高まる闘志
沸騰したように滾る血が一瞬の内に全身を駆け巡る。狼の闘争心が、無意識に唸り声を出した。
鋭敏になった五感が、唸り声にぴくりと震えたお稲荷様を捉えたが、気にしている余裕はなかった。
手に持つ抜き身の刀の冷たい殺気が目の前の古今から吹き上がった。後ろでぶるりとお稲荷様が震えた。
右の拳を握り、左手を振り子のように動かし、タイミングを計る。三度、腕を振ったところで、古今が刀を胸に水平に構え、姿を消した。衛はすぐさま腰を落としてしゃがむ。風を置き去りにした銀線が頭上を抜け、遅れて風圧が衛の後ろ髪を揺らした。古今がそのまま刀を振り下ろすよりも速く、衛は膝をバネにして立ち上がる。それと同時に右拳を顎目掛けて振り上げ、古今の高い鼻をかすった。
嫌らしく笑いながら口笛を鳴らし、古今は後ろへ跳躍した。着地すると同時に大地を蹴り、引き結んだ口から息を漏らしながら左逆手に持つ鞘を横薙ぎに振り抜いた。衛は眼前を通り過ぎる鞘を上から左手で叩き、逸らしてから握り締めた右手で古今の顔面を殴り付ける。だが引き戻した鞘でそれを防ぎ、衛の腹に蹴りを入れた。衛は腹筋に力を入れて耐え、その足を掴む。軸足を蹴り飛ばして古今の体勢を崩すと、掴んだ足を両手で持ち直して空に放り投げた。ぐるぐると回る視界の中、崩れた体勢を直せず、しばしの浮遊感を味わった後、砂利道に叩きつけられた。
「ぐっ……げほっ。ふ、ははは。面白れぇ。やるねぇあんちゃん。オレに着いてこれるヤツぁ久々だ。もっといけるよなぁ?」
衛は無言で拳を握った。
「いいね、いいねぇ」
獰猛な笑みを浮かべて服を叩きながら立ち上がり、鞘を投げ捨てた。
元々、鞘は武器にはならない、使わないものだ。だが古今は敢えて使うことで相手の強さを見極め、己より弱ければ鞘で叩きのめし、張り合いがあれば鞘を捨てるのだ。色濃い殺気が充満する戦場で、自分を殺せるくらいの強さを求めて戦う戦闘狂。だがその実、命の削り合いで更に自分を高めようとしている一人の剣士だ。
両手で刀の柄を握り、鍔に親指を掛ける。際限なく高まる闘志を抑えず、その身に焼き付ける。
「次は殺すぜ?」
最上至、最上可憐の兄妹は吸血鬼である。太陽の下を歩き、にんにく料理を食べ、十字架を身に付ける。そんな吸血鬼である。
その二人は十字架を首から掲げる修道女と対峙していた。傷ついた牛鬼の前に立つのは最上兄。その前に立つのは妹。兄が髪を伸ばす、或いは妹が髪を短くすると見分けがつかなくなるくらい似ている双子は、殺気吹き荒れる戦場に似つかない程普段通りだった。
最上兄妹は吸血鬼だ。肉体の一部が失われても再生は出来ないし、急速に傷を癒やすことも出来ない。何より、銀が駄目だ。ほんの少量だけ銀が混じった物でもやけどの傷が出来てしまう。ましてやほんのわずかに、指先だけでも純銀に触ってしまうと行動不能になるほどだ。最上兄妹は内心、目の前の敵が銀を持っていないことに安堵していた。
煌が厳く目を光らせ、最上妹が眠そうな目でぼんやりと見つめる膠着状態の末、痺れを切らしたのは煌だった。
革靴の先で砂利を蹴り上げ、目眩まし代わりにすると右手刀を振り下ろす。最上妹はそれを優雅に、華麗にターンしながら避ける。その回転のまま回し蹴りを繰り出すが既に煌は後ろへ退避して睨み付けていた。
衛に置いていかれたお稲荷様は負傷した牛鬼を介抱していた。
巫女服の懐からを包帯を取り出すと、人間の姿になっていた牛鬼の、着物の下で腫れ上がっている両腕にその辺に落ちていた流木で固定し包帯を巻いた。その一連の動作は近くで見ていた最上兄に感嘆させる程手慣れていた。
「見るなシスコン。見物料取るぞ?」
心底嫌そうな顔で言うのは人間状態の牛鬼。腹筋の要領で起き上がり自分を庇う最上妹を見てため息を吐いた。
「ええ!? 見ただけだよ? ええ!?」
「騒ぐなシスコン。耳が腐る」
「まぁまぁ牛ちゃん。そんな事言わずに仲良くしてよ。ね?」
「紺ちゃんがそう言うならしょうがないなぁ」
先程の不機嫌顔を瞬時に引っ込め、お稲荷様の言葉に即答し、デレデレとだらしなく締まりのない笑顔を晒す牛鬼は数少ない稲荷神社の参拝客で、お稲荷様と出会ったことによって本来の可愛い物好きが爆発的に増大した結果、お稲荷様を見るだけでとろけた笑顔を見せるようになったのだ。だがそれは彼女に対してだけであり、女性にならば笑顔を見せることもあるが、大の男嫌いである。その為、最上兄を筆頭に、衛、性別的には雄の烏天狗には冷たい態度を取るのが当たり前であり、その度にお稲荷様にたしなめられてとろけた笑顔を見せるのが常だった。
「うんうん。みんな仲良くね」
頷き、ズレた狐面をくいっと付け直した。