変わらないこと
耳元で鳴る風切り音を置いていき、頭と足を同時に狙った不可視の刃を音を頼りに飛び込み前転で上手く避ける。刹那、左前方の景色がぐにゃりと縦に歪んだ。これが風の刃が吐き出される前兆だ。それを目ざとく目視して、更に音を聞き向かってくるタイミングを計る。高速で飛来するそれに対して右に一歩ステップを入れたあとは全力で疾走する。衛の足跡を残して血の跡が雨のように色を与える。
大量出血から来る防衛本能のおかげか、はたまた別の何かのおかげか、今衛の五感はこれ以上にない程鋭敏になっていた。
ほぼ同時に三つの空間が歪み、次いで重なった風切りが聴覚を叩いた。
三つの刃が同時に飛んでくるなど今までになかった。といことは相手も追い詰められているのか、それともじれったいだけなのか、ともかくトーコに近づいていることは確実だ。不可視の刃が縦に一つ、横に二つ、普通ならその速度も相まって避けられないだろう。
だが衛はこれを難なく避けきった。
足を狙った低空に飛ぶ刃を軽く跳んでかわしつつ左に体を回転させて半身を縦の刃に掠めてながらもそれを避け、とどめの一撃とばかりに放たれた横一閃の刃を回転したまましゃがみ込んで危なげなく避けた。
その機敏な動きに誰かが息を呑んだ。
目を細めて先を見れば驚愕に染まったトーコが膝を抱えて丸くなったままぽかんと口をあけてさらに赤くなった目でこちらを見ていた。
「おにっ……おにーさん……」
その姿に思わず苦笑を漏らしてから衛は再び駆け出した。
もう少しでトーコに辿り着くのだが、やはり敵もそう簡単には行かせてくれないらしい。先ほどよりも攻撃と攻撃の間が長くなったように感じるがそれは些細なことだ。
流れるような流麗な動きで風の刃のことごとくをかわして距離を詰める。
もうすでにトーコの顔もしっかり見える。先ほどのようにスカートらしき布が飛び回ってもいない。
だが後数メートルというところで唐突に、トーコを隔絶するような巨大な竜巻が渦巻いた。その向こうで呆然と竜巻を見上げるトーコの姿が覆い隠された。
屋根よりも高いそれは轟々と風を撒き散らして衛を牽制し、これ以上進めないように道を塞いだ。
しかしそれは今の衛にとっては些細なことだった。
極限状態を経て、火事場の馬鹿力と呼ばれる通常人間が掛けているリミッターを開放した今、空を衝くような竜巻の中に飛び込んでも平気だろう。しかしそれは物の怪の血を持つ衛であるから出来ることだ。何よりもリスクが高い。仮に竜巻を突破できたとしてもその後に行動できるかは分からないのだ。
それでも衛は危険の一切を考慮せず、躊躇いもなく荒れ狂う竜巻に飛び込んだ。
いくら竜巻が縦に伸びているといっても長さが伸びるほど比例して幅も大きくなるものだ。一般的な住宅の屋根を超す大きさの竜巻を通り抜けるのには無理があるはずだ。だが衛は違った。
体中から血を滲ませて傷だらけになりながらも竜巻と突き抜けて飛び出したのだ。
勢い余ってたたらを踏んだ衛はそのまま転倒した。ぐっと体を起こして前を見る目の前でぺたんと座り込んでいたトーコと眼が合った。
「おにーさんっ!」
起き上がりかけの中途半端な姿勢で身を投げるように飛びつかれた衛はトーコの勢いを受け止めきれずに後ろに倒れた。その際、したたかに後頭部を打ち付けて脳に響く痛みに涙を浮かべた衛は文句の一つでも言ってやろうと、思わず閉じてしまった瞼を開けた。だがそんな小さな怒りなどトーコがこぼす大粒の涙に消されてしまった。
衛の腹に馬乗りになったまま泣きじゃくるトーコにどうしていいのかわからない衛は、恐る恐るトーコの頭に手を伸ばした。前髪を梳かすように怖々とした手つきだが優しく労わる気持ちを込めて撫でた。
そうして衛が戸惑いながらも撫でる所為で更に激しく嗚咽を漏らしながら泣くトーコを見て頭を撫でたのは失敗だったかと衛は撫でる手を止めた。途端に泣きながら睨みつけるのだからとうとう衛は困ってままよとばかりに抱きしめた。
トーコはよほどびっくりしたのか、溢れていた涙どことか嗚咽まで引っ込んでしまった。
トーコが唖然としていたのはつかの間のことでかぁっと顔を真っ赤に染めて軽く衛を抱き返した。
ぎゅっと抱き合う二人の体もまるで燃えているように熱い。
抱きしめてから数分もしないうちにその柔らかさと香りに眩暈を感じて抱擁を解こうとするのだが、感極まったトーコがそれを許してくれなかった。衛がトーコの体を離そうとすればするほどぎゅーっと強く抱きしめていく。いよいよ限界を感じだ衛はなんとか言葉にして離れてもらおうとするもうまく口が動かない。朦朧とする意識の中でトーコの肩を力づくで引き剥がそうとが朦朧とした衛の腕力などたかがしれていて、それよりも強くトーコが抱きしめた。
そして衛の視界が暗転した。
ぐったりと動かなくなった衛に気付いていないトーコはそのまま抱きしめ続け、ついさっきまで衛を殺そうとしていた見えない敵は目の前で起きたことに呆れ返って攻撃する気もなくなっていた。それどころか面白いとさえ思っていた。
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