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モノノケカミカミ  作者: 水島緑
過激乙女と鬼ごっこ
30/131

溶ける

 壁の角に固定されたスピーカーから店内の雰囲気に合ったゆったりとした曲調のジャズが流れ、頭上の空調ファンが曲に合わせたようにゆるゆると回る。喫茶店の入り口横の大きな窓の外からは帰宅する人達が見え、静かな店内と外が別世界に感じられた。

 踏み慣れない板張りの床の感触を気にしつつも、せわしなく動く人達を見ていた衛は、強い威圧感を放つ、丈のある黒いシルクハットに燕尾服姿の紳士自然とした格好をした縦にも横にも丸っこい肥満気味の中年の男が窓越しにこちらを凝視していた事に気づかなかった。

 突然あっ、と声を上げたトーコが俊敏に立ち上がり、床を軋ませながら慌てて店を出て行くのに衛は反応出来ず、食べかけのケーキを残したままどこからか取り出した千円札をレジに叩きつけるように置いて店から飛び出すトーコの背中を見送った。

 一文字に結んだ唇、青ざめて恐怖に引きつった顔、一瞬だけ衛に向けたすがる視線をキャスケット帽を深く被って隠した。

 背中を向ける一瞬前に見せたトーコの表情に、気がつけば衛は走り出していた。

 センサーに反応した自動ドアが開き切らない内に手で割り込んで通り抜け、左右を素早く見やってトーコを探し、人混みのなかでも目立つ、既に遠く離れたトーコとシルクハット男の背中を追いかけた。

 人外の脚力による全力疾走にも関わらずトーコはおろか、ぽよんぽよんと腹を跳ね上げながら歩く動作のまま滑るような動きでトーコを追いかけるシルクハットの男に遅れないように足を動かすのに手一杯で、風に靡く燕尾服の尾が酷く目障りだった。

 プラスチック製の小さな籠からポケットティッシュを差し出すティッシュ配りの目の前を駆け抜け、すれ違う通行人には苛立ち混じりの怪訝そうな表情で振り向かれながらも大通りを行く三人の追いかけっこは止まることをしらなかった。道幅いっぱいに広がる人の波を水のようにすり抜け、ぐんぐんと凄まじい速度で景色が後ろに引っ張られていく中、シルクハット男越しに見えるトーコは酷く焦っているようだった。その証拠に何度も足をもつれさせ、薄茶色のタイルに度々つんのめって転びそうになっていた。

 ひとまずの膠着状態に入った追跡と逃走だが、聴覚に受ける音は少なく、視覚に見える人影も点々と減っていた。人気のない場所に逃げ込んでいる、あるいは追い込まれているのか。トーコの様子からして後者のようだった。

 暗くじめじめとした印象が強い裏通りへの十字路を右に、僅かな段差の上に立つくすんだ銀色の電灯にぶつかりかけながらも最短距離で曲がり、ぐっと上体を前に傾けて膠着していたシルクハット男との距離を詰めに掛かる。

 ぐっとアスファルトを強く蹴り、半ば跳びながら踏み出した瞬間、ぬるりとした不快な感触が顔を撫で、衛は思わず足を止めた。少し先を走っているはずの二人がいないことに気づいたのは直後のことだった。

 不自然に音がなく、見えない壁に囲まれた気味の悪さを感じ、引き返して別の道を探そうとする。だが踵を返し、道を出ようとした瞬間、湿り気を帯びた何かが腕に触れ、ばちりと痛みが走り、柔らかく押し戻される感触を覚えた。

 音もなく、人影も見えず、更には自分が出ることの出来ないこの異様な空間に衛はようやく合点がいった。

 逃がさない為の結界だ。それもかなり上質なものだった。

 衛の中に怪物の血が混じっているといってもそれは本物の物の怪に比べれば微々たるものであり、札や結界などは多少効くものの、この結界のように完全に出られないといったものは今までなかった。

 恐らく、逃走防止と共に人払いの効果もあるのだろう。現に人の気配を感じないのがその証拠だ。

「アーアー、気づきマシタね? オウオウ、凄いデース。ということは? ユーも? ユーもバケモノでスカァァァ!?」

 声を響かせてビルの影から現れたのはトーコを小脇に抱えてシルクハットのつばをいじる燕尾服の肥満男だった。でっぷりとした腹のせいで張ったシャツは今にもボタンが弾けてしまいそうで、姿だけ見れば間抜けでコミカルだった。だが、男が抱えている気絶したトーコがいなければの話だ。服に乱れはなく、乱暴された様子はないが、どこかでキャスケット帽を落としたらしくアメリカンショートの艶やかな髪が無造作に広がっていた。

 無言のまま衛がトーコを見ていたことに気づいたのか、シルクハット男は得意げな顔でトーコを抱えた腕を揺らすと気持ち悪い声で自慢する。

「これデスカー? ウフフいいでしょ? 可愛いいいデショー? アゲマセンよォォォ! コレはボークのお人形にするんデース」

 にやけた顔で高笑いを繰り返す肥満男に酷く腹が立った衛はぎゅっと拳を握って近づいていく。だが、トーコを物のように扱う肥満男に既視感を覚えて足が止まった。

 まだ梅雨だった頃の学校の屋上、桃花の付き添いで行った光鳴寺の娘の鳴海。

 あの時の眼と言動が鮮明に思い出せた。

 傲慢な言葉、酷く耳障りな声、嘲笑と蔑みを孕んだ眼。

 続いて浮かぶのは少し前の山登りでの出来事。

 捕らえた桃花を食料と言った山爺の姿。

 当たり前であるかの口調、獲物を見る瞳。

 人を物として、物の怪を物として扱う彼らに、目の前の肥満男が重なった。

 何も変わらないじゃないか。同じことをやってるんだ。

 知らずのうちに見開いた眼が揺れて、無意識のうちに息を呑んだ。怪訝な表情のシルクハット男は目に入らず、力無く抱えられたトーコが衛の黒目に焼き付いた。

「変わらないなら……僕だって」

 口を突いて出た言葉がじんわりと胸に溶けていった。

 流されたままではなく、自分で助けよう、と思ったのは初めてのことだった。

 意識の外で笑ってみせて、シルクハット男を見据えて、衛は強く地面を蹴った。

 知り合いを、物の怪を、トーコを助ける為に。

 無限の闘志が湧き上がる。

うわまた投稿日忘れてました。

ほんとにごめんなさい。

次は遅れないように手の甲にでも書いておきます。

それとPVが3000、ユニークが1500を突破しました。凄く嬉しいです。

これからも精進していきたいと思います。

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