人にあらず
体力温存のために黙々と道なき道を歩いていた。暗闇のせいであまり見えず、いささか心細くなっていくがその度に隣にいる存在を頼りにひたすらに歩き続けていた。
ざわざわと木々が揺れ、遅れて届いてきた怒号や悲鳴にはっとして振り返ったお稲荷様とトーコは声のする方角に顔を向け、暗闇の中に目を凝らした。
衛や最上兄妹ほど視力の良くない二人にはこの先の光景な当然見えないのだが、それでも息を潜めて様子を窺わずにはいられなかった。
登っていた斜面を数本戻り、傍に立ち並ぶ木々の一本に身を寄せてしゃがみ込むと隠れながら顔だけを出した。万が一にもこの距離を見通す人間がいるとは思えないが何事にも用心するに越したことはない。頬をくすぐる背の高い草を鬱陶しげに引っこ抜いて適当に置くとじっと闇の先を注視した。
衛の寝息が静かに響く。
紫色のまばゆい光が赤色と鳶色の瞳に反射し、跡形もなく空に溶けた。
ついに始まったのか、と二人は不安そうに時折不自然に発光する戦場を見つめていた。
光っては消えていく戦場を黙って見ていたお稲荷様は、同じようにじっと見つめているトーコの肩を叩いた。
はっとして振り向いたトーコに行こうと声を掛けると、トーコは頷いてしっかりと衛を背負い込むとゆっくりと立ち上がった。
「狼くんおんぶするよ?」
「ううん、平気」
「そっか。疲れたら言ってね?」
そう頷いたお稲荷様は立ち上がるトーコを支えていた腕を離して山の上を見た。
このまま真っ直ぐ進めば頂上に辿り着くことはそう遠い距離ではないが、彼女たちは頂上を中心に、渦を描くように少しずつ登っている。かれこれ数時間分歩いているがまだまだ遠い。
それでも二人は足を止めることはない。
歩き始めたトーコに背負われた衛を見て、早く目が覚めますようにと満月に祈って、先導するために走った。
苛立たしげに舌打ちを鳴らした最上兄は滲む額の汗を乱暴に拭った。
視界の奥で景気良く人間たちを吹き飛ばす韋駄天の竜巻が吹き荒れているのが見える。竜巻に入り込んでしまった人間がまた一人、悲鳴を上げながら派手に空に巻き上げられて落下していった。
日常の中でそのような愉快な光景が見られたなら誰に憚ることもなく大口を開けて笑い転げてもいいのだが、残念ながら今は非日常だ。もっとも、彼自身非日常の存在ではあるが、日向で生きているので日常を知っている。
しかし目の前の人間たちは最早人間とは呼べる存在ではない。暢気に穏やかに生活していた面影は蜃気楼のように消えている。
日常に生きていた衛が非日常に飲み込まれる、ということがちっぽけな出来事になってしまうほどの変化だ。
いや変化で済ませられるほど軽々しいものではない。真っ白なキャンパスに真っ黒のペンキをぶちまけるかのような、存在の芯から全てを塗り替える、ただならぬ現象だ。しかしこれが現象と呼べるものなのかは甚だ疑問だ。人為的な何かが絡んでいるといわれたほうが素直に納得出来る。
わずかに呼吸を乱した最上兄が強く睨むのは、魂と呼べるもの、或いは精神、或いは心、それが欠如した人間だ。生きた人形という表現がこれほど似合うものはないだろう。
瞳に光はなく、全身に裂傷、打撲、脱臼、骨折、内臓破裂、それらの重傷を負い全身の肌色を余すところなく赤色に染め上げて芋虫のように転がってもなお、這い摺りながら最上兄に向かってくる降魔師たちだった集団。
一様に無言。もしかしたら呼吸すらしていないのかもしれない。
彼らは既に人間ではなくなってしまっている。
何故ならば。
最上兄は彼らを殺しているからだ。




