兄心
留め金が破壊されんばかりの勢いで軋みながら開いた扉から、一陣の風が最上妹と男たちに吹き付けた。
勢い余って跳ね返ってきた扉が閉じる前に僅かな隙間に腕が差し込まれた。
ゆっくりと、今度は慎重に扉が開かれていく。
いつでも側にあった暖かい気配が、目には見えないが確かに近くにいた。
溢れんばかりに浮かんだ涙が、ついに零れ落ちた。
「兄さまぁっ……!」
堪えていた涙の壁がついに決壊した。少し前まで感じていた羞恥などどこかに吹き飛んでしまった。兄にあられもない姿を晒しているということすら頭から抜け落ちていた。
「おい! なにぼやさっとしてんだ!とっとと殺しちまおうぜ!」
「あ、ああ。そうだな」
相方の気のない返事に、まだ女の肌に見惚れているのかと舌打ちを連発しながら苛立たしげに振り返った。
「おい、聞いてんのか童貞野郎! デザートをガン見する前にそいつを殺せ! いつまで経っても喰えねぇだろうが!」
そう口汚く罵った瞬間だった。
気が横溢しているとでもいうのだろうか、幻覚を見ているかと疑問に思ってしまうほど、最上兄は全身から何かを発していた。
それは炎の赤とも血液の赤とも、絵の具の赤ともまた違った赤色に似た色だった。
「悪いけど、そのデザートは……ボクのものだ」
語気も強くなく、至って平然としているように見える振る舞いで、最上兄は怒りを感じさせない声色で言い放った。その言葉にごまかすことの出来ない恥ずかしさと少しの嬉しさを表情に浮かべた妹は、自分にのしかかる男の腹から腕が生えるのを見た。
いやそうではない。空気の唸る音と共に体中に付着した生温かい液体に驚いた最上妹は思わず目を開けたのだ。未だに回復していないと思った視覚はしっかりと機能していて、飛び散る鮮やかな鮮血の赤と、その赤色に濡れた白い腕が眼前に飛び込んできたのだ。
断続的に傷口から吹き出る血液がなんと心地よいものだろうか。適温のシャワーを浴びているようで、この男が触れた部分も綺麗に洗い流せるのではないだろうか。ならばもっと勢いが必要だ。最上妹は拘束から逃れた腕を伸ばした。狙う場所は喉だ。先ほどからうるさい耳障りな悲鳴を止めることができる上に頚動脈もある。一石二鳥という言葉を実感した。
もうひとりの男はというと、腰を抜かしたらしく玄関口で座り込んだまま震えていた。傍らには何か、筒のような黒い物体が落ちていた。良く見ればそれは懐中電灯で、光量が強くなるように改造したのだろう、その懐中電灯で扉を開けた最上妹の眼を麻痺させたらしい。
そんな考察をしながらも、最上妹の腕は自分に馬乗りになったままの男の首を握り締めていた。徐々に顔色が悪くなっていく男はその喉元を潰さんばかりに握り締められて声も上げられず、呼吸の一つも出来ずにいた。血液がせき止められたせいで圧迫されて浮き出た血管に爪を立てようとして、指先が包まれた。
指が離れたおかげて呼吸が出来るようになった男は酸素を求めて必死に喘いでいた。しかしその顔色は変わらず、それどころか悪くなる一方だった。血が足りないのだ。未だに突き刺さったままの最上兄の腕が壁になっているので少量の出血で済んでいるが、この白い壁がなくなったときはどうなってしまうのか。答えは簡単だ。蛇口を大きく捻ったように大量の血が吹き出るだろう。そうなってしまえばもはやどうしようもなくなってしまうだろう。もし、この男に衛や最上兄たちのような人外の治癒力が備わっていれば助かるかもしれない。万が一にも出血多量で死に至らなかったとしても、大部分の臓器は駄目になってしまっているだろう。どっちにしても再起不能になるに違いない。
「駄目だよ」
そう言って妹の指先を優しく包んだ。極度の緊張のせいか、体が冷たくなってしまっている。自分の体温が妹に流れるように軽く握った。
「カレンチャン、駄目だ。君がこんなことしちゃいけないよ。これはボクがやるから」
ゆっくりと、だが確実に、男の喉を締め付ける妹の指を剥がしていく。
何かを殺すのはボクだけでいい。
何も言わずとも、最上兄の眼が雄弁に語っていた。
汚れるのは自分だけで十分だと、最上兄は考えている。
妹をリビングに押し込んでからは実にスムーズだった。
まずは妹に狼籍を働いた不届き者を外で処理し、不幸なことにそれを見てしまった相方の男は顔面と同じように股ぐらを濡らしていた。
玄関を汚されたと静かに怒った最上兄に、同じように処理された二人はその辺の道端に放り捨てられた。
厄介ごとをものの数分で終わらせた最上兄はそのまま玄関を一通り綺麗に掃除してから服を着替える間もなく、ソファに座っていた妹に言った。
「これからマモルクンのところに行くよ」
しかし当然のようについていくと押し切られた最上兄は、兄妹仲良く家を出た。
道路を横切って際にちらりと倒れている人間が見えたが、最上妹はそれを無視した。ついでとばかりに先程の男たちはどうしたのかと聞くと、彼は笑顔で言った。
「気絶させて投げてきたよ」
誰か、もしくは何かが回収していくだろうからと笑顔のまま言い放った兄を見て、よほど腹に据えかねていたのだと初めて気がついて、胸が温かくなった




