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モノノケカミカミ  作者: 水島緑
風よりも早く!
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近付く波乱

 簀巻きと猿轡をされて転がる韋駄天に近付くトーコを慌てて止めようとする衛に、彼女は微笑を浮かべて言う。

「また守ってくれるんだよねおにーさん」

 その言葉には確かな信頼が込められていて、衛は頷くとともに見守るしかなかった。そのまま隣で心配そうな表情でトーコを見るお稲荷様にも笑顔を見せると、スカートの前を押さえて韋駄天の目の前に立った。とはいえスカートの中が見えない程度の距離である。

 鼻の下を伸ばしながらもごもごと喋る韋駄天を冷たい目で一瞥し、とんとんと爪先で畳を叩く。それは戦前に気合を入れるような行為というか。しいていえば突進前のイノシシと全く同じ動作だった。そこから一歩二歩と下がり、軽く助走をつけるとサッカーボールを蹴りつける動きで韋駄天の股間を蹴り上げた。

 鈍い音とともにほごっ、とくぐもった韋駄天の悲鳴が聞こえ、目玉が飛び出さんばかりに大きく見開いた。それを見てしまった衛はさっと顔を青くして無意識のうちに自分の股間を押さえた。見ているだけでも幻痛を感じてしまいそうな衝撃だった。もしかしたら潰れているかもしれない。生意気でませた男の子だった韋駄天が生意気でおませな女の子になってしまうかもしれない。

 強烈な一撃を喰らった韋駄天は簀巻きのまま器用に部屋の隅から隅まで転がり回って悶絶していた。

 突然止まったかと思えばうつ伏せのまま頭を畳に打ちつけ始めた。傍からみれば懺悔しているようにも見えるが目の前にトーコはおらず、ただ痛みを紛らわそうとしているだけなのだろう。そんな韋駄天を見て晴々とした表情を浮かべたトーコは顔を青くしたままの衛の首に抱きついた。

 普段なら顔を赤くするであろう衛も今回ばかりはただただ恐怖しか覚えない。なにせ男の急所を見る限り本気で蹴っ飛ばしたのだ。次は自分の番なのかもしれないと考えると空恐ろしいものだ。

 がちがちに固まった衛の顔を横から覗き込み、しばしの思案の間をおいて衛から離れると彼の全身をじっと見渡した。そしてふと気付くのは股間を守る手の盾だ。合点がいったとばかりに再び衛に抱きつき、耳元に口を寄せて一言。

「おにーさんにはしないよ」

 微笑混じりの言葉に安堵した衛は強張った体から力を抜いた。ついでに股間を守っていた手を離した。その瞬間、トーコが衛の耳たぶを優しく咥えた。

「んー。おにーさんの耳美味しい……」

 半ば悲鳴のような声を上げて座った体勢のまま垂直に数センチ飛び上がる衛を意に介さず、はむはむと耳を甘噛みして舐め上げ、ついには耳の内側まで生暖かい舌が進入しようとしたとき、お稲荷様がトーコを引き剥がしてくれた。

 耳を押さえて息を荒らげる衛の横でお稲荷様の説教がトーコに炸裂した。やりすぎだ、とか、女の子ならお淑やかに、とか、やりすぎた自覚はあるのかトーコは一切の反論をしなかった。もっとも凄い勢いで捲くし立てているので最初から口を挟むことは出来ないのだが。

 どんどん小さくなっていくトーコに構わず説教を続けるお稲荷様の背後に邪な気配を感じた衛は腕を振りかぶってお稲荷様の前に飛び出した。のだが、風を使って縄を解いた韋駄天を殴り飛ばすよりも早くお稲荷様の裏拳気味の平手打ちが炸裂した。

 お稲荷様の突然の行動に思考が停止した衛は飛び出した勢いを止められずに転倒し、先に壁際までぶっ飛んだ韋駄天の上に重なるように倒れこんだ。下敷きになった韋駄天がくぐもった悲鳴を上げた。

 衛はといえばお稲荷様の意外俊敏な動きに呆気にとられたまま頭が追い付いていなかった。

「うぐぅ重い……どけっ、とけってこの!」

 お稲荷様に殴られた拍子に猿轡が取れたようで、未だ動かない衛を揺すっては罵っていた。

 はっとして退いた衛をじろりと睥睨すると顔をしかめた。

「おまえ、狼女の眷属かよ。同じ匂いを風が纏ってるぞ」

 どこか嫌そうな声色で偉駄天が言うと、一瞬で衛は韋駄天に飛び掛った。畳の上で転がったままの偉駄天の胸倉を乱暴に掴み上げ、そのまま壁に押し付けて詰め寄り、半ば歯を剥き出しにして問いただした。背後でトーコとお稲荷様が怯えるように後退したが気にしている余裕はなかった。

「名前、名前は?」

「ぐっ……何がだよっ!」

「その狼女の名前だよっ!」

 怒りに顔を歪めてじれったそうに壁を殴りつけて急かす。ほとんど首を締められている状態の偉駄天は息苦しそうに呻いて苦々しい顔で衛を睨み、わけがわからないとやけくそ気味答えた。

志倉夏美(しくらなつみ)って言ってた。おまえと同じ風を纏った美人だったよ」

「そいつはどこにいる……」

「苦しいって……聞けよくそっ。この町に近づいてるよ! ……もういいだろ。離せよ!」

 なんとか気持ちを落ち着かせると力を抜き、偉駄天に謝罪と礼を言うと衛は部屋を出ていってしまった。

「なんなんだよあいつ。オレ様は偉大なる偉駄天様だぞっ」

「このガキンチョと同意見なのがムカつくけど、おにーさんどうしたのかな。凄く怖い顔だったよ?」

 何故か胸を張ってふんぞり返る偉駄天を嫌そうな顔で見遣って、お稲荷様に顔を向けるトーコだが、肝心のお稲荷様はうつむいたまま何も答えなかった。

「紺ちゃん? 大丈夫?」

「う、うん。ちょっと、怖くなっちゃって」

 そういって体を震わせるお稲荷様にそれはそうかと偉駄天は神妙に頷いた。彼は真正面から衛の迫力を受けたのだ。ほとんど動じなかったのは腐っても神様ということなのだろう。それでもお稲荷様が怯えるのもわかる。言うなればあれは羅刹に似た気配を持っていたのだ。お稲荷様ですら恐れてしまう衛を、ただの物の怪であるトーコが怖いという感想だけを持つことの方に偉駄天は関心を持った。ただ気付かない鈍感なのか、それとも相当に肝が座っているのか、どちらにしても偉駄天は彼女のことを気に入った様子だった。それと同時に謎の悪寒に襲われたトーコはぶるりと震えるときょろきょろと辺りを見回した。はっと思いついたように偉駄天を睨むが、彼は素知らぬ顔を壁を見つめていた。

 思い込みかなと頭を振ってお稲荷様の手を掴むと少々強引に引っ張った。

「ほら紺ちゃん、おにーさんを追いかけよ?」

「うん……。そうだね」

 お稲荷様は気が進まなそうではあるが特に何もいうことはなく、手を引かれるがままにトーコについていった。

 後ろで何かが喚いているが二人とも振り返ることはなかった。

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