楽園崩壊
歓声を上げた男子たちが教室中で倒れ、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した教室の隅っこで、頬を赤く染めながら顔中を腫らして気絶している兄にチョークスリーパーを掛けている最上妹は唇を尖らせていた。
「兄様にだけ見て欲しかったのに……」
衛に見られたことよりも、一番最初に見たのが兄ではないことに不満があるらしい。そんな役得を得た衛は未だに意識を飛ばしていた。
放課後。スカートを捲る摩訶不思議な風が吹いてるためか、校内に残る生徒は平時よりも多く、風がやむまで残ろうとする生徒が多かった。
そんな生徒たちとは正反対に、衛はだたをこねる最上兄の首根っこを引っ掴んで強引に、さび付き始めた古い校門をでた。
最初のうちはやかましく喚いていた最上兄だったが、衛の無言の圧力に黙り込んでしまった。
後ろ向きで引き摺られていく兄を微笑ましげに見つめる最上妹も当然ついてきている。
横断歩道前の信号が赤に変わり、苛立たしげに衛は信号機を睨んだ。普通の男子ならこの状況はこれまでにないほどの眼福だが、狼に近くなった衛にとってはただの毒になってしまう。興奮しやすいが故の被害だ。以前から異性との接触は苦手だったが、今は輪にかけて酷くなっている。接触するかきわどい場所を目撃すると途端に頭に血が昇り出血、鼻血を出したこおに羞恥を感じてさらに血が昇って出血、ほとんどその繰り返しである。最悪の場合、失血死してしまうかもしれない。
「渡らないのかい?」
後ろからの声に振り返って見下ろした衛を不思議そうに見上げる最上兄と目があった。よく似た顔の妹も同じように首を傾げている。くだらない思案をしているうちに信号が青に変わっていたようだ。
「渡るよ」
まぁいいか、と最上兄を見て思った。この二人と一緒なら死なない気がする。
ひゅおっ、と風が吹いて衛は慌てて前を向いた。直後に最上妹のかわいらしい悲鳴が聞こえて間に合ったと胸を撫でおろした。
「でへへ……これだから」
妹の下着をばっちり見たであろう最上兄の奇声じみた歓声を聞き流して風に乗っていたかすかな声を聞いた衛は風が吹き過ぎていった横断歩道の向こうを見つめた。だが人影はおろか虫の姿さえも見当たらない。道路の隙間から伸びた雑草が静かに揺れているだけだった。
たった一瞬のことだったので、聞き間違えだったのかとあたりを見回す衛の後ろで、鼻を押さえた最上兄と顔を赤らめた妹が見つめあい、どことなくいかがわしい雰囲気を醸し出しているのだが、生憎と衛はそれどころではない様子だった。
すぐ後に気付いた衛が最上兄を殴り飛ばすまで、危ない桃色空間は続いていた。
もちろん、信号は赤に変わってしまっていた。
さて、涙目で頬を押さえながら抗議してくる最上兄を強く睨んで黙殺した衛は足早に帰路を歩いていた。その後ろで、涙目で落ち込む兄に胸をきゅんきゅんと高鳴らせている最上妹がぎっと衛の背中を睨んでいた。それに気付かない衛ではないが、振り返ってしまえばとんでもないことになってしまうのではと直感が囁き、冷や汗をかきながらも最上妹の凍りついた眼光を意図的に無視した。とその時またしても風が吹いた。今度は前方からの突風で衛はなんとか踏ん張って耐える。すると再び独り言のような小さな声が風に混じって聞こえてきた。
その声に釣られて振り返ると、思い切り捲れたスカートに驚いた妹と、そのことに手を叩いて大喜びする最上兄がはしゃぎまわっていた。
呆れた視線で見つめると我に返ったのか、気まずそうに頬をかく最上兄に、顔を真っ赤にした妹が後ろから抱きついた。そうしてから何事かを兄の耳元で囁くと兄の方も顔を赤くしてちらちらと衛を見遣るようになった。
わかわからんと眉根を寄せる衛に一つ咳払いをすると最上兄はさっと手を振ってから妹をお姫様抱っこして走っていってしまった。
「またぁ! 明日ねぇ! マモルクゥン!」
ドップラー効果で間延びした声を残して顔を赤くしながら走り去る最上兄たちに倫理的に危ないもの感じた衛だが、止める暇もなく二人の後ろ姿を唖然と見送った。
そのまま何度か風に煽られてからはっと我に返った衛はとりあえず家に帰ることにした。
先ほどの兄妹のことを忘れることにして。




