悪寒
おぼろげな赤い光が視界いっぱいに広がる眼前で、衛は体のあちこちが痛むのを感じた。
未だもやの掛かる意識を必死に働かせて意識のなくす前の記憶を呼び戻そうと頭をゆっくり回転させた。
ぼんやりと思い出してきたのは体の痛みの原因だった。
下に何も敷かずに木に体を預けて眠ったからだろう。もう既に背中に木のごつごつとした硬い感触はない。無意識のうちに地面に転がったのだろうか。
益体もない考察を続けるうちに意識がはっきりとしてきた。気付けば体のだるさも吹き飛び、鈍い痛みさえしていた頭もすっきりとしている。
やはり睡眠は大事だと、こういうときにわかるものだ。
あくびをしながら瞼を開けると、ゆっくりと太陽が沈んでいくのが遠くに見えた。あの赤い視界は恐らくこの西日のせいだろう。
まるで世界の終わりを告げるように真っ赤に燃える夕日は少々不気味ではあった。なにかいやな予感に心がざわめく。それを気のせいだろうと切り捨てるには早いのではないのかと、衛は思った。
沈む太陽の眩しさに目を細めた衛の視界が、今度は暗くなる。太陽が急激に沈んだわけでもないだろうと見上げた衛は細めた目を見開くことになった。
以前からどう接すればいいのか延々と答えの出ない相手。
――鳴海明日香。
赤いパーカーに黒のプリーツスカートを着た彼女が太陽を背にして立っていた。
傍目から見てもぎこちないと分かる笑顔を衛に向けて、目の前に立っていた。
その表情に何か固いものが混じっているのは気のせいではないはずだ。
彼女はただ一言。
着いてきて、とだけ言うとすぐにスカートを翻して歩き出した。
慌てて立ち上がった衛は困惑を表情に浮かべて言われるがままに彼女の背中を追いかけていく。先に公園を出た鳴海が振り返って待っているのを見て、衛は駆け足で向かった。
やはりその表情はどことなく厳しい。張り詰めたものを感じると言い換えてもいいだろう。このまま彼女についていけば、何かしら起こるかもしれない。
念のために体を解しながら衛は歩く。鳴海まで残り数歩という距離まで近づくと、彼女はまた歩き出した。
元々仲良く話すなんて間柄ではないのだが、いつもならここまで重苦しい雰囲気になるものではなかった。簡単に言えば衛との間に見えない壁ができているのだろう。
無言で歩く彼女の背中を訝しげに見つめながら、それでも衛はついていく。
「ここは……」
鳴海の足が、見覚えのある場所に向かっていくことに気付いた守るは思わず声を上げた。
衛の声に反応した鳴海がわずかに振り返るが足を止めることはない。
そこは人の少ない町外れの、昨晩も来たお稲荷様の家の近くの何もない所だった。
鮮明に思い出すのは昨晩の出来事だ。異臭を漂わせた人形のような人間、痛覚のない操られたような人間。衛は彼らを物の怪だと考えたがそれは正しかったのだろうかと疑問が首をもたげてくる。
探し続けてきた志倉夏美が割り込んできて、いや、志倉夏美に助けられてからは考える余裕が持てなかったが、今はだいぶ落ち着いたようだ。冷静に思考を回転させることができる。
とはいえ、結局は昨晩と同じ根拠のない推察にしかならないのだが、何かヒントにでもなりそうな気もする。
「ちょっと待ってください」
衛は思わず足を止めた。
「何?」
「どこに行くつもりですか? ここは……」
「こんなところにあるのは稲荷神社しかないでしょ」
無愛想にそう言って、鳴海は山に入っていく。彼女が踏みつけた木の枝が折れた。
「なんでここに」
その言葉にも鳴海は反応を見せなかった。必要最低限の会話ですら拒むような鳴海の態度に、今まで一度も来たことがないじゃないか、という言葉は引っ込んでしまった。
衛はそうではないが、普通の人間ならばすぐに疲れてしまうのではないかと思うほどに上り坂の山道を進む速度は早く、時々躓いて危うく転びそうになっているところを見ると無理をしているのだろう。それでも鳴海は足を動かし続けた。
衛はふと、違和感を感じた。以前来たときよりも道幅が広がっているような気がする。少しずつ拡張したのではなく、一気に幅を取ったようだ。例えるならば、大人数で移動した故に本来の通り道の周りの草花が踏み慣らされたような。
そして稲荷神社に近付くにつれて鳥肌の立つような嫌な感じが強くなっていく。
衛の聴覚で何の音も拾えないとなれば、稲荷神社付近ではなにも起こってないということだ。しかしこの嫌な感覚は消えるどころか増す一方だ。
獣道じみた山道が、石畳の階段に変わった。
その一段目に足を置いた瞬間、とてつもない悪寒が衛の背筋のなぞっていった。




