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モノノケカミカミ  作者: 水島緑
風よりも早く!
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 助けて、助けて。

 トーコは叫ぶ。引きつった喉で懸命に、痛めるのではないかというほど大きい声でひたすら叫ぶ。

 お願い、助けて。

 トーコは叫ぶ。荒れ狂う不可視の風の壁に阻まれながらもひたすらに願う。

「アタシのスカート返してぇ!」

 露出した下着を手の平で隠して声を張り上げる。しかしその悲鳴は届かない。

 そう、人間ならば。

 かすかな悲鳴は衛に届き、だが、彼も風に阻まれている。

 風に巻き上げられたビニール袋が目の前を通り過ぎ、勢いをつけて飛来する空き缶に目を見開いて辛うじて避ける。地面すれすれをまるで生きているような生暖かい風が通り、ねっとりと舐めるようにトーコの華奢な足に絡みついた。ぞわりと鳥肌が全身に立ち、遮るように足を抱えてうずくまった。

 気持ち悪い感触に悲鳴を上げたトーコは目尻に涙を浮かべた。

「ひひひっ、こういう反応を見せてくれるから女の子は好きなんだぁ!」

 粘つく声質で耳元に囁かれる気味の悪い声にトーコは長い睫毛を涙で濡らして腰を抜かして尻餅をついてしまった。

「やぁっ……やだよぉ! 助けてっ……助けておにーさん……」

 憎々しい笑い声が響く中でトーコはくしゃっと表情を歪めた。

 恐怖に滴る涙を止めることは出来るのか。


 まるで土砂降りのように打ち付ける風から逃れようと這い蹲って動く衛は、小石を踏んで傷だらけになった手のひらを見て短く嘆息を漏らした。刺すような痛みがひどく鬱陶しい。だが同時に、今もトーコの身が危険に晒されていることを思い出させてくれた。奥歯をかみ締めて腕に力を入れる。みっともない動きで体を擦りながら前進する。真下から見れれば衛の制服は砂まみれで汚れてしまっているだろう。

 荒い息を吐きながら押し込めようとする風に抗い腕を突っ張る。ずきりと手のひらの真ん中に激痛が走り、バランスを崩して胸を打ちつけてしまった。軽く咽ながら手のひらに深く食い込んだ石を睨みつけて脇に投げる。先端が鋭く尖った石を歩道隅の排水溝に転がって落ちていった。近づくにつれて風が更に強くなっていることに気付いた。それでも衛は止まらない。

 右側の車道をやっとのことで半ほどまで辿り着き、更に体を引き摺って先を急ぐ。ほつれたボタンが一つ胸元についているだけで他のボタンはすべて背後に点々と落ちてしまっていた。袖口はボロボロに擦り切れ、手のひらにも小さくない傷がいくつも出来ていた。

 腕を伸ばして歩道とを分けるブロックを掴む。体を地面につけたまま乗り越えようともう片方の腕で体をわずかに持ち上げようとする。すると、まるで境界を示すとうに一際強い風が衛を襲った。刹那、押さえつける上からの風は消えた。

 この間に一気に進もうとする、だが本能が大音量の警鐘を打ち鳴らした。咄嗟にブロックにしがみついた瞬間、まるで竜巻にそっくりな渦を巻いた風が衛にぶつかった。

 目を開けることができず、呼吸すら困難な風の渦の中で衛はただこれ以上トーコから離れないことだけを考えて恥も外見もなく抱きしめるようにブロックに縋り付いた。

 徐々に風が通り過ぎていくのを文字通り肌で感じた衛はこの渦が通り過ぎ、上からの風が来る前にトーコのところまで突破してしまおうと頭を回した。

 落ち着け、落ち着けと逸る心を押さえつけ目を瞑りながらタイミングを計る。

 ようやく渦が腰を通り過ぎ、あとは足首だけ。そして……。

 今っ、と傷付いた体に鞭を打ってふらつきながらも四足歩行かた二足歩行に立ちあがる。ブロックを飛び越え、最初に弾き飛ばされた小道に入る。そのままトーコのところまで行ってしまおうと更に加速する。だがここまでに辿り着く疲労が溢れたのか大きくバランスを崩して体を捻るように胴体を右に傾けたまま倒れこんでしまった。内心の焦りとは裏腹に体は動かない。だが結果的にはそれがよかった。

 体が右に倒れるのとは逆に、左腕がわずかにふわりと持ち上がって伸びた。

 それは普段の衛であれば簡単に気付く出来事だった。

 警鐘が鳴り出したときには時既に遅く、今このときに衛が倒れたのは幸運と呼べるだろう。

 今まさに引っ込めようとした腕の肘付近の前腕部が鮮血に染まった。

 肉を切り裂き、幾つもの血飛沫が飛び散って眼前で舞う。だが痛みは欠片も感じない。まるで画面を通してみているような、どこか他人ごとに思えた。

 呆然としたまま衛は地面に倒れこみ、べっとりと血痕がアスファルトに刻まれた。

 痛みを感じないのがまるで嵐の前の不吉な静けさだった。左腕を目の前にもって傷口を見る。恐らく骨まで削られているような深さだ。そしてこの無痛も長く続かないことも知っている。

 そう、これは三匹一組で行動する鎌鼬にそっくりだ。ただそんな気配もなく、一匹目が押し倒し、二匹目が斬りつけ、三匹目が薬を塗るのだが、いくら疲れていようとも衛の鼻は機能し、押し倒されたわけでもない。傷が痛くないのは疲労の所為で感覚が鈍くなっているのか。いや、足音はもうすぐそこまで来ている。

 そのことに気付いた衛は、ただ怯えるわけでもなく、重い体を起き上がらせて駆け出した。

 激痛に動けなくなる前に、トーコの元へ行こう。

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