【Season2】インバウンド幻想を斬る③
金曜日の午前九時二十分。
三十六階の廊下は、空気が乾いていて、言葉の輪郭まで硬くなる。
靴音は吸われるのに、心臓の音だけが耳の内側で跳ね返った。
朝倉修平は、エレベーターホールの壁に表示された電子掲示板を一瞥した。
そこに並ぶ名前を見て、背筋が一段階だけ伸びる。
朝倉の横で、田島理久が妙に真面目な顔をしていた。
細身の肩に、いつもより固いジャケット。
目だけが落ち着かない。好奇心と緊張が混ざった目だ。
「朝倉課長…本当に連れて来るなんて…。」
田島の声は廊下に落ちる前に消えた。
「社長が連れて来いって言ったからなぁ。」
朝倉は歩幅を変えない。
変えたくても、変えられない。
今日は、段取りの一つを間違えたら終わる日だ。
その少し後ろを、佐伯美羽がノートPCを胸に抱えるように持って歩いている。
いつものオフィスカジュアルではなく、淡いベージュのジャケット。
指先が落ち着かない。
キーボードを叩く手の人間が、書く前から震えている。
「佐伯さん。」
朝倉が声をかけると、佐伯は反射で背筋を伸ばした。
「は、はい!」
「今日は、余計な色はいらないからね。」
「事実だけだよ。言葉は言葉のまま残すんだ。」
佐伯は小さく頷いた。
頷いた瞬間だけ、目が少し強くなる。
現場の言葉をそのまま上に届ける。
それが自分の役割だと、彼女自身が一番分かっている。
特別会議室の扉の前で、朝倉は一度だけ呼吸を整えた。
内側から、低い声が漏れている。
「インバウンド比率が落ちたら地方は持たない。固定費が重すぎる」
「だから構造を変える。感情で守れるほど、甘くない」
神宮寺CFOと一ノ瀬副社長の声だ。輪郭が鋭い。
朝倉はノックした。
「失礼します。営業第二課、朝倉です」
「入ってくれ」
八重樫社長の声は短い。短いのに、空気が真っ直ぐになる。
――
会議室は広かった。
窓の向こうは秋晴れの東京、光が差しているのに、この部屋だけ陰がある。
楕円形のテーブル最奥に八重樫。
白髪交じりのオールバック、皺の刻まれた額。
まだまだ現役の営業の目をしてる。
その左に一ノ瀬。
細い目、微笑んでいるような口元。
しかし、笑いの温度はない。
右に神宮寺。
銀縁メガネ、無駄のない動き。
数字が人を切ることを知っている人間の姿勢。
窓側に真鍋遥。
ショートボブをきっちりまとめた女性。
視線の奥に倉庫の棚と現場の汗が同時に浮かぶ。
壁際には田島。
さらに少し離れた位置に佐伯がノートPCを開き、すでに議事録のフォーマットを立ち上げている。
朝倉は一礼して着席した。
八重樫が言う。
「ありがとう朝倉君。現場の声を連れて来くれたんだな。」
「はい。」
朝倉は即答した。
嘘を混ぜたら、今日の話は全部崩れる。
八重樫はテーブルを指で軽く叩いた。
「それでは、話を聞こうか?」
扉が開く。
最初に入って来たのは三条紘一。
北陸の駅前ドラッグストア店長。
肩が固い。
しかし目が逃げていない。
二人目は、白井悠人。
東北の家電量販店店長。
緊張で顔は強張っているのに、どこか説明し慣れている立ち方をする。
三人目には中沢萌。
郊外型アウトレットのテナントマネージャー。
背筋が一本通っている。
ただ、その背筋の裏に、折れたくない疲れが見える。
朝倉は一瞬だけ目を細めた。
ここに来るまでの道のりを、知っている。
断られて当然の立場だった。
現場は忙しい。
「また本社の都合だろ?」と疑うのは当たり前な話だ。
三人は案内され、役員席から少し距離のある位置に並んで座った。
客席ではない。
証言席だ。
空気が張る。
一ノ瀬が、静かに三人を見た。
測る視線。
人間を数字に変換するための目。
神宮寺は資料に指を置いたまま、顔を上げない。
真鍋は一度だけ中沢を見て、小さく頷く。
現場の匂いを知っている頷き。
佐伯のキーボードが小さく鳴った。
その音だけが、この部屋で生きているものみたいに響く。
朝倉が口を開く。
「それでは、本題に入る前に一点だけお願いがございます。今日ここでの発言を理由に、彼らの店舗・人事・評価に不利益が出ないこと、それを、この場で明言していただけますでしょうか?」
一ノ瀬の口元がわずかに歪む。
「はは。君は先に保険をかけるのが好きだな、朝倉君。」
朝倉は一ノ瀬を見て、淡々と返す。
「いえ、保険ではありません。約束していただけなければ、現場の方達は本当のことを言えませんから。」
一瞬の沈黙。
八重樫が言った。
「そうか、それなら明言しよう。今日の言葉で不利益を被ることがあれば、私が責任を取とろう。」
佐伯の指が止まった。
一拍遅れて、打鍵が再開する。
その社長の言葉は、議事録の文章ではなく、約束として残る。
八重樫は三条に視線を向けた。
「北陸のドラッグ。三条さん。朝倉の案、在庫を持たない店の話を聞いたかな?まず、君の言葉で話しを聞かせてくれないか?」
三条は喉を鳴らした。
目の前に、ホールディングスの社長がいる。副社長がいる。CFOがいる。
グループ会社の自分が本当に意見していいのか?
その事実が、言葉を細くする。
「はい…。」
三条は膝の上で拳を握った。
「インバウンドが止まって、店は静かになりました。身体は、正直、楽になりました。」
一ノ瀬の眉がわずかに動いた。
結局それかという反応が、顔の隅に出る。
三条は続けた。
「しかし、静かすぎるんです。売上の話じゃありません。町の中で、店が背景になり始めている。あっても、なくても困らない存在に近づいている。その感じが、怖いんです。そんな意味で、店が急に「薄くなった」気がするんです。」
神宮寺のペン先が止まる。
真鍋が中沢を一度だけ見て、理解したように目を戻す。
八重樫は短く問う。
「薄くなる?」
三条は言葉を探し、声を絞り出した。
「はい。インバウンドの時は、段ボールを積んで、棚を埋めて、売れるか売れないかより、切らさないことが仕事になってました。でも今、棚が…。」
三条は口を閉じかけた。
言っていいのか迷う。
ここで生々しい言葉を出した瞬間、笑われるかもしれない。
朝倉は何も言わない。
助けない。
自分の言葉でと言ったのは社長だ。
それなら、ここは現場声のターンだ。
三条は、言った。
「棚が墓に見える時があります。」
空気が一段落ちた。
一ノ瀬が、低い声で言う。
「情緒の話に持っていくなよ?」
三条の肩が一瞬だけ跳ねた。
しかし、黙らない。
「情緒論ではありません。構造の話です。在庫を持つということは、簡単に引き返せないということでもあります。そうなると、私たちは、外部環境が好転するのを待つしかなくなる。インバウンドが戻るのを待つ。景気が戻るのを待つ。けれど地方は、待っている間にも静かに縮んでいくんです。」
その言葉に、田島が息を飲んだ。
隣で佐伯の指が速くなる。
現場の言葉が、そのまま残されていく。
八重樫は白井を見た。
「家電の白井さん。在庫を持たない店、サービスを前に出す店。君は、どう受け取った?」
白井は口を開いた。
しかし、最初の音が喉でつかえる。
「私は、怖かったですね。」
一ノ瀬の目が細くなる。
白井は一度だけ呼吸を整えた。
「在庫を持たない。それは、売れ残りという便利な言い訳を消すことです。商品のせいにも、仕入れのせいにもできない。残るのは、サービスだけ。つまり、店員が「自分は悪くない」と逃げられる余地がなくなる。ということです。」
その瞬間、中沢萌が小さく頷いた。
同じ恐怖を知っている頷きだ。
白井は続ける。
「でも、同時に救われたとも感じました。私たちはこれまで、量を回すことを優先するあまり、説明や相談を削ってきた。その結果、短期的には数字は出ました。けれど、あのやり方は人をすり減らすもので、もう二度と続けられるものではなかった。それが私の見解です。」
八重樫の指がテーブルを軽く叩く。
「中沢さんは?」
中沢は、背筋を伸ばした。
「はい。アウトレットは、設計が古いと思います。」
声は落ち着いている。
しかし、落ち着きの下に怒りがある。
「なぜなら「安いから人が来る」前提で作られているからです。でも今は、理由がなければ人は来ません。インバウンドで量に寄せた分だけ、「なぜここに来るのか?」という理由を、私たちは削ってしまったように思えてなりません。」
真鍋の目が鋭くなる。
物流・小売の担当として、彼女は設計という言葉が刺さる。
一ノ瀬が口を開いた。
「しかし、君たちの言う理由は数字になるのかい?」
その一言で、会議室の温度が一段下がった。
朝倉は、椅子の背に体重を預けるでもなく、前に出るでもなく、ただ言った。
「数字になります。ですが、売上の数字のことではありません。」
神宮寺が初めて顔を上げた。
佐伯のタイピングが止まる。
この先の一文は、事実を書き留めるための議事録じゃない。
この会社が、これから何を選ぶのかを示す言葉になる。
それが分かっているから、簡単には書けない。
この部屋で数字という言葉が出た瞬間、議論は感情から実務に落ちる。
「説明したまえ。」
一ノ瀬が言う。
「売上でない数字が、経営判断に耐えうる理由を。」
朝倉は、田島に目配せをした。
合図というほど大げさなものではない。
今だという、共有された感覚だけ。
田島が一歩、前に出る。
役員席に向かって話すのは初めてだ。
だが、声は震えなかった。
「経営企画室の田島です。私から説明申し上げます。朝倉課長の現場同行のあと、私たちは数字の整理を致しました。」
神宮寺の眉がわずかに動く。
整理という言葉に反応した。
田島は続ける。
「こちらの資料をご覧下さい。在庫回転率、廃棄率、値引き率。それに、人件費と離職率。インバウンド依存が高かった店舗ほど、今、全部が同時に悪化しています。」
神宮寺が口を挟む。
「それは予測可能だ。需要が消えれば、固定費が残る。問題は、その前提でどう動くかだな。」
「はい。」
田島は即答した。
「問題は速度にありました。」
田島はモニターに一枚のグラフを映す。
派手な色はない。
ただ一本の線が急激に折れている。
「在庫モデルは、落ち始めると止まりません。理由は単純で、在庫が判断を遅らせるからです。」
真鍋遥が、画面を凝視する。
物流の人間だ。
在庫が意思決定を鈍らせる感覚を、身体で知っている。
「売れるかもしれない。戻るかもしれない。そのかもしれないが、処分を遅らせます。」
田島は淡々と続ける。
「結果、値引きが遅れ、廃棄が増え、ブランドに傷がつくことになっているんです。」
神宮寺が腕を組んだ。
「では、在庫を持たなければ解決するのか?仕入れはどうする?メーカー交渉は?量を約束しなければ、条件は悪化する一方じゃないかな?」
一ノ瀬が小さく頷く。
朝倉は、真鍋を見た。
真鍋遥は、ゆっくりと口を開いた。
「量を約束しないと、確かに条件は悪くなります。でも、それはモノを売る前提の話です。」
一ノ瀬が言う。
「ん?小売はモノを売る場所だろ。」
真鍋は否定しなかった。
「でした。しかしながら、今は受け取る理由を作る場所です。」
その言葉に中沢萌がわずかに頷く。
アウトレットの現場で、同じことを感じていた。
真鍋は続ける。
「物流の現場では、すでに起きています。大量一括納品より、必要量を小刻みに動かす方が、総コストが下がるケースが増えています。倉庫費、滞留、廃棄、返品。全部含めて、です。」
神宮寺が即座に返す。
「けれども、それだと管理コストは上がるよな?」
「上がりますね。」
真鍋は即答した。
「ただし、それは見えるコストです。在庫の死に金より、はるかに健全だと思います。」
八重樫は、黙って聞いている。
口を挟まない。
今は、材料を集める時間だ。
一ノ瀬が、中沢を見る。
「中沢さん。アウトレットは安さが売りだよね?在庫を持たず、体験だ、理由だと言って、客は来ると思うかな?」
中沢萌は、視線を上げた。
逃げない目。
「来ませんね。」
即答だった。
一ノ瀬の口角がわずかに上がる。
ほら見ろという反応だ。
しかし、中沢は続けた。
「正確には、安いだけでは来ません。理由がないと滞在しないんです。滞在しない場所は、もう選ばれないでしょうね。」
一ノ瀬は言う。
「それは感覚論では?」
中沢は、首を振った。
「違います。アウトレットの来店動線、滞在時間、回遊率。全部、数字で見て発言してます。」
佐伯のキーボードが、静かに音を立てる。
中沢の言葉が、削られずに記録されていく。
「安さを求めて来たお客様は、買うものを決めて来ます。決めて来たお客様は、他を回りません。回らないお客様は、町にお金を落としません。」
その言葉に、三条が強く頷いた。
ドラッグも同じだった。
「だから、私たちは今…」
中沢は言った。
「理由を作る側に回らなければいけないんです。在庫は、その邪魔をするんです。」
一ノ瀬が少し黙った。
完全に否定できない論点だった。
神宮寺が、低い声で言う。
「しかし、評価はどうする?売上を外した瞬間、現場は迷うのでは?曖昧な評価は、組織を壊す気がするな。」
その瞬間、佐伯が顔を上げた。
朝倉が視線だけで許可を出す。
「あ、あの…私、佐伯がお応えします。」
議事録係が名乗るのは異例だった。
「今日の議論で、一番多く出ている言葉は説明、相談、滞在、理由です。」
神宮寺が、佐伯を見る。
「これらは、今まで議事録に残らなかった言葉です。残らなかったから、評価にも使われなかったのではないでしょうか?」
佐伯は、静かに言った。
「でも、今日ここに出てきました。消さなければ、測れます。」
その一言で、空気が変わった。
一ノ瀬が、八重樫を見る。
八重樫は、ゆっくりと頷いた。
「分かった。」
その声は、決断の前触れだった。
「最後に聞いていいかな?」
八重樫は、現場の三人を見た。
「在庫を持たない店にしたとき、一番きつくなるのは、誰だろう?」
三条が答える。
「私達です。」
白井も言う。
「逃げ場がなくなるという意味で、ですよね?」
中沢は、少し間を置いて言った。
「でも、今よりは、何をすべきか、がはっきりします!」
八重樫は目を閉じる。
短い時間だった。
しかし、その沈黙で全員が悟った。
社長は、もう動いている。
―――
八重樫は、しばらく何も言わなかった。
会議室の空調の音が、やけに大きく聞こえる。
誰も資料をめくらない。
佐伯のキーボードも止まっている。
この沈黙は記録されるべきものではないと、全員が直感していた。
八重樫は、ゆっくりと目を開ける。
「一ノ瀬君。」
名を呼ばれた副社長は背筋を伸ばす。
この呼ばれ方は、確認ではない。
決断の前の最後の問い。
「君の懸念は、もっともだ。」
八重樫は言った。
「属人化、再現性、教育コスト、どれも、経営が最初に警戒すべき点だよな。」
一ノ瀬は黙って頷いた。
否定されていない。
だからこそ、逃げ場もない。
「だがな…。」
八重樫の声が、わずかに低くなる。
「今日ここで聞いた現場の声は、感情じゃない。構造の歪みだと確信した。」
一ノ瀬の視線が、三条、白井、中沢へと移る。
三人とも、姿勢を崩していない。
取り繕ってもいない。
「在庫は、判断を遅らせる。」
八重樫は続ける。
「量は、考える力を奪う。」
「それが、今の現場だ。」
神宮寺が、静かに口を開いた。
「社長。全面転換は、財務的に危険です。短期的な数字は、確実に落ちますよ?」
「分かってるよ。」
八重樫は即答した。
「だから、全面はやらない。」
その言葉に、一ノ瀬の眉がわずかに動く。
「朝倉君。」
「はい。」
「君の案は実験だ。」
八重樫は言った。
「成功例を作る。失敗例も、記録する。逃げ道は残さない。」
朝倉は、迷わず頷いた。
「条件を付けてもいいかな?」
今度は一ノ瀬が口を開いた。
反対派の代表として、ここで言わなければならない。
「在庫を持たない店は、限定エリアに絞ること。評価制度は、売上を完全には外さないこと。メーカー交渉は、本部主導で守ること。現場に理念だけを押し付けないこと。」
一つひとつが、現実的で、重い条件だった。
朝倉は即答しなかった。
田島を見た。
佐伯を見た。
三条、白井、中沢を見る。
全員が、頷いている。
「わかりました。」
朝倉は言った。
「全部、条件を守ります。」
神宮寺が息を吐く。
真鍋が小さく頷く。
条件が現実に落ちた瞬間だった。
八重樫は、椅子から立ち上がった。
それだけで、空気が締まる。
「決まりだな。」
その一言で、佐伯の指が再び動き出す。
今度は、すべてが記録される。
「在庫を持たない店舗モデル」
「サービスを価値の中心に据える」
「地域密着を、数値化ではなく行動で評価する」
八重樫は、三人の現場代表を見た。
「君たちは、試される」
「楽にはならない」
「逃げ場もない」
三条が、深く頭を下げた。
「分かっております。」
白井が言う。
「はい、今よりは前に進めると思います。」
中沢萌は、はっきりと言った。
「理由のある場所へ!人が来る理由を作り直ししてみます!」
八重樫は、その言葉を受け止めた。
「一ノ瀬君。変に邪魔はするなよ(笑)しかし、見張りはしてくれよ。」
副社長は、苦笑した。
「それが、私の役目ですからね。」
八重樫は頷いた。
「田島君」
「世論と数字のズレ、炎上も、称賛も、全部拾って欲しい。」
「了解しました。」
田島の声は、少し弾んでいた。
「佐伯さん」
「今日の議事録は削らなくていいからな(笑)」
「はい!」
佐伯は、画面を見たまま答えた。
その目は、もう震えていない。
会議は、静かに終わった。
廊下に出ると、三条が大きく息を吐いた。
「終わったのか?」
白井が首を振る。
「始まったんですよ!」
中沢は、窓の外を一度だけ見てから言った。
「今後は、戻るのを待たないでいいんですよね?」
朝倉は、その背中を見送った。
現場に丸投げはしない。
それが条件。
量の時代は、強かった。
しかし、強すぎた。
これから始まるのは、弱さを前提にした商売。
だからこそ生き残れる。
―――
それは、革命ではなかった。
静かな修復。
在庫を積み上げることをやめ、値札の派手さで人を呼ぶことをやめ、代わりに、人が人を迎える場所へと戻っていく。
説明は、売るための言葉ではなくなった。
相談は、時間を奪う業務ではなくなった。
アフターフォローは、責任の押し付け合いではなく、「またご来店ください」と言える理由になった。
地元の店は、メーカーと切れない一本の線でつながれた。
売って終わりではない。
売る前から、売った後までを引き受ける。
故障すれば、逃げない。
分からなければ、調べる。
直らなければ、メーカーと向き合う。
誰がやったのかではなく、自分たちが預かったという意識が、店に重さと誇りを取り戻させた。
客は、安さだけを求めなくなった。
理由を求めて来るようになった。
なぜ、この店なのか。
なぜ、この人なのか。
その問いに、真正面から答えられる場所だけが残った。
それは「おもてなし」という言葉を、飾りではなく、責任として理解した人たちの商売だった。
丁寧で、面倒で、手間がかかる。
しかし、その手間こそが、人の記憶に残る。
「また来ますね!」
その一言が、数字よりも重くなる日が来た。
新しい試みは、派手に日本を変えたわけではない。
しかし確かに、ASAホールディングスを、もう一度、豊かにした。
――
「で…、結果どうなったんですか?」
営業第二課のフロア。
田島理久が、モニターを見ながら振り返った。
「数字だけ見たら、地味だよな。」
佐伯美羽が、議事録とは別のメモを閉じる。
「派手にV字回復!とは言えないですね〜。」
朝倉修平は、コーヒーを一口飲んだ。
「派手じゃない方がいいんじゃないか。派手な商売は、だいたい次で死ぬんだよ。」
田島が苦笑する。
「それ、どこかの重役に聞かせたいですね。」
その瞬間、通路の向こうで誰かが声を荒げていた。
「だから言っただろ! 在庫を積めば戻るって!」
「客は安いところに来るんだ!」
数ヶ月前まで、正論として通っていた声だ。
今は、誰も足を止めない。
佐伯が、画面から目を上げて言った。
「さっき、その人の担当エリアの修理依頼、全部こっちに回ってきましたよ(笑)お客さん、店名じゃなくて担当者の名前で問い合わせてきてますし。」
田島が目を丸くする。
「それ、完全に負けてますよね〜。」
朝倉は、少しだけ口角を上げた。
「負けじゃないよ。時代に置いていかれただけ、だ。」
コーヒーカップを机に置く。
「商売ってのはさ、売った瞬間がゴールだと思った者から、脱落するようになってるんだよ。」
田島が小さく笑った。
「ブラックですね〜。」
「たんなる現実だよ。」
朝倉は立ち上がる。
「でも、悪くない。ちゃんと面倒くさい商売をした者が、残るならな。」
佐伯が、ふっと息を吐いた。
「スキッとしますね!正直、ちょっとだけ(笑)」
朝倉は振り返らずに言った。
「それでいい。スカッとしすぎる話は、だいたい嘘だから。」
フロアの向こうで、電話が鳴る。
修理の相談だ。
指名は、地元の店舗名だった。
朝倉は、歩き出しながら思う。
派手じゃなくていい。
速くなくていい。
ちゃんと、戻ってきた。
それだけで、この国の商売は、まだ終わっていない。




