守り抜く
「またアナタデスカァ……。許しまセン」
先ほどまでの道化じみた挙動はなりを潜め、異様な雰囲気を発し始めた男はゆらりと立ち上がった。
顔面を手で押さえているためその表情は窺い知れないが、全身からはっきりとわかるほど怒気を漂わせているためにその心は簡単にわかる。
気押されそうになるが衛は強く踏ん張った。ここで退くわけにはいかないのだ。不安げに自分の背中を見るお稲荷様を、気を失ったままのトーコを守るには絶対。
「ゆる……しまセンよオオオオォ!」
耳を貫く大声を張り上げたシルクハット男は顔を押さえていた手を燕尾服の内ポケットに突っ込み、そこから何かを握り締めたまま抜き出すと間髪入れずに衛たちに向かって無造作に放った。
ぐしゃぐしゃになった紙切れのようだが、衛には見覚えがあった。恐らく以前と同じ札なのだろう。しかし良く見てみれば幾何学模様が違っているように見える。気のせいだと判断出来るほど状況は優しくない。
同じように札が燃え上がり、しかしその炎の色は以前と違って青い炎が吹き出していた。灰と化した先端から鈍色に輝く何かを衛の目は微かに捉えた。
次の瞬間、札にすげ替わって薄く光る三本の西洋剣が飛び出しながらからくりのように細かく分解し始め、一本の剣ごとに数十もの小さな刃を形成し、その鍔や柄さえも武器として変化していった。まるで散弾の如く広範囲に拡散し、衛たちに降り注いだ。
以前の単純な攻撃とは比べられないほど格段に厄介になった肥満男の攻撃に、衛は大きく目を見開いた。
あっ、と小さく声を上げたのは果たして誰だったのだろうか。衛と同じように唖然としたお稲荷様なのか、運悪く目が覚めてしまったトーコなのか。一つだけわかることは、衛は声を上げていなかったことだ。
夕闇に紛れて刃の雨が飛散した。
音もなく土に刺さって標的から大きく外れた飛刃たちはまるで溶けるように消え失せた。だが標的に命中した無数の刃は消えることなく肉を裂き血に濡れていた。
「うぅぅ……、いた、いたいよっ……」
その声はすぐ近くから聞こえた。
お稲荷様とトーコをまとめて抱きしめたせいで傷口が酷く痛むのだろう。影が覆う眼前でお稲荷様の目尻から涙がこぼれた。
隣を見れば、目を白黒させて今の状況に戸惑っているトーコが片腕のないお稲荷様を見て顔を青くしていた。
体を蝕む激痛をこらえて左腕の肩を強く掴んでいる手を辿ってお稲荷様は顔を上げた。
「お……かみ、くん」
弱々しく掠れた声が知らずのうちに零れていた。
肩越しに見える無数のナイフのような刃は全て衛の背中に突き立ち、出来の悪いハリネズミの着ぐるみを着ているようだった。だがその刃の一本一本は本物の刃物だ。こんな状況で、そんな愉快な姿でふざける人ではない。
何故お稲荷様とトーコが痛いほどにくっついてまとめて抱きしめられているのか。彼の背中から生える無機質な刃をみればその理由はおのずと理解できる。
その身を挺して衛は二人を守ったのだ。
お稲荷様の声に、衛は静かに顔を上げた。
見ているだけでも背中が奇妙な感覚に襲われるのだ。数多の牙に身を晒した衛の痛みは想像を絶するだろう。しかしそれでも彼は表情を歪ませなかった。
唇を噛み切るほど強くかみ締めても、隠し切れない涙をうっすらと浮かべていても、衛は努めて無表情を装った。
こんなときに笑顔なら少しは格好がつくんじゃないかな、と益体もない考えに意識を逸らしても、焼けるような痛みは津波のように押し寄せてきていた。
「あ……や、やだ、嘘、だよね……? そんな、なんで」
トーコも衛に抱えられていることに気付いたのだろう。お稲荷様と同じように彼の肩越しに背中を見てしまい、顔面蒼白の相貌でうわごとのように漏らした。
背中全体が引きつるような感覚に耐えながら少しずつ二人を抱きしめる腕を緩めていく。苦労して二人を解放したあと、またゆっくりと立ち上がる。恐々として自分を見上げる二人から目を逸らした。
そのまま衛は背中を向けた。
今も激痛の波に飲み込まれているはずだ。しかし衛はそれでもシルクハット男と向かい合った。
倒れるつもりはない。倒されるつもりもない。
今はただ背中の二人を守り抜くことしか彼の頭にはなかった。
そしてその思いが増大し続ける痛みにかき消されないように、意識をつなぎとめていた。




