けもの
雲の切れ間から揺らめく一筋の月の光がひどく散らかったと教室に差し込んだ。その光が淡く広く拡散していき、影を背負っていた衛の全身を露わにした。そのとききらりと反射したのはなんだったのか。縦に裂けた瞳孔で手元を睨みつけた。
ぐっと力を込めて襟を掴んだ腕を振り上げる。人間一人程度の重さでは負荷にもならない。予想とは違う異変を感じたのか少女は手足をがむしゃらに振るってもがきなんとか衛から離れようとする。無表情で行うその行動に這い上がる気味の悪さを禁じえなかった。
不安定な体勢でじたばたと暴れるものの衛に与える影響はほんのわずかもなく、ただただ無駄なことだった。そしてついに衛の腕が床に向かって振り下ろされた。
だがその瞬間、遠方からものすごい勢いで何かが飛んできた。それに気を取られた衛はわずかに振り下ろす速度を落としてしまった。中途半端に速度を落とした腕はちょうど衛の腹辺りだった。
縦回転しながら飛来した謎の物体は少女を掴んだ衛に命中し、ついでに少女を巻き込みながら後方に吹き飛んだ。
突如飛来した物体の正体、それは気絶したままの最上兄だった。
三人仲良く転がり、ボーリングのように進行方向の机と椅子を全て薙ぎ倒して教室の端まで
絡みあって転がり、どんもりうってようやく停止した。
静まり返った教室に、一陣の風が吹き込んだ。
最上妹の暴力的で唐突な行動に、トーコとお稲荷様は仰天してぽかんと口を開けていた。
絡まり合って倒れる衛たちはぴくりとも動かない。どうやら完全に気を失ったようだ。その後ろで最上妹が表情を柔らかくして小さくガッツポーズをしているのは何に対してなのだろうか。
衛の腹の上、最上兄の背の下に挟まれた少女から白いもやがゆらりと抜け出しふわふわと頭上で旋回する。細長く形作ったそれはまるで蛇のように動き回り、くるくると横回転から縦回転に移行すると廊下に倒れた少女と最上妹がボコボコにして気絶させた少女から同じように白いもやが体から離れ縦回転するもやに吸い寄せられて漂って来た。それらも蛇状に変化していた。
それを静観しながらも警戒を解かない最上妹の後ろでお稲荷様が息を呑んだ。
三本のもやが絡み合って集合すると突然元の質量の数倍以上に膨らみ、不気味にも軟体生物に似た触手を天井に伸ばした。それと同時に中心部がうねり、波立つにつれて徐々に何かの生き物の姿を形取っていった。
真っ白な三角形が二つほど上部から飛び出し、顔だろうかその少し下が前方に伸びた。顎と思われる部分の下が細長く形を作り、胴体らしきものも形になってきた。そこから四本、足に似た部位が出来、指の先端から鋭利な爪が長く生えた。
そこまで形を整えてから一度強く全身が波打ち、三角形の出た小さな球体が乗っかった四本足の大きい球体が急速に洗練されていき、綺麗な流線形を描いた。
見るからに獣の姿に変わった白いもやは臀部辺りから一本のもやを伸ばす。するとそれの先端は蕾のように膨らみ一度ぶるりと震えると、綿毛に似た柔らかい毛が根元までふわりと溢れた。
「うそ……」
呆然と呟いたお稲荷様の小さな声は一同の内心を表していた。
左右に首を振って目の前の最上妹に対峙する。その姿は不定形なもやではなく、流麗で純白の毛並みを持つ大狐に完全に変化していた。
淡く発光する全身は月に似た輝きを生み出し、見た者に感銘を与えるほどに美しく、そして冷たかった。
白い毛に隠れた口が横一線に裂ける。真っ赤な口腔は酷く恐ろしく不気味で、今にも血が滴り落ちる錯覚をさせるほどのものだった。
大狐が二歩前に出る。筋肉質で引き締まった圧倒的な巨躯から横溢する凄まじい覇気に威圧される最上妹たちは四歩押し込められた。
閉じたままの瞳が開かれ、金色の虹彩が猛々しい光を湛え強く強くきらめいた。
はたして息を呑んだのは誰だったのか。
教室の隅、人肌の温もりと重量を腹部に感じた金色の獣眼が暗闇の中で瞬いた。
腹部に乗る二人を乱暴にどかすと息を殺して四肢を床につけ体勢を低く構えた。
それはまさに狼だった。
本当に申し訳ない。更新日を忘れていました。




