懐かしい体
最上兄妹やトーコたちが今まさに神の御技を目に焼きつけているとき、二匹の獣の戦いも終焉が刻一刻と迫っていた。
狼も蝙もお互いの血で、もしくは己の血で濡れ、それでも手を止めることは決してしなかった。
一方の衛は自身の体の変化に戸惑っていた。
なにかつき物が落ちたような体の軽さ。常人のそれよりも幾分か尖った獣じみた指先が、今では丸く人間の指になっていた。その指を口に突っ込んで犬歯を確認すると肉食獣の牙がなくなっていて、鋭さを失った歯に変わっていた。
ということはあの狼の存在が、衛の中に息づく狼の血なのだろう。ならば蝙も同じ存在なのだろうか?
自分の周囲に蝙、いや吸血鬼の血が流れている物の怪なんて二人しか知らない。どこかで吸血鬼の再生能力は凄まじいと聞いたことがあるのもこの二人からだろう。だとすればあの蝙は最上兄妹が自分にその血液を飲ませたのだろう。確かに自分は重傷を負っていたはずであるし、彼らなら自分を助けようとしてくれるだろう。不思議とそんな確信が持てた。これも狼を少なからず受け入れた影響なのだろうか。だとすれば悪いものではない。
口元に微笑を浮かべて吸血鬼の兄妹に衛は深く感謝した。それと同時に思いついたことがあった。
あの二匹を倒す、或いはどうにかして屈服させることが出来れば人間に戻れるのではないか、と。
しかし人間に戻った今の衛では人外じみた身体能力は持っていないだろう。それにあの二匹の攻撃を一度でも直撃してしまえば致命傷になってしまうだろう。だがこれはチャンスだ。このチャンスがこれから先起こるとは思えない。人間に戻れる可能性があると同時に、二度と人間に戻れなくなるかもしれないリスクもまた存在するのだ。
ではどうするか。
まずは様子見だ。あの二匹の癖を見極め、そして上手く消耗するまで衛は見守ることにした。なにせ今の衛は何の変哲のないただの人間なのだ。対抗策は幾つあっても足りないと考えた方がいい。
力も体力も軒並み下がっている今、頼りになるのは知恵だけだ。素手であの二匹を相手にするのは危ないが、この空間の中に鉄パイプだとか都合のいいものは落ちていないだろう。うっすらとしか見えない夜目の利かない視覚の問題もある。
一時的にでも人間に戻れたことは嬉しいがこの状況では心許ないのが現状だ。
とにもかくにも、狼と蝙がこちらに意識を向けずにひたすら互いを潰し合って欲しいものだ。
いつも頼っていた腕力も、とてつもない瞬発力を持つ脚力も、今は持っていないのだから。
「これでよし」
お稲荷様に触れていた手が徐々に光を失い、周囲が完全なる闇に閉じると韋駄天は一息ついた。
体力の消耗が激しいのか、大汗を浮かべてそのまま脱力する彼を、三人は言葉もなく見つめた。しかし考えていることは全く同じだった。
その力を衛に使えば万事解決するのではと。
しかしその考えを見透かしたように韋駄天が口を開く。
「言っておくけどこの治療は何回も使えないぞ。貯めた力を使うから次に使えるようになるまで何年も掛かるんだ」
仰向けに横になる衛にちらりと目を向けて続ける。
「だからあいつを治すのは無理」
「そんな……」
ある程度は予想していたのか、最上兄妹は仲良くため息をこぼした。だが確実に衛を救えると希望を見いだしていたトーコはそうもいかなかった。
今にも倒れてしまいそうなほど顔色を悪くして座り込んでしまった。
慌てて最上妹がトーコを支えるが妹はその触れた体の冷たさに内心驚いた。
血流が悪くなるほど緊張していたに違いない。それほどに責任を感じていたということだろう。
韋駄天のおかげでお稲荷様が助かり、心配事は一つ減り、心に余裕も出来てきた。だがその事実が目の前にあっても三人は喜ぶに喜べなかった。
未だに衛は意識を失ったままだ。




