追いかける乙女
ホテルのフロント辺りから、自分を探す先程の少女の声が聞こえたような気がした衛はそそくさとこの場を離れた。これ以上とんでもない目に合わないように、色んな意味で怪しい少女に会わないように帰宅しようと駅に出る道を探す。
鼻下の血を拭って何食わぬ顔をするが、内心では冷や汗を垂らして怯えていた。
あんなのはもう耐えられない!
あのホテルでの一幕で色々と限界な衛は足早に優秀な嗅覚を使って駅前に戻ろうと表通りに出た。
だがしかし、軽やかに衛をとおせんぼする小柄な少女が一人。
「おにーさん見っけ」
随分と弾んだ声で上機嫌な少女とは対照的に、衛は引きつった顔で無理矢理笑みを作った。
振り切ること四回、先回りされること四回。衛が本気を出して走ったにも関わらず、回り込んでくるのはどういうことなのか。間食や涼みにきた三々五々ですし詰め状態で満席のバーガーショップの一角で頭を抱えながら益体もなく考えた。
「おにーさんどいてどいて。置けないよ」
ぐったりとしながら背もたれにのけぞった衛は目を合わせないようにそっぽを向いた。
トーコ、と名乗った少女はテーブルの上に一番安いバーガーセットを二つ置くと早速ポテトをつまんだ。
何故見知らぬトーコという少女に昼食を奢ったのか自分でもよくわからず、極力トーコに目を向けずにバーガーに噛みついた。
「ね、おにーさん。次はどこいくの?」
尻尾が邪魔で座り心地悪そうだった衛は思わずぽかんとトーコを見つめた。そんな衛から何かを感じ取ったのか、トーコは満面の笑みを浮かべ頷いた。
まだついてくるのか、と眼が雄弁に語っていたようだ。
腹ごしらえを終えて、耳が悪くなりそうほど騒がしいバーガーショップを出た衛の隣には当然の如くトーコがついていた。ちらりとトーコに目を向けてがしがしと後頭部をかくと、足早に人の波に紛れていった。そして当たり前のようにトーコもその後ろをついていく。いい加減うんざりしてきた衛は交差点を渡りながらちらりと目だけを動かして後ろを見た。
密度がいやに高く、夏のうだるような日差しが相当暑いにも関わらず、楽しげな笑顔で衛の数歩後ろを歩くトーコ。彼女とすれ違った男共は皆振り返り、おおっ、と声を漏らした。トーコはそんな周囲の反応を気にせず、キャスケット帽を被り直していた。それを見た衛は余計なことに巻き込まれない内に逃走しようと決め、表通りから外れて狭い路地に入った。
汚い染みが目立つ路面を歩く。路地裏、と聞いただけで良くない場所と感じるのは行き過ぎた先入観だろうか。衛の後ろをとことこくっつくトーコの足音を聞きながら、女の子と路地裏、そんな組み合わせは危ないな、と頭の中に浮かんだ。
トーコに追従されながら曲がり角を左折していく。四回それを繰り返すと曲がり始めた角まで戻ってくる。それを利用してトーコが飽きるのを待つことにした。
燃えるような夕日が地平線に消えていき、カラスが物悲しい鳴き声で飛び去った頃、シックな外装の喫茶店のドアベルが鳴った。
入り口脇に傘立て、落ち着いた色合いの内装に窓ガラスに沿って真っ直ぐ並ぶパーティション、客足は少ないようで通路側の一席に衛達は腰を降ろした。
肩に黒雲を落とした衛がテーブルに突っ伏し、対面ではトーコが小顔を組んだ手の甲に乗せて天真爛漫な笑顔を浮かべていた。
結局、衛は逃げ切れなかった。ぐるぐると歩いて角を曲がり、そのまま競歩に移行し、全力疾走で逃げた。だがトーコは余裕で併走し、肉体的も精神的にも打ちのめされた衛が先に力尽きた。
ぜぇはぁ、と苦しそうな衛の前に注文したアイスコーヒーをエプロンを腰に巻いたウェイトレスが置き、トーコの前にはアイスティーとショートケーキが。
嬉しそうにケーキにフォークを刺すトーコを恨めしく見上げる衛はうなだれながら呟いた。
「なんでついてくるの……」
耳聡く聞きつけたトーコは「んー」と小ぶりのフォークを瑞々しい桜色の唇に銜え、小首を傾げた。
「気に入ったから、かな? ……それに美味しかったし」
最後の呟きを聞き逃すほど脱力した衛はごちっ、と額をテーブルにぶつけてトーコがどこまでも着いてくる光景を思い浮かべた。




