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モノノケカミカミ  作者: 水島緑
満月の光は優しく
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眠りに落ちる

 視界の端で地に倒れ伏した男が時折痙攣するのを見て、無意識のうちに気を緩めてしまったのだろう。徐々に歪んでいく視界と指先から力が抜けていく感覚が衛に襲いかかってきた。

 気が抜けたことによる意識の喪失と大量出血による生命の危険が重なったせいだ。ただの人間なら既に死んでいる怪我だ。しかしいくら衛が物の怪だからといっても半分は人間だ。体中に穴を開けて血液を垂れ流しにしていて、今までよく耐えたものだ。しかし、もう限界だ。

 まるで世界が捻れているような幻想に包まれ、平衡感覚を抜き取られたように衛は体勢を崩した。辛うじて体をよじって横向きに倒れるとそのまま動けなくなってしまった。無数の刃が突き刺さったまま仰向けもうつ伏せにも倒れてしまっていたら大惨事であっただろう。

「狼くん!」

「おにーさん!?」

 呼吸が浅く短く変化していく。いくつもの切り傷が目立つ顔が徐々に青白くなっていく。がちがちと歯の根が合わなくなってきた。

 ずっと遠くから聞き取れない言葉がかすかに聞こえてくる。しかしそれも次第にかすれていった。肩を揺さぶられている気がする。だがもう目の前は真っ暗だ。

「いやっ、そんな……おにーさん!」

「こんなの無理っ……傷が多すぎるよ! 狼くんしっかりして! 目を開けてよ!」

 決意に満ちた衛の壮絶な姿を間近で見た二人は茫然自失としていた。傷だらけになっても尚自分たちを守ろうとするその背中を驚愕と共に見つめ、心に暖かいものが流れ込んでくるのと同時に背筋が冷たくなった。

 あんな無茶をしてしまえば、恐らく衛は死んでしまうだろう。自分の中の冷静な部分が頭の中で囁いているのをお稲荷様は確かに聞いた。そしてその予想は当たってしまった。

 片膝をついた衛がゆっくりと倒れていくのを見て、お稲荷様は大怪我をしている自分の体を顧みず彼に駆け寄った。途端に激痛が走るがそれは些細なことだった。

 無数に出来た体中の傷を塞ごうにも、刃が刺さったままでは止血も出来ない。かといって刃を抜いてしまえばその出血量は倍増してしまう。

 同じように衛に駆け寄ったトーコも同じ考えに辿りついたようで、衛と同じほどに顔を青くして必死に衛の肩を揺らしていた。

 二人の呼びかけも虚しく、衛ほ意識は闇色の底なし沼に沈んでいった。

 ほろほろと頬を伝う涙がとめどなく溢れ続けていく。頭の片隅ではもうなすすべがないことはわかっている。しかし衛の名前を呼び肩を揺らすことは止められなかった。もしかしたら、と希望を捨てることが出来ずに胸の上下運動すらも止まってしまった衛の体を揺すり続けた。

 悲壮の表情を無理やり隠してお稲荷様は必死に肩を揺らすトーコを抱きしめた。

 一瞬だけトーコの涙が止まり、更に勢いを増して大声を上げて号泣し始めた。抱きしめるお稲荷様に縋りついて泣くトーコの頭を優しく撫で、慰めようと試みるが彼女の涙は止まるところか増える一方で、次第にお稲荷様の表情も崩れていってしまう。

 ふえっ、とこぼれた嘔咽をきっかけに人目も憚らずに強くトーコを抱きしめて大泣きしてしまった。

 わんわんと山中に響き渡らんばかりに泣き声を上げる二人の耳に正体不明の叫び声が遠方から聞こえてきた。

 その途端、二人は顔を見合わせて同時に口を閉ざして声が漏れないように努めた。しかしどうしても嘔咽は小さく漏れてしまい、二人はお互いに口を手の平で押さえた。

 何を叫んでいるのかわからなかった声が徐々に鮮明になると共に、小さくだが階段を上がってくる足音も次いで聞こえてきた。

 いよいよ緊張してきた二人の心臓は早鐘を打ち、止まらなかった涙も引っ込んだ。

 しかし、体を固くして身構えるトーコとは裏腹にお稲荷様は三角形の耳をぴんと立てて眉間に皺を寄せていた。

 次第に近づく声が、どこか聞き覚えのあるものだった。

 更に耳を澄ませるとやはり聞き覚えのある声だ。時折別の声も聞こえるので二人組ということだ。

「…………クーン! コンチャーン! うーん、確かに二人の血の匂いがしたんだけどなぁ」

「……バカ」

 血液の匂いがするというのなら二人が怪我をしているということだ。頭の回転が鈍い兄の耳を引っ張りながら、色白の妹は一息に階段を駆け上がった。

 聞き間違いではない。確かにこの声は幾度となく聞いたものだ。

「あっ……」

 トーコもそれに気付いたようでふーっと長く息を吐いた。吐き終えた瞬間、膝立ちだったトーコはその場に腰を下ろし、いや落としてしまった。そう腰が抜けてしまったのだ。

 かぁっと赤面して慌てて立ち上がろとするが手足がじたばたと暴れるだけでうんともすんともいわない体にトーコは耳まで真っ赤にした柔らかい土の上で踏ん張りなんとか立ち上がろうとするが努力の甲斐もなく、しばらくはこのまま座り込んだ体勢になってしまいそうだ。

 いつのまにかすぐ近くで聞こえるようになっていた足音に釣られて顔を上げると、最上兄妹が辺りを見渡しながらお稲荷様に話を聞いて状況把握に努めていた。

 いつになく真剣な顔つきで黙々と話を聞き終えた最上兄はおもむろに倒れたままの衛に近づいた。

 体中に刃が突き刺さった姿を見ても眉一つ動かさず、衛の首に指を当てた。

 動脈に指を当て、わずかだがしっかりと鼓動を感じ取ると最上兄は守るから刃を抜き取り始めた。

「ダメだよっ! 抜いたりしたら血が……」

 お稲荷様の言葉通り傷に栓をしている刃を抜いてしまえ衛の出血量が増えてしまう。応急手当さえできない今の状況では虫の息の衛は十中八九命を落としてしまうだろう。

 しかし最上兄はお稲荷様の制止を無視してまずは心臓から遠い場所の刃を抜いた。

 とくとくと勢いを増してこぼれていく衛の血をみてお稲荷様とトーコは顔を更に青くした。

「なにしてるのっ!? やめて! 抜いちゃだめだよ!」

 慌てた二人が最上兄の腕を掴んで止めようとするが、彼の傍らで同じように守るのからだから刃を抜き去っている最上妹を見てお稲荷様は思わず最上兄の手を離した。

「治せるの……?」

 恐る恐る声を掛けるお稲荷様に、最上兄は手を止めて彼女の目を見た。

「少しだけ荒っぽいから見ないほうがいいよコンチャン。それに傷が治せるかは五分五分だからね。もしも失敗したらマモルクンを殺さなきゃいけなくなる」

 だから離れたほうがいい、最上兄はそう告げて剣の破片をまた一つ抜いた。

 至極真剣に、一片たりともふざけた気配のない言葉にお稲荷様とトーコは絶句した。

 言葉を詰まらす二人に最上兄は一言を追加する。

「このままだとマモルクンは確実に死ぬ」

 ならば賭けるしか方法はないと言外に告げた。

 立ち尽くす二人の間に、衛の体を傷つけていた最後の鈍色が赤を混ぜて土に音を立てた。

 衛の体の周りの土は彼自身の血液で既に赤黒く変色しており、その出血量の多さを見せ付けていた。

 血に濡れた衛の口に指を突っ込み、無理矢理口をこじ開けた最上兄は妹に向かって頷いた。

 頷き返した彼女は人差し指の腹を爪で裂くと兄が開けた衛の口に傷から垂れる血を落とした。そのまま数滴落としてから血の流れる指を自分の口に含んで抜き出すと人差し指の腹には傷跡すら残っていなかった。

 その様子を怖々と見ていたお稲荷様はもしかしてと思い当たった。狼男よりも再生能力の高い吸血鬼の血を衛に混ぜようとしているのだ。

 人間、狼、吸血鬼と三種類の血が混ざり合えば衛の傷は綺麗に癒えるだろう。しかし逆に全く混ざらなければどうなってしまうのか、その結果が恐らく最上兄の言う五分五分の部分なのだろう。仮に衛が普通の人間ならば問題はなかったのだが、獰猛な狼の血が混ざっている。その存在が吉凶を左右するのだから衛は狼につくづく因縁があるらしい。

 衛が最上妹の、吸血鬼の血を体内に摂取してから二分が過ぎた。未だに何かしらの反応はないが緊張を孕んだ表情のままの最上兄妹の様子を見る限り、まだ時間かかるのだろう。

 五分、八分と時間が過ぎていく。生唾を飲み込む音、わずかな呼吸音、時折吹く風にこすれあう木の葉の音、それら全ての音が極度の緊張感の中に消えていく。

 十分、十二分、もしかして駄目だったのではとお稲荷様とトーコの二人が思い始め、それでも辛抱強く待ち、十五分。

 意識の無い衛の体がぴくりと動いた。

 一瞬だけ筋肉が痙攣したような動きに衛の周りにいる四人の間に緊張が走った。

 衛の指先が一度、地面を掻いた。

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