる。
「私、幽霊が見えるでしょ? でも友達も家族もみんな見えないから。自分だけがおかしいのかなってずっと思ってたんだ。凄く怖くて、でも誰も信じてくれなくて、私はこれからも一人なのかな、理解されないのかなって苦しくて。でも、あの人たちに会って、見えるのが私だけじゃないのってわかって、見えることに悩まなくてもいいって。同じ人がいるって、自分だけが変じゃないってことがわかって、それが凄く嬉しかったんだよ」
「……」
「今だってそうだよ、私は一人じゃないもん」
力いっぱい鳴海を抱きしめ、イチトは止まった涙がいつの間にか溢れていることにもかまわず、鳴海の肩に顔をうずめた。
「だからね、あすちゃんのせいじゃないんだよ? あすちゃんが悪いなんてことないんだから」
優しく、心が伝わるように泣き続ける鳴海の目を見つめて桃花は言い切った。
ぴたっと涙が止まって、しかしまばたきをするよりも早く再び涙を流した。
「桃花、桃花、桃花! うぅ……ぁあああああ!」
ぎゅぅっとしがみついて大声で泣き出した鳴海の頭を優しく撫でながら、桃花は小さく笑顔を浮かべた。
良かった。ちゃんと伝わった。
ぐしゃり、と桃花の背後で枯れ葉を踏みつける音がした。
その瞬間、鳴海は桃花を抱きしめたまま起き上がり、体の位置を回転させて桃花を背中に隠すと腰を落として身構えた。
「いやいや、感動的ですねぇ。友情とはこう美しくあるべきですよ。特に女性の友情は上辺だけのものだったりもしますからねぇ。ああそうだ、邪魔してしまいましたね。どうぞ続けてください」
にこりと明らかな作り笑いを浮かべた糸目の男はほとんど瞼を閉じているように見えるほど目を細めていた。
「友情ごっこなんて見ているだけでヘドが出そうですけど、お二人の気が済むまでは待ちますよ」
その言葉に偽りはないらしく、男が纏う雰囲気は先ほどから背筋が冷たくなるような剣呑なものだ。見れば口元がわずかに震えている。ごっこ遊びと断定する辺り、心の底から嫌なのだろう。
得体の知れない男にどうしても嫌悪感が拭えない鳴海は及び腰になりながらも気丈にも睨みつけていた。そんな鳴海を見て、いや糸目の男は彼女の後ろ、すなわち桃花を見て口角を持ち上げていた。怪訝な表情で眉を寄せた鳴海の耳にようやく届いたのはがちがちと歯の根が合わずに震える桃花の切羽詰まった鼻声混じりの吐息だった。
「桃花? どうしたの桃花?」
男を前にして振り返ることは出来ず、少しでも落ち着けばと服の端をつまみながら震えを伝える指を優しく握った。
「桃花になにしたのよっ!」
「何を、と聞かれるほど大したことはしてませんよ。簡単に言えば、自宅で寛いでいたその子を拉致したくらいですかねぇ」
悪びれもせずににやにやと嫌らしい笑顔を浮かべる男を睨む桃花の圧力はより強いものに進化していった。
歯を食いしばるあまりに歯ぎしりの音が周囲に響いた。背中に密着している桃花はもちろん、目の前の糸目の男にも聞こえるほど大きなものだった。
「おや、何をそんなに怒っているんですか? 私はただ化け物共を殺そうとしただけですよ? 言うなれば彼女はその餌です。見目麗しい少女は生贄に相応しいと思いませんか? ……ただあなたまで釣れてしまうとは予想外でしたけど」
これが一石二鳥ですね、と嘲笑う男がゆっくりと近づいてきた。
男の言葉通りならば桃花の怯え様に納得出来る。だがそれを受け入れることは到底出来ないことだった。
動物の声の一つもない静寂に満ちた山の中に響くのは男が枯れ葉を踏みつける音。ゆっくりと、だが徐々に近づく音が二人の恐怖を掻き立て、知らずのうちに二人の足を後ろに運ばせ、すくませていた。
だが鳴海はその恐怖を跳ね返し、一歩、足を前に出した。
ほう? と感心した風に息を漏らした男に、不敵に笑むと眉を吊り上げて隠していた怒りを噴出させた。
ポケットに忍ばせた手を男が気づかないようにゆっくりと抜き、札を持った腕をさりげなく背中の影に隠した。
それとは逆の腕で握った桃花の指を離すと、親指から順番に服から桃花の冷たくなってしまった指を引き剥がしていった。
しかし彼女は気づいていないようで、意識の全てを男に向けていた。もしかしたら精神的外傷、トラウマを持ってしまったのかもしれない。
依然として震える桃花の指を全て剥がすと、鳴海はもう一歩前に出た。
そうしてから小さく桃花に囁いた。
「時間を稼ぐから、早く逃げて」
「……え?」
「ほら、急いで。あんまり持たないと思うから」
一度だけ振り返り、恐怖で引きつりながらも笑顔を桃花に向けて鳴海はもう片方の腕をポケットに入れた。
鳴海の心に渦巻くのは強い自責の念と、同じくらい強い、いやそれ以上に強い親愛の感情が自分自身の背中を押していた。
鳴海の言葉が理解出来ず、呆然と立ち尽くしていた桃花は、鳴海が男と対峙する姿を見て、ようやく耳元でせき止められていた言葉の意味が浸透していった。
命を掛けて桃花を逃がそうとしているのだ。
しかし桃花には許容出来ない。友達の命を燃やして逃げるなど、彼女には出来ないのだ。
心が拒否する一方で、桃花の頭はしっかりと理解していた。どれほどなるべくな海が自分を大切に思っているのか。その思いの強さは自分の想像の何十倍も強く、そして酷く美しいものだった。
「そんな……やだよ。そんなのやだ、無理だよ、出来ないよ!」
桃花の叫びを聞いても鳴海は振り向こうとはしなかった。
そして鳴海はポケットから手を抜いた。




