誘惑の乙女
「ね、おにーさん。アタシとイイコト、しよ?」
露出度が高く白い肌の多くが晒される服、扇情的な目つき、魔性を孕んだ言葉と蠧惑する桃色の唇からこぼれた誘惑の声に喉を鳴らした。
青少年の理性を欠片も残さず吹き飛ばす魔法の言葉を妖艶に告げ、衛の手の平を優しく包む指は白磁のように白く、それをゆっくりと引き寄せて、控えめに微笑む少女は自分の胸へと、衛の手ごと押し付けた。ふにゅ、と手の平から伝わる暖かく柔らかく、心地良く癖になる感触に文字通りにくらりとよろめいた。鼻の奥からどろりと液体が溢れ、燃えているんじゃないかと感じるほどに体は熱い。
動悸は酷く激しく、じんわりと発汗した体が異様に熱く感じる。
どこか頭の片隅で夢だと現実逃避しつつ、腰の近くから煮えたぎる何かが持ち上がって思わずうめいた。それを合図に衛の視界は幕が降ろされたように一瞬で暗くなってぷつりと切れた。
見た目年下の少女にノックアウトされたのである。ふわり、と衛の尻尾が姿を現した。
「おにーさんがわんちゃんになっちゃった……」
呆然と呟く少女が目の前には、ティーシャツの襟から首を出した子犬、いや狼が転がっていた。
雑踏が充満する駅前広場。夏を迎えたばかりの今日だが、道行く人達は皆涼しげな服を着ていた。蒸し暑い熱を帯びたこの町は、相も変わらずあった。
背の高いビルの隙間を縫うように歩く少年が一人。夏を迎えるにも関わらず、この季節にしては随分と長い黒髪が額に張り付いていた。
眼を隠すほど伸ばした前髪は元気なく額に貼り付け、暑さのためか、時折犬のように舌を出しては我に返る。衛は突然犬のような仕草をするが、それは狼の血が影響しているのだ。もっとも、付き合いの長い最上兄が言うには犬そのままらしく、最上妹も思うところがあるようで深く頷いていた。
高いビルが影になって表通りよりも幾分か涼しく、あっちへふらふらこっちへふらふらと目的もなく歩く衛だが、実は迷子になっていた。陰鬱とした思考が嫌に回る窮屈な家から飛び出し、たまには遠出をと思い立った衛は、ロクに準備を整えることもなく財布をポケットに入れただけで電車に飛び乗った。高速で流れていく景色を見ながら、ぼけーっと上の空でいると、いつの間にか降りる筈の隣町をとっくに過ぎていて、慌てて降りた駅は既に名前くらいしか知らない町だった。どうせだし、と当てもなくさ迷った衛はそのまま迷子になった、というわけだ。しかし衛の優れた嗅覚を駆使すれば駅まで辿り着くのは簡単なので、実にのんびりと暢気に歩き回っていた。
ごうんごうん、と重い低音で稼働する大型の排気口の脇を通り過ぎて、視界に伸びた影が躍り出た。
清楚なアメリカンショートの黒髪に黒いキャスケット帽を被り、にっこりと微笑む端正な容姿の少女と目が合った。どこか神秘的に見える赤色掛かった虹彩が怪しく光ったと思った瞬間、雑踏と会話はすっと遠くなり、近くにある筈の排気口の重低音がかき消えた。それはまるで少女と衛だけを切り取り無音の世界に放り込んだようだった。
切れ長の瞳は衛の眼球を捕らえて離さず、ふんだんにフリルで装飾された純白のキャミソールから覗く鎖骨は艶しく、華奢ですらりと長い足は黒いタイトスカートで際立ち、その細い足を一歩前へ出して衛に近付いた。眼前の清潔感溢れる美少女から感じる淫靡な雰囲気にごくりと唾を飲む音が無音の路地裏に大きく聞こえ、衛は一歩後退さった。少女は追随して一歩踏み出し、触れれば簡単に折れてしまいそうな細い腕を腰の後ろで組んで、豊かな胸を見せつけて張り出し、目を逸らさないまま衛を見上げた。
衛よりも背丈は一回り小さく、二、三歳ほど下に見える。儚げな外見とは裏腹に、赤い瞳には好奇心一杯の光が混じっていた。衛がそれに気づくことなく、尚更少女笑みを深めた。
なんとかしてこの異様な空間から逃げ出そうと更にもう一歩下がり反転して走ろうした衛は、混乱の極みに陥った。
踵を返すよりも早くさっと衛に近付いた少女がしなだれかかって衛の胸板に指を這わせ、同時に密着させた上半身を押し留めようとする衛の手を胸に誘導してコンクリートの壁と少女の体で衛を挟み込んだ。
足元の排水溝の蓋をカチンと踏み鳴らすと、くびれた腰をも衛に押し付け、桃の香り漂う唇を耳に近づけてそっと頬を撫で、とびきりの猫撫で声で甘く囁いた。
「ほら、おにーさん。アタシとイイコト、しよ?」
煮えた頭ではろくに拒絶の言葉も浮かばず、初めて触れる柔らかいものを鷲掴みにする手からぐんぐんと押し寄せる興奮の波が許容量を突破した瞬間、視界一杯に広がる綺麗な小顔は網膜から抜け落ち、続いて暗転。
意識があらずとも体は動くらしく、三角形の犬耳が頭頂部から飛び出し、遅れてズボンの尻部分がもっこりと膨らんだ。
それを皮切りに、黒髪は腰辺りまでするすると伸び、比例するように背丈はぐんぐんと縮み、爪は鋭く尖って指は丸っこくなり、外見は既に犬に、いや狼になっていた。
子犬サイズまで小さくなった衛は自分の服に埋もれ、生き苦しいのか意識のないまま襟から顔を出してそれを最後に動かなくなった。
というわけで四章に突入です。
投稿日を勘違いしていて遅れてしまいましたが更新です。




