避難所での一夜と震災二日目
食事を終え、時間は十九時くらいだったと思います。
同じ部屋の人がラジオをかけていまして、そこから信じられない情報が伝えられました。道路上に、遺体が二、三百ほどある、という情報でした。のちに誤報だとわかったのですが、避難所からも見える距離にあったのですごく怖かったです。
ほかにも、『南三陸町で町の半分の人の安否が不明』とか、かなり情報が錯綜していました。
それでも、私たちにとっては貴重な情報だったのです。なにせ被災者の我々には、ラジオくらいしか情報源がありません。当時、避難した人の多くがワンセグ携帯を持っていませんでした。あったとしても、電波が届くか不明でしたし、バッテリーがなくなっても困りますし。
外では津波警報のサイレンがけたたましく鳴り響き、ヘリの音が絶えず聞こえていました。
そんな状況のため寝ることも難しい状態。ましてや群発する大きな地震。その度に「自宅が潰れたりしませんように」「津波がこれ以上高く押し寄せてきませんように」「うちの猫たちが無事でありますように」と祈っておりました。
それからどのくらい経ったのか。誰かが壁に懐中電灯を取り付けてくれました。それまでの懐中電灯とは比べ物にならないくらいまぶしい光に、どれほどほっとしたことでしょうか。
ただし、トイレには明かりがなく、自前の懐中電灯でなんとかするしかありませんでした。トイレから出たあとの暗い廊下は、少し不気味でした。
窓がある廊下にさしかかり、外が気になって見てみました。避難していた時がピークだったようで、水嵩が減ったように感じられました。
遠くの方では、だいぶ離れた火力発電所のあたりで、炎が見えました。明かりのない真っ暗闇をオレンジ色が染め上げている光景は、なんとも異様でした。
ふと空を見れば、宵闇に無数の星が輝いていました。いつもなら、街の明かりや街灯で見えない星がくっきりと見え、綺麗だな、と見入りました。
日付が変わって少しした頃。少しでも仮眠を、と横になることにしました。とはいっても、二人で一畳くらいのスペースしかありません。
それでもなんとか横になり、うとうとし始めた頃。ラジオから聞こえてきた緊急地震速報の音で目が覚めました。けれど、待てど暮らせど大きい地震は起こらず。どうやらそれは中越の方で起きた地震だと判明しました。
こちらではないと確認し、ほかに情報も入ってこないため再び寝ようとしました。ですが、朝方になるにつれてだんだん寒くなり、眠れなくなりました。
最低気温は氷点下の時期なので、コンクリートの建物は相性が悪すぎです。どうしたものかと思っていたら、誰かが大きなゴミ袋を大量に持ってきてくれました。みな首元に穴を開けてかぶったり、足を入れたりして寝ました。ゴミ袋効果は思いのほかあって、驚く暖かさでした。むしろ暑くて汗をかいたほどです。
そうこうしているうちに眠っていたようで、夜が明けました。
夜明けとともに起床。まだ薄暗いけれど、朝の気配を感じ、『二日目の始まりだ』と気合を入れました。
廊下から外を眺めると、道路の水はすっかりと引いていました。
大変な思いをした水がなかったのはよかったのですが、大津波警報は相も変わらず出されたまま。とはいえ、水が引いたので家に帰る人もちらほらといました。
我が家は、もう少し様子を見てから帰るということになりました。猫たちが心配ではありましたが、だからといって我々に何かあっても困ります。避難所の上の階から確認して自宅が無事だったのも決め手でした。
さて、この日驚くことに避難所に新聞が届けられました。新聞を読んでいくうちに、大変なことになっていたのだと改めて気づきました。知っている風景が一変し、想像もしなかったほどの死者、行方不明者の数。
その情報を得たうえで、避難所の上の階に行けると聞きつけ、周辺の様子を見に行きました。そこで目にした光景に、ただただ言葉を失いました。
海の側には、伊達政宗公が命じて作った運河『貞山堀』があります。以前は堀の側に、防潮林の松が南北にわたり延々と植わっていました。
避難所には何度も訪れ、上の階から景色を眺めたこともあります。普段は松林に覆われていて、海など見えるはずがないのです。それなのに、松林がなぎ倒されて、はっきりと海まで見えました。
そうして情報を集めているうちに、早々に自宅に戻っていった人たちが帰ってきました。まだ避難所の東側では水が残っているらしく、自宅に行けない人もいたようです。
家にたどり着いた人の話では、床上浸水で一階にある押し入れの上の段まで水がきていたそうです。道路にはあちこちに魚が打ち上げられていて、鼻をつくヘドロの臭いが充満していたとか。
強い地震は続いていました。サイレンも相変わらず。ですが、とりあえず大丈夫だろうとお昼前に一時帰宅することにしました。
外に出ると道路は泥と水でドロドロな状態。魚もいました。
そんな中、比較的歩きやすい場所を選んで自宅に戻りました。水は前日の高さがピークだったようで、自宅は浸水していませんでした。
外の確認をして、急いで家の中へ。部屋は地震がきたときのまま、散らかり放題。後片付けをしなくてはなりませんが、それよりもまずは猫四匹の所在を確かめることが優先です。ここだろうな、とこたつ布団をめくったら、先住猫の目がきらり。親子が前日いた場所をはいつくばって覗くと、きらりと光るものが六つ。全員無事で、ほっとしました。
しかし、それで終わりではありません。後片付けが待っていました。
壊れた家具は近くの公園に臨時で捨てる場所が作られました。ただし、壊れているので、持っていくのは一苦労。二人がかりでちまちまと運びました。
水に浸かって使えなくなったのでしょう、臨時集積所では畳屋やふすまなどさまざまな物が捨てられていました。




