(3)
アルラウネは、燃えた。
唐突に、食人樹は燃え上がった。
多量の水分を蒸発させながら、燃えていた。
「なんだ、この悪趣味な魔物は? まあ、きっとレイキャスト姐さんだろうな。どんだけ血を与えたんだよ。まったく迷惑極まりないぜ、あの人はよ」
七魔将〈獄炎〉ホムラ。
冒険屋といえども、皆が彼のことを知っているわけではない。だが、死線を潜り抜けてきた冒険屋なら、一目でわかる。
ただではすまない。
四人の魔術師パーティはすかさず臨戦態勢を取り、一斉に最大出力で〈水砲〉を浴びせる。炎には水、その選択が正しかったのか間違っていたのか、結果としては面白いほどまったく通用しなかった。蒸気と沸騰音だけが周囲に立ちこめ、ホムラからの反撃が魔術師たちを一気に飲み込み、この世から焼失させた。
「な、なんだこいつは」
ゼフィロスは狼狽えていた。モヨルもどうしていいかわからない。
魔壊屋三姉妹だけが、事態を一瞬で察していた。
大魔石だ。魔王軍が、しかもあろうことか七魔将が、大魔石を奪い返しに来たのだ。
「七魔将よ。見るのは初めてだけど、たぶんあいつは〈獄炎〉ホムラ。まあ、勝てる相手じゃない」と、シフォン。
「七魔将……? なぜここに」
「私たちを追ってきたんじゃない? あ、あとそれから、七魔将にはアルラウネとは比べものにならないくらいの莫大な懸賞金がシャピアロンよりかけられてるらしいわよ。やってみる?」
言われ、ゼフィロスはホムラを睨みつける。そして意を決したように、向かう。
「う、うおおお!」
自慢の刀は片手で止められ、溶けていた。ホムラが肩をポンと叩くと、ゼフィロスはたちまち火の柱となった。
「うわー、ホントに行くなんて」ルフナはドン引きした。
「さあてと、魔壊屋っつーのは、どいつだ?」
散開。そのときすでに、三姉妹は三方向に逃げ出していた。
「ったく、どこへ逃げやがった。あー、やべえ。まさか見失うとは考えもしなかった。そういや、逃げ足の早さは一流だっけか? まずいな、ここまで追い詰めたのに。これはまずいなー」
ホムラはひとりごち、耳を澄ます。一〇時方向、足音と息づかい。「そこだ!」炎を一直線に、木々を薙ぎ倒しながら火焔の道は拓かれゆ。
「はぁーっ、はぁーっ」
その先には、シフォンが尻餅をついて倒れていた。
「見失っても、聞き失ってはいないんだな、これが」
うまいこと言えたのか言えてないのか、ホムラは一考。それよりも、生きているのが気に食わない。だが、足は奪った。かろうじて躱すことはできたようだが、シフォンは左足に酷い火傷を負っている。
「ホント、ずいぶんと探したんだぜ? 国外逃亡くらいは予想してたが、まあなんだ。間抜けすぎる。なに呑気に仕事なんてしてるんだよ。大魔石はまだ無事か?」
ホムラは倒れ伏すシフォンに歩み寄り、そのとき、銃撃がホムラを襲った。
黒馬――?
思わぬ冒険屋の登場に、シフォンは息を飲んだ。
撃たれた。一度に何発も。
銃撃を浴びた経験のあるホムラにとっても、これは奇異な体験だった。
「〈機関銃〉だ」男の声。「LTの中でもレア中のレア。発掘・再現共に最高難度。螺旋巻き最高峰の職人集団〈無愛の衆〉ネスター・グ・アキルだけがそれに成功した、唯一の試作品がこれだ」
「なんだてめえら?!」
「〈星狂い〉音弥と愉快な仲間たち……と、いえばわかるかな。もっとも、星狂いの意味は僕もよく知らないのだけれど」
黒馬に乗った男が答えた。愉快な仲間たちの名の通り、続々と彼の仲間が姿を現し、ホムラを遠巻きから取り囲んでいた。その数、音弥を名乗る男を含めて、八人。
〈星狂い〉音弥。世界で最も名の知れた冒険屋の一人だ。常識では考えられないような命知らずの挑戦の数々を成功させてきた、まさに冒険屋と呼ぶにふさわしい。慎重さや引き際のよさが重要だとする冒険屋のセオリーを覆し、若手冒険屋への悪影響を鑑み協会からある種の危険指定を受けている。それでいて、彼に憧れを抱いて冒険屋を目指すものは多い。なにを隠そう、シフォンが冒険屋を志したのも、音弥への憧れのためだった。
ホムラは警戒していた。どこからいかなる攻撃が来るのか油断のならぬ状況。ホムラの見るかぎり、音弥の銃をはじめ、鎌、大剣、鉾槍など様々な武器が見える。瞬時のうちにあらゆる攻撃を想定したが、想定外の攻撃がホムラを襲う。得体の知れない物体がホムラの顔面に直撃し、視界を奪った。
「パンツだと?! てめえ、ふざけ――」
思わぬ攻撃にホムラは混乱する。それは〈妖精さん〉イファスの仕業だった。彼は自慢げに指先でパンツを振り回している。残弾はいくらでもあるようだ。
続けて、〈お嬢〉エリーの鎌がホムラを斬りつけた。反撃しようとすると、タイミングを合わせて音弥がホムラの脚を撃つ。バランスを立て直すわずかな隙に、エリーは遁走している。
ホムラは音弥を睨みつけた。なによりも厄介なのはやつの〈機関銃〉! 逆にいえば、やつさえ潰してしまえばあとはどうとでもなる。ホムラがそう考えた矢先、別方向より飛び道具による攻撃が来る。チクリと、背に刺さるものがあった。
弓矢だ。〈殺し屋〉グレイの放った矢には、即効性の神経毒が塗られてある。しかし相手は七魔将、人間なら即死でも、効果はごくわずかな隙を生じさせるのみ。だが、それで十分。〈妹〉セイデリアの大槌、〈黄金の騎士〉来夏の大斧、〈銀眼〉メイスの斬鉄剣が間を置かずに襲いかかる。ホムラが神経毒から回復するころには、すでに彼らは十分な距離を取っていた。ダメージは微々たるものだが、それでも少しずつ蓄積している。
度重なるヒット&アウェイ戦術。ホムラでなくても、これにはぶち切れざるを得ない。
「くそがあああ!」
ホムラは炎の鎧を身に纏った。それは、彼が本気であることの証だ。戦い慣れ、高度に連携のとれた八人組の冒険屋。相手にとって不足はない。
この形態をとったからには、もはや彼にはあらゆる攻撃は通用しない。形勢は逆転する。イファスの投げたパンツが燃えた。グレイの放った矢が溶けた。すべての攻撃は彼に届く前に燃え尽き、溶け、蒸発する。
はずだった。
「僕の銃弾はアダマンタイト製だ。灼熱など問題にしないよ」
音弥の放つ銃弾は、炎の鎧を貫通し、たしかにホムラを損傷せしめた。ホムラの灼熱の鎧でも、アダマンタイトを防ぐことはできなかった。そのうえ連射を可能とする〈機関銃〉、受け続けていてはホムラも無事では済まない。
ホムラはともかくも動いた。銃弾を避けることはできない。ならば、当てられないこと。音弥の銃弾は依然として脅威だが、逆にいえば音弥以外は脅威ではない。馬を走らせ、逃げ続ける音弥と距離を詰めることはできなかったが、炎はそれに追いつくことができる。ホムラの放った獄炎は流星のように音弥を襲い、彼を包み込んだ。
が。
「〈耐火ブランケット〉――装備は万全だぜ?」
炎はすぐに消え、音弥には火傷一つなかった。
魔術は同じ魔術によって相殺できる。あるいは、魔術によって造られた道具でも同じことが可能だ。炎は魔術のうちで最もスタンダードな攻撃手段。ゆえに、対策もされ尽くしている。万全の準備で挑まれれば、魔族でも人間に後れを取ることがある。
と、あの男は考えている。
「馬鹿が……!」
炎が効かぬのなら、直接殴ればいいだけの話だ。〈機関銃〉で距離をとるつもりだろうが、使用者が人間である以上、その目で追えぬ動きで接近すればいい。馬に乗っていることが仇となるだろう。獣は、炎を怖がる。この森ごと焼き尽くしてしまえばいいだけだ。魔族が、人間に後れを取ることなどあり得ない。あってはならぬことなのだ。
「今だ! メイ、やれ!」
ざくり。背に刺さる痛み。かなり、深い。
アダマンタイト製の鉾槍を手に持った、〈少女〉メイの攻撃だった。
「くそが!」
振り向きざまにアッパー。少女の身体を宙に浮き上がらせ、続けざまに回し蹴り。地面と水平に飛び、飛び、大木に打たれることで止まる。全身複雑骨折、一目でわかる絶命だった。
「うひょー……メイが一撃でおじゃんか」
音弥は冷や汗をかき、さらに身を退く。
「思った通り、距離を詰められたら終わりみたいだな」
そういい、音弥は仲間にさらに距離をとるよう指示する。
たしかに、今となってはホムラにとって音弥以外に脅威はない。先ほどのメイのように、他にアダマンタイト製の武器を持っている様子もなかった。だが、そのためにホムラは炎の鎧を身に纏い続けざるを得ない。
ホムラが臨戦態勢においてもよほどでなければ炎の鎧を纏わないのは、まず魔力の消耗が激しいからだ。しかし、ほぼ無尽蔵ともいえる魔力を持つ魔族にとって、それはさほど問題ではない。ものが燃えるためには、燃えるためのものと、酸素が必要だ。燃えるものは魔力、これが不足することはまずない。問題はむしろ酸素にある。自らの周りで常に炎が燃えていては、必然的に呼吸のための酸素が足りなくなる。彼とて生物、酸素不足は死活問題なのだ。
そのことを、音弥は見抜いていた。いつまでも炎の鎧を身に纏ってはいられない。息が苦しくなり、解除するとなれば、そのとき大きな隙が生まれる。その隙に乗じて一斉に畳み込めば勝機ができる。だが、七魔将がそれで勝てるような甘い相手とは思わない。もう一度炎の鎧を発動させ、同じことを繰り返す。ちまちまと延々にいたぶってやろう。
だが、その目論みも、イレギュラーのために崩されるのだ。
「いえ~い。ホムラ様、もしかしてピンチ~?」やたら陽気な声は准将リン。
「耐火装備……ずいぶんと面倒な相手につかまったようですね」落ち着いた雰囲気の声は准将シラヌイ。
それぞれ、来夏とセイデリアの背後に現れ、二人を灰にしていた。
七魔将のみならず、准将二名の参戦。包囲網は崩れ、戦況は覆った。
「こりゃあ、最悪だな」
音弥の表情には、すでにあきらめが浮かんでいた。
「万事休す。ダメだこりゃ」仲間たちは音弥を見て、指示を仰いでいる。「……メイスとグレイ、エリーとイファスでそれぞれ准将を抑えてくれ。七魔将は、僕がやるよ」
低く、重い声で、力なく指示を出した。
「おいおい、なんて声だよ。ずいぶんとあきらめが早いんだな」
対照的に、ホムラの声は余裕に満ちていた。
「ああ、残念ながら今回も失敗らしい」
「今回?」
「ま、やるだけやってみるさ」
意味深な言葉にホムラは首を傾げたが、策略家の口車には乗らぬのが吉だろう。
ホムラと音弥。一騎打ちの構図ができていた。ホムラは、そこで炎の鎧を解除する。
「へえ~、やっぱきつかったんだな、それ」
ホムラは答えない。ただ無言で、眼前の敵を滅するのみ。
ホムラは駆けた。音弥の戦術は変わらない。馬の脚で一定の距離を保ちつつ、銃弾を撃ち込む。馬上で、そのうえ動き回る標的に命中させることは至難だったが、されど〈機関銃〉、数撃ちゃ当たる。アダマンタイト製の重い弾丸が、ホムラの肉体に深々と食い込む。怯んだ隙に、音弥はマガジンを交換する。
「弾切れか?」
怯んだのはブラフ。ほんの一瞬目を離した隙に、ホムラは音弥の間近まで迫っていた。
「くっ!」
構えた瞬間、ホムラは馬に乗った音弥の視界から消えた。身を屈めたのだ。
そして、まずは黒馬に。手刀が屈強な筋肉を貫き、内部から馬の肉を加熱した。音弥の足は力なく倒れ、ホムラと目線があった。
「こんにちわ」
「おはようございます」
これでも音弥は保った方だ。音弥の仲間は、すでに准将によって灰にされていた。
「いけると思ったんだけどなあ……しゃあねえ、また来世」
気の利いた辞世の句も残せぬまま、ホムラの拳が、音弥の腹を貫通した。
「ったく、やつの〈耐火ブランケット〉、見りゃ俺の炎を一回受けてもうボロボロだったんじゃねえか。もっかい炎ぶつけるだけで勝てたのかよ、くそが」頭を掻きながら、ホムラは本来の仕事に戻る。
「たしか殺して……よかったんだよな」
残されたのは、〈魔壊屋〉の長女シフォンだけだった。
「待ってくださいホムラ様」
ひょっこり遅れて現れたのは、もう一人の准将・カガリだった。「もし、彼女たちが大魔石を身に持たずにどこかに保管しているなら詰みですよ」
彼女の両手には、残る三姉妹、息絶え絶えの大火傷を負ったルフナとリゼが握られていた。
「まったく、ホムラ様の身の安全よりも、〈魔壊屋〉の確保が優先事項でしょうに」
そういい、カガリは二人の准将を窘める。
「おいおい、そりゃ聞き捨てならねえな」とはいいつつ、ホムラも彼女には頭が上がらない。「あー、えっと。そうだったな。隠し持ってるのかいないのか、身体検査をした上で、だな」
「それもありまずが、まず尋問からですよ」
ホムラは三姉妹を並べさせ、まじまじと眺める。
「おっと、妙なブラフをかまして生き残ろうとするなよ? 魔王軍にはネグロってやつがいてな、頭は弱いが、てめーらの頭を丸かじりにすりゃ、頭ん中丸わかりっつーやつがいるんだ。隠し事はできねえから、吐くことあれば今のうちに吐けよ」
七魔将〈獄炎〉ホムラ。ここに、任務を完了す。