【Season2】インバウンド幻想を斬る! ①
火曜日の午前八時四十五分。
ASAホールディングス本社ビルの三十六階、執行役員フロアは、まだ始業前だというのに妙な熱を帯びていた。
エレベーターホール前の壁には、昨夜遅く差し替えられたばかりの電子掲示板が光っている。
【臨時・特別経営会議】
議題:インバウンド依存度見直し、および地方小売網の再構築について
出席:
代表取締役社長 八重樫 雄三
取締役副社長(経営戦略担当) 一ノ瀬 眞
取締役CFO(財務担当) 神宮寺 孝志
取締役(物流・小売事業担当) 真鍋 遥
営業第二課 課長 朝倉 修平
経営企画室 主任 田島 理久
営業第二課 事務担当 佐伯 美羽(議事録)
最後の二つの名前を、エレベーターを降りたばかりの朝倉修平は、ちらりと見上げた。
(わざわざ名前を出すってことは、見せたい人間を揃えたってことか)
いつもの落ち着いたスーツ。
ネイビーのジャケットに、わずかに光沢のあるグレーのネクタイ。
営業第二課のフロアではすっかり「スーパー上司」として定着したその男も、このフロアに足を踏み入れると、さすがに背筋を一段階伸ばす。
自動ドアが開くと、廊下にはすでに二人の姿があった。
「朝倉課長、おはようございます。」
最初に声をかけてきたのは、経営企画室の主任・田島理久。
細身の体に、少し大きめのジャケット。
奥の目は、興味と緊張が半々だ。
「早いな〜田島君。八重樫社長は?」
「もう、お入りになってます。副社長と神宮寺CFOも。真鍋取締役は、さっきエレベーターに乗られたのを見ました。」
「そうか...。」
朝倉は短く頷き、隣に立っていた女性にも視線を向けた。
「おう、佐伯さん。君も呼ばれたのか?」
「は、はい。おはようございます!議事録担当ということで呼ばれました...。」
営業第二課の事務を支える佐伯美羽は、いつものオフィスカジュアルより少しだけ落ち着いたベージュのジャケットを羽織っていた。
緊張で指先をもぞもぞさせているのが、遠目にも分かる。
「大丈夫。いつものように、事実だけを書けばいいんだよ。余計な色は、つけなくていいからね。」
「はい...。」
佐伯は、小さく息を吐いてうなずいた。
彼女がこの場にいるのは、単なる議事録要員ではないことを、朝倉は知っている。
現場の言葉を、そのまま上に届ける人間。
それが、彼女の役割。
特別会議室の扉の前に立つと、内側から低い声が聞こえた。
「インバウンド比率、四〇パーセントですよ?中国が止まれば、あの地方の店舗はほぼ全滅です」
「だからこそ、依存から抜けるべきだと言っている。補填の話は、その後だ。」
声の主は、神宮寺CFOと、一ノ瀬副社長だろう。
田島が朝倉を見る。
朝倉は軽く顎を引き、ノックした。
「失礼します。営業第二課、朝倉です。」
「入ってくれ。」
落ち着いた低音。
それは、この会社の頂点である八重樫雄三の声だった。
―――
特別会議室は、いつもの部長会議の部屋より二回り広い。
大きな窓からは、秋晴れの東京の高層ビル群が一望できる。
しかし、今この部屋にいる誰も、その景色を楽しむ余裕はない。
楕円形のテーブルの最奥に、社長席。
そこに座る男は、六十代前半。
白髪交じりのオールバックに、深い皺が刻まれた額。
その目つきはまだ現役の営業マンのそれに近い。
ASAホールディングス代表取締役社長、八重樫雄三。
その左隣には、副社長の一ノ瀬眞。
四十代後半。
細い目と、いつも微笑んでいるような口元。
その実、社内では「微笑みながらナイフを抜く男」と囁かれている。
右隣には、CFOの神宮寺孝志。
五十代半ば。
銀縁メガネに、いかにも数字の人間という無駄のない身振り。
報告書の数字を一桁誤魔化しただけで、課長を一人飛ばしたという噂もある。
窓側には、物流・小売事業担当取締役の真鍋遥が座っていた。
四十代前半。
ショートボブの髪をすっきりまとめた女性で、その視線には常に「現場の数字」と「倉庫の棚」が同時に浮かんでいるようなリアリティがある。
その一角に、営業第二課課長 朝倉修平。
さらに壁際には、経営企画室の田島と、ノートPCを開いた佐伯が控えていた。
「わざわざ来てもらってすまないな、朝倉君」
八重樫が、微かに口角を上げて言う。
「いえ。本日は、呼んでいただいて嬉しい限りです。」
「ここからは形式張らなくていいからな。ここにいるメンバーは、全員が現場を壊す覚悟がある連中を揃えている。そうでなければ呼んではいないけどな。」
さらりと言ってのけるその一言に、部屋の空気が一段階締まる。
(やっぱり、今日は本気だな)
朝倉は、静かに着席した。
「さて」
資料も配られないまま、会議は始まった。
プロジェクタもついていない。
テーブルの上にあるのは、各自のノートとペンだけだ。
このやり方を好むのは、八重樫の癖。
「数字は、頭に入っているな?」
八重樫が尋ねる。
全員が黙って頷いた。
神宮寺がメモを一枚開きながら、淡々と口を開く。
「地方の百貨店、家電量販店、ドラッグストア、アウトレットモール等、当社傘下及び提携先の売上構造です。直近三年平均で、インバウンド比率は全体で約三二パーセント。そのうち、中国本土・香港・台湾からの顧客が七割強。」
「つまり…?」
一ノ瀬が、わざとらしく問う。
「中国人が来なくなれば、少なく見積もっても売上の二〇パーセント前後が吹き飛びます。固定費はそのままですから、利益率が...」
「吹き飛ぶどころか、沈む...な...。」
真鍋が、低く言葉を挟んだ。
「地方の倉庫と店舗維持コストを考えれば、あのエリアは赤字転落どころか、撤退せざるを得ないところが続出します。」
「撤退すれば?」
八重樫の質問は、いつも短い。
「雇用喪失。固定資産売却による一時的な利益は出ても、長期的なブランド毀損。『ASAは地方を切り捨てた』というレッテルが貼られます。」
「メディアが大好きな、格好の餌だな。」
一ノ瀬が肩を竦める。
「反中は結構だが、補填は誰がする...か。」
八重樫の口元が、わずかに歪んだ。
その言葉に、朝倉は心の中で小さく反応する。
(どこかで聞いたフレーズだな)
SNSでも、居酒屋でも、現場の社員の雑談でも。
「中国人観光客、いなくなればいいのに」という声とセットで、必ず出てくる問い。
その穴埋めは誰がするのか?
誰も、まともに答えられないまま、罵り合いだけが続いている。
この会議室は、少なくともそれをやめようとしている。
その点だけは、悪くないと朝倉は思った。
「八重樫社長。」
神宮寺が、慎重に言葉を選ぶようにして続ける。
「率直に申し上げて、インバウンドからの脱却”を掲げること自体は、私も反対ではありません。ただ...」
「ただ、の後が長いのが、お前の悪い癖だ、神宮寺君。」
一ノ瀬が笑う。
しかし、CFOは動じない。
「補填の筋道が見えないまま、反中の空気に乗って動けば、株主から真っ先に問われるのは、政治姿勢ではなく回収可能性です。数字を見せずに『気合いで国内需要を喚起します』と言っても、誰も信用しません。」
「それはそうだな。」
八重樫は頷き、視線を真鍋に移した。
「現場は、どう見ている?」
「インバウンドがゼロになれば、まず地方の店舗から死んでいくでしょう。」
真鍋の返答は短く、はっきりしていた。
「都市部はなんとか耐えますが、それでも免税売上に依存している店舗は多いですね。『中国人が来る前提』でフロア構成を組んだ家電量販店やドラッグストアは、モデルそのものを見直さないと、ジリ貧です。」
「なるほど。」
八重樫は、テーブルを軽く指で叩いた。
「では、質問を変えよう。中国人に頼らずに、地方の店を生かす方法はあるか?」
会議室に、一瞬沈黙が落ちた。
誰も、すぐには答えない。
田島が、壁際で手帳を握りしめたまま、そっと視線を上げる。
佐伯は、キーボードに置いた手を止めた。
(ここで答えられる人間は、この部屋に一人だけ)
田島は、そう思っていた。
その一人が、いま視線を上げる。
「あります。」
静かな声。
朝倉修平が、テーブルの中央を見据えていた。
「ほう。」
八重樫が、目を細める。
「聞こうじゃないか、朝倉君。」
「はい。」
朝倉は、椅子に深く座り直すことも、わざわざ立ち上がることもしなかった。
ただ、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「中国人に頼らずに地方を救う。その問いを、私は少し別の角度から見ています。」
「別の角度?」
真鍋が、眉をわずかに動かした。
「はい。『誰が買うか』の前に、『何に金を払っているのか?』を問い直す必要があると思っています。」
「…。」
八重樫は、面白そうに口元を緩めた。
「続けろ。」
「今、当社が運営している地方の百貨店や家電量販店、ドラッグストア、アウトレット。どこも『商品』と『在庫』を前提に設計されています。インバウンドに頼ったのも、大量に仕入れて、大量に売る”というモデルに、都合が良かったからです。」
「それは、当たり前の話ではないのか?」
一ノ瀬が、半分挑発するような声音で言う。
「小売は、物を仕入れて売る商売だ。違うのか?」
「昔はそうでした。」
朝倉は、さらりと返した。
「しかし、今は違います。少なくとも、お客様は既に違う世界にいるのです。」
神宮寺の視線が、わずかに鋭くなる。
「説明してくれ。」
「はい。」
朝倉は、壁際の二人。
田島と佐伯に一瞬視線を送り、それから再びテーブルに目を戻した。
「お客様は、もう『店に並んでいる在庫』を見に来ているわけではありません。」
「では、何を見に来ている?」
「それは、責任です。」
短い一言に、神宮寺のペン先が止まった。
「責任…?」
真鍋が、ほんの少し身を乗り出す。
「オンラインで何でも買える時代です。メーカー直販サイトもあれば、大手ECもありますよね?そんな中で、わざわざお客様が地方の店舗まで足を運ぶ意味は何なのか?」
朝倉は、指を一本立てる。
「『何かあった時に、責任を取ってくれる窓口がある』という安心感。それにつきます。」
会議室の空気が、わずかに揺れた。
田島が、無意識のうちにペンを動かしている。
責任の窓口。
その言葉を書き留めながら、自分の心にも刺さっているのを感じていた。
「なので私は、こう考えます。」
朝倉は、続ける。
「当社が捨てるべきなのは、店ではありません。店に在庫を持つ前提です。」
静かな声だったが、その一言はテーブルの上に重く落ちた。
「在庫を、持たない…?」
神宮寺が、半ば反射的に聞き返す。
「在庫を持たない店が、小売と呼べるのか?」
「呼べます。」
即答。
「店は、物を置く場所から、責任を引き受ける場所になるだけで、そうなるでしょう。」
「具体的に言ってもらえないか?」
八重樫が短く指示する。
朝倉は一拍置いて、はっきりとつづけた。
「はい。まず、在庫と配送は、全てメーカーに移します。店は、展示と注文受付と保証とクレーム対応だけを担う。商品はメーカーから、各店舗の名前でお客様の元に直接送るのです。」
その言葉を聞いた瞬間、会議室の中でいくつかの視線が交錯した。
真鍋は、物流ネットワークの図を頭の中に描き直している。
神宮寺は、在庫回転率とBSの形を組み替えている。
一ノ瀬は、「政治的な絵」にこの案をどう乗せるかを計算していた。
「つまり、こういうことか?」
と、一ノ瀬が口を開いた。
「各店舗は、商品のショールームになる。仕入れはしない。発注だけする。その代わり、何かあった時の責任はすべて店が引き受ける、と?」
「はい。その通りです。」
「在庫リスクは、メーカーが持つ?」
「はい。」
「じゃあ、地方の店に何のメリットがある?」
その問いに、朝倉は少しだけ表情を和らげた。
「そうです!そこが、一番大きなポイントです。」
「おお、聞こうか。」
「地方の店は、地方の窓口としての価値を持てます。」
朝倉は、指を二本、テーブルの上に立てた。
「一つ。ECが苦手な高齢者や、オンラインに不安を持つお客様にとって、地方の店は『注文してくれる人』になります。」
もう一本の指を立てる。
「もう一つ。トラブルが起きた時に、『電話一本で相談できる相手がいる』という事実が、地方の店の最大の価値となります。」
「…。」
真鍋が、腕を組んだ。
「つまり、こういうこと?」
彼女の声には、現場を知る人間特有の厳しさと、わずかな期待が混じっている。
「商品の箱は、地方の店には届かない。けれど、困った声は地方の店に届く。その声を受け止めること自体が、地方の店の仕事になる、と?」
「はい。その通りです。その代わり、地方の店は在庫地獄から解放されます。」
朝倉は、淡々と続ける。
「売れ残りを気にして、無理な値引きや押し売りをする必要もない。店員は、『この商品が本当にこの人に合うかどうか』だけを考えればいいのです。」
「また構造の話か?」
一ノ瀬が、半ば呆れたように笑った。
「君は本当に、現場の努力や根性という言葉が好きじゃないんだな?」
「それは誤解です。むしろ、好きです。現場の努力も、根性も。私がそれを証明してきた一人です。」
朝倉は、ふっと笑う。
「ただ、間違った構造の中で消費される根性を見るのが嫌いなだけです。」
その一言に、田島の胸が、きゅっと掴まれる。
(ああ...。これだ...。)
営業第二課の若手たちが、なぜこの課長を「スーパー上司」と呼ぶのか。
数字で殴るだけでもなく、感情に流されるわけでもない。
構造の話をしながら、人間の疲弊を一番嫌う。
そのバランス感覚が、彼の武器なのだと、田島は感じていた。
「うむ。理屈は分かった。」
神宮寺が、ペンを回しながら言う。
「しかし、それはメーカーが在庫リスクを持ってくれるという前提だ。全てのメーカーが、そんな条件を飲むと思うのか?」
「飲まないメーカーも、当然出てくると思います。」
朝倉は、即座に認めた。
「だからこそ、選別が必要です。」
「選別?」
真鍋が、目を細める。
「はい。在庫を押しつけてくるメーカーではなく、責任を分担してくれるメーカーと組む。こちらも『売り場』ではなく『責任の窓口』として振る舞うのです。」
八重樫が、静かに目を閉じた。
「責任の分担か...。」
その言葉を、かみしめるように繰り返す。
「君たち、ちゃんと聞いてたか?」
ふいに、社長が視線を上げる。
「中国人が来なくなったら店が潰れる、という話は間違っていない。だが、インバウンド依存から抜けようとすると、『じゃあ誰が補填するんだ』という話になる。今、朝倉君が言ったのは...。」
八重樫は、ゆっくりと周囲を見回した。
「補填を、一社で背負わない構造を作れという提案だ。」
会議室の空気が、少しだけ変わる。
反中でも、親中でもない。
政治スローガンでもない。
数字と現場の両方を見ながら、誰がどこまで責任を持つかを組み替える話。
それは、この会社がずっと先送りにしてきた種類の議論だった。
「面白い。」
一ノ瀬が、口元を緩める。
「つまり、君の言いたいことを極端にまとめると...。」
指を一本立てる。
「店は潰さない。ただ、在庫は店に置かない。地方の店は、物を並べるのではなく、責任を引き受けることで生き残る。」
「はい。」
「キャッチコピーとしては、悪くないな。」
一ノ瀬が笑うと、田島が思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
(この人たち、本当にこのレベルで世界の構造を動かしてるんだ。)
普段、自分が回している企画書や数値報告のスケールの小ささを、思い知らされる瞬間だった。
「ただし。」
神宮寺が、あえて水を差す。
「そのモデルを実際に動かすとなると、システムの統合、物流の設計、契約書の見直し、コンプライアンスの整備など、課題は山ほどありそうだね。」
「おっしゃる通りです。」
朝倉は、真正面から受け止めた。
「だからこそ、いきなり全社展開を決めてほしいなんて言えないです。」
「では、何からはじめようか?」
八重樫が、静かに問う。
朝倉は、短く息を整えた。
「まず、一つの地方エリアで実証実験をさせてください。」
会議室に、再び静寂が落ちる。
「具体的なエリア、店舗数、メーカー数、期間。それを整理した上で、改めて正式なプロジェクトとして上程します。」
朝倉は、しっかりと八重樫を見据えた。
「その前提として、お願いしたいのは一つだけです。」
「一つ?」
「はい。」
彼の声は、いつもと同じトーンのはずなのに、どこか熱を帯びて聞こえた。
「店を守るという目標のために、店の形を壊すことを、経営として許容していただきたいのです。」
その瞬間、佐伯の指がキーボードの上で止まった。
打ち込むべき言葉が、胸の奥に染み込んでいく。
店を守るために、店の形を壊す。
議事録の一文としてだけでなく、
この会社の、そして地方の店で働く人間たちの、これからを象徴する言葉として。
(これを、ちゃんと残さなきゃ)
佐伯は、そっと深呼吸をしてから、再びタイピングを始めた。
「八重樫社長...。」
田島が、思わず口を開きそうになったその時。
社長は、ゆっくりと椅子の背にもたれ、天井を一瞬見上げてから、再び視線を戻した。
「朝倉君。」
「はい。」
「君の話は、よく分かった。」
静かな口調。
「だが、私はまだ、それが本当に地方の店の現場で受け入れられるのかを、腹の底からイメージできていない。」
「正直におっしゃっていただき、ありがとうございます。」
朝倉は素直に頷く。
「だから、こうしようじゃないか。」
八重樫は、テーブルの上に置いていたペンを指で弾いた。
「次のステップとして、現場の声を、ここに連れて来て欲しい。」
会議室の空気が、わずかに揺れた。
「地方の店長。ドラッグストアでも、家電量販店でもいい。インバウンドに依存した結果疲弊している現場の人間を、何人かこの場に連れて来て欲しい。」
社長の視線が、一瞬だけ佐伯に向き、それから朝倉へ戻る。
「店の形を壊すという話をするなら、今の形を支えている人間の顔を、私は見ておきたいと思う。」
その言葉に、誰も反対しなかった。
店を守るために、店の形を壊す。
その議論は、いよいよ現場を巻き込んでいく段階に入るのだ。
「よし。」
八重樫は、短く息を吐いた。
「今日はここまでにしよう。朝倉君、現場の顔ぶれの候補を、三日以内に出してくれ。」
「承知しました。」
朝倉は、席を立って一礼した。
会議室の扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
―――
会議室を出ると、廊下の空気が急に軽く感じられた。
「お疲れさまでした!」
田島が、半ば呆けたような顔で声をかけてくる。
「何だよ、その顔は(笑)」
「いや…。スーパー上司ってあだ名、あの場だと、何かすごく納得しました。」
「やめろよ。変なあだ名は、社長の耳に入る前に終わらせてくれ。」
「もう遅いと思いますけどね〜。今日ので確信しましたよ。課長は、店の上司じゃなくて、構造の上司なんだなぁって。」
「意味が分からないよ(笑)」
朝倉は肩を竦め、隣を見る。
「佐伯さん。議事録は間に合いそうかな?」
「私、がんばります...!」
彼女は、まだ少し震える声でそう答えた。
「店を守るために、店の形を壊す。この一文だけは、絶対に間違えないように打ちたいと思います!」
「そうしてくれたら嬉しいな。」
朝倉は、小さく笑った。
(さて...)
頭の中では、既に次の段取りが始まっている。
地方の店長たち。
誰を連れてくるべきか。
どの店のリアルな疲弊を、このフロアに見せるべきか。
そして何より。
「店に在庫を置かない」という発想を、どうやって彼らのプライドを折らずに伝えるか。
それは数字だけでは解決できない、
人間の物語の領域。
(ここから先は、構造と感情の両方が要るな)
朝倉修平の、新しい戦場が決まりつつあった。
それは、在庫でも、中国人観光客でもなく。
店の形を壊す勇気と、店を守りたいという気持ちを、どう同じテーブルに乗せるかという戦いだった。
②へ続く




